今日もテレビでは大谷さんのキャンプの報道が流れていた
またか!とついチャンネルを変えたくなってしまう
それに対して大谷さんは責任はないし、彼を扱えば視聴率が稼げるのだろうが
このメディアの熱狂ぶりは少し怖い
もしかしたら戦前のメディアのそれいけドンドンの空気は
こんな感じだったのかと偏屈者は想像してしまう
ところで、練習風景というものは見ていて面白いものだろうか
野球の練習は基本的に個人のレベルアップにあるように思える
それには年々新しい器具や考え方が取り入れられて
確かに少しの驚きや興味を覚えるものもある
(大きなボールとか段差をつけた場所からの投球とか
歩きながらのバッティングとか)
内野手は定番化されたノックを受けて送球の練習などが多い
だがそれらを見るということは一体どういうことなのか?
と考えると、それは練習自体の内容はあまり問題ではなさそうな気がしてしまう
つまりある選手を生で見たという感覚が、見物人には大きな意味があるように思える
同じ練習でも比較のためにサッカーの練習風景を見るとする
するとその内容はチームによってだいぶ違いがある
サッカーも確かに個人のレベルアップの練習は存在する
ただし、サッカーは相手があって初めて成立する競技で
相手はどんなふうに対して向かってくるかわからない
一対一とか、一対二とか(最近の久保は相手チームは二人以上で対応している)
だからチームで戦う方法は各チームごとの特徴があるしそれは練習の賜物だ
確かに野球も相手があってのことだが、基本的には一対一の戦いだ
(ピッチャーとバッターーの)
だからこそ、野球では自己の技術をレベルアップする方法が役に立つと思われる
サッカーの練習風景は非公開ということがよくある
サッカーは、一人ひとりがスーパーなチーム(レアル・マドリーのような)が勝利に近いのは確かだが
時には一人ひとりの気持ちの入ったプレーとか、戦術的な効果で強者を倒すこともある
例えば攻め方がある人を中心にしているなら、その選手にボールが行かないようにするとか
その選手がボールを持ったならば数人で対処するという方法をとることが考えられる
練習風景を見ればチームが次の試合でどんな守り方とか対策をしているのか
それがわかる
わかってしまうと対戦相手は今度はそれに対する方法を考える
この対策の対策をされないために練習は非公開とするのがサッカー界では
当たり前のようになっている
サッカーの練習方法は個性的なものがあって、日本代表の監督だったオシムさんは
練習試合のビブスの色を味方2色、相手2色の合計4色で行ったことがある
味方へのパスは自分と違う色の選手にしかパスできないルールで
ボール保持者は顔を上げてパスできる選手を探すし
受け手の方は多少ポジションを崩しても貰える位置に移動しなければならない
それが適切かどうかを瞬時に判断する癖と勇気を身につける練習だ
またザッケローニ監督は守りが堅いイタリアの戦術を取り入れるために
守備側の選手同士がロープを繋いで、選手間の距離を一定にする訓練をしたそうだ
(つまりは危険なスペースを作らないようにするために)
自分がJリーグの試合を見に行った時、楽しみにしていたのは試合前の練習だった
小学生のチームのコーチをしていたので、取り入れることができる練習が
あるかもしれないと思えたのだった
(でも最近の試合前の練習はウォーミング・アップの意味合いが強く
あまり参考にならない練習が多くて少し残念だ)
いずれにしても、なにか新しい発見がある練習風景なら面白いと思うし
新しい発見と思える感覚を持ちたいものだ