朝と夜に考えることは違うようだ
真夜中のラブレターという言葉があって
それは夜のハイテンションで書かれたラブレターを
朝の落ち着いた気分で読み返すと、恥ずかしい気がするといった
誰もが一度は経験したことのあリそうなのを表した言葉だ
備忘録のようなこれも、夜に次はどのような内容でいこうかと考える
最近は気が滅入ることが多く、他人が読んでも面白くもないことが続くが
どうしても通奏低音のように不安が気分を支配しているかのようだ
夜に不意に浮かんだこと(もしかしたらハイテンション状態?)
そして朝読み返すと恥ずかしいことになりそうな考え
それは「人は、わかりあえることはないかもしれない」という思いだ
討論をつくしていけば、理性に従って説明をしていけば
人は必ずや同じ結論に至る、説得しうる、、
というのは、現実には無理なのではないか
そんなことが不意に浮かんだ
数学的な証明分野は、有無を言わせず納得するしかないかもしれないが
感情を伴う判断の分野は、それを育ててきた環境が人それぞれなので
感じ方や判断は違う
そして人がわかり合うためのツールとしての言葉とか討論には
限界があるのではないか
言葉が雄弁になると、違う立場の人は絞り出そうように違う理屈を考え出す
これは永遠に続くような気さえする
「カラマーゾフの兄弟」では、あの有名な大審問官はその雄弁な弁舌で
理屈の上ではキリストの生まれ変わりと思われる人を論破したように見える
それに対して、生まれ変わりの彼は何も言わない
言えば、更なる言葉が返ってくるのを見越したのか
彼は大審問官に口づけをしただけで去っていく
大審問官とその男はわかりあえていない
このように根本のところで人はわかりあえないのではないか
と実感するようなことは実生活でも多い
だが、それで悲観するかと言えば、今度は生命力のたくましさのおかげで
その状態をクリアする考えを生み出す
わかりあえないかもしれないが、その上で相手の存在とか人権は認める
といった考え方だ
それは憎き碁敵がいないことには自分も碁を楽しめないことに通じるかもしれない
碁敵も碁が好き好きだという事実はお互い認めあっている
その時点で、人は相手を認めることができる
つまり考え方は違うが、その違う考え方をしている人も自分と同様に一生懸命
考えているのかもしれない、、と思うことで、人としての存在を認めるということだ
三島由紀夫が東大のストを実行する学生との話し合いで
「諸君の情熱は認める」(方向性とか方法論は違っても)
と言ったのは、このようなことだと想像する
ということで夜のハイテンション状態(?)で浮かんだことは
朝には恥ずかしい事かもしれないが、割合いい考えのような気もするので
勢いに任せてアップすることにした
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