今回の衆議院選挙、新城市の投票率は62.94%
国全体は53.85%
期間中、自分は宣伝カーの声を聞かなかったが
やはり田舎は少しは投票率が高い
ところで、あるところで選挙にいかない人の理由でこんなのを見聞きした
「投票した人が負けると、自分が負けたような気がして(否定されたような気がして)
気分が落ち込む、それなら初めから投票に出かけないほうが良い」
いい歳をした自分はつい一言を言いたくなる
負けることで学ぶところが多く、真に参考になるのはそうした悔しさを経験したり
次に何をするかが明確になってくるとか、継続的な努力の必要性を実感することができるから
無駄ではない、、と諭したくなってしまう
それにしても何をそんなに恐れているのだろう
生きているうち経験することは勝ち(良いこと)ばかりではなく
むしろ負け(悪いこと)のほうが圧倒的に多い
時々、プレゼントのように良いことが経験できるから喜びを感じることができる
これがいつも勝ちっぱなしだとしたら、人は些細な負けにも耐えられないかもしない
話は飛ぶが、東大の囲碁・将棋クラブの良いことは、「負けることを知る経験ができる」ことだそうだ
それまで勝ち組で挫折を知らない人が、負けの経験をすることは人生にとっても棋力の向上にも
役立つとされている
話は戻って、テレビの街頭インタビューでは30歳の人間が
「わからないから」「難しいから」「一人行かなくても変わらないから」
と答えているのを見ると、政治教育が悪かったという前に
人として成長しているのか、と不安を覚える(余計なお世話か)
とまあ、不平不満が出てきてしまうが、不意に「昔の選挙はすごかったな、、」と記憶が蘇る
選挙で盛り上がるのは市議会議員選挙で、子供の頃、近くの人が3人立候補した時があった
祖父母と両親はそれぞれ適度に割り振ってみんなに義理立てをし投票をした
これはそんなものだと思うが、すごかったのは選挙事務所でのこと
当時は選挙事務所には酒樽が置いてあって、そこで振る舞い酒をすることは禁止されていなかった
だから呑兵衛と評判の人は、選挙事務所を回り歩いて真っ赤な顔をしてただ酒を満喫していた
そのうち振る舞い酒は禁止になったが、その時幼い自分は
酒屋さんは売上が落ちてしまうが大丈夫なんだろうか?などと心配したのだった
立候補者が近所だから宣伝カーは回る場所が重なって、候補者同士がすれ違う時があった
その時は「相手側候補の健闘を祈ります」とお互いにエールを送っていた
本音ではないとしても、儀礼的にもこうしたことができた昔はおおらかな時代だったものだ
ところで、ちょいと真面目な話
投票率は老人が高い
老人たちは自分たちの世代の利益になる言い分をする人たちに投票し
若者はその犠牲になっているとする考え方がある
でもみんながみんなそうだろうか?
そんなに生存競争ばかりの世界だろうか?
じいじばあばは、息子、娘、孫のことが心配だ
食べる量も所有欲も少なくなってきたじいじばあばは、後の人のことが気になる人も少なくない
自分らのことはいいから、子ども孫のためになることを望むひともいる
でもそう言う人は、少しばかり(経済的に)恵まれた人たちかもしれない
つまりは、そこそこ安定した生活ができる人は、自分以外の人たちについても慮ることができる
ということは、人が人として優しさを実行するには
経済的な社会がそこそこ確保されていることが必要となる
現在の状況は個人の責任だけで済まされる社会でないと思う
親ガチャの言葉に代表される生まれた環境が、教育、体験の大きな影響があり
それが成年になって働く先にも繋がって、収入差が生まれてしまう
このように半ば必然的に生まれてしまう弱者にどう向かい合うか?
人間の能が異様に大きいのは共感を覚える(コミュニケーションを司る)部分が
発達しているからだそうだ
人が人としていられのはその能力ゆえとするなら、
それを発揮できる社会的な環境づくりは大事なことだと思う
まとまらない話
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