パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

久しぶりにフルトヴェングラーの「運命」を聴いた

2023年12月03日 09時26分53秒 | ダイアリー

とても有名な曲だがそんなに聴く気持ちになれないのが
ベートヴェンの交響曲5番の「運命」
聴いてみるとそれほどではないと思うものの
(むしろ曲自体の作りとかモチーフの徹底的な使用に驚きを覚える)
聴く前は押し付けがましくて、自己主張が強くて
それ故にCDは棚にあっても手は伸びずにいた

ところが、カルロス・クライバー指揮のウィーンフィルの5番のCDが
不意に目に入ったので、久しぶりに「運命」を聴いてみることにした

運命を聴く時の心配事のあの押し付けがましい印象は
スッキリした開始の音響で少しばかり驚きを覚えて
結局、キレのいい音楽を聴き終えた(1楽章だけ)

聴いている時、頭に浮かんだのはフルトヴェングラーだったら
どんな演奏をしたのだったろうか?ということ
気になり始めたらもう止まられず、棚から引っ張り出してきたのが
戦時中の演奏のこれだ

クライバーのキレの良い、ササッとした音楽とは全く違う
まずは低音が際立って、今の感覚からすれば少し大げさな感じがしないではない
だが大げさな感じを我慢して聴いていると、次第に彼の演奏の世界に没入してしまう

結局、曲を最後まで聴き終えた問に出てきた言葉は「凄いな!」だった
そしてそれはこの言葉以外に適切な表現は無いような気さえした
とにかく、凄い!
それは音楽を聴いて30分くらいの時間を過ごしたというだけでは収まらない
なにかもっと大きな体験をした感じを覚える
(そう感じさせるのは彼の大きな把握の仕方と細部へのこだわりのせいだろう)

とにかく途中からはいろんなことが必然と思えるようになった
ティンパニー大音響の連打もトランペットの勝利宣言のようなフレーズも
つまりはこの演奏は名人とか大家が職人芸を見せている落語とか歌舞伎のような気もした
そして奏者者もものすごい集中力で夢中になって演奏していると感じさせられた

だが、フトこれが戦時中の演奏であることに気づくと
この演奏の全体的な印象は、その当時の彼の精神状態をどのくらい反映しているか気になった

社会的な状況に左右されず、ただ音楽に対してのみ精神を集中している
そんなことが実際に可能なのだろうか?と思うわけだが
フルトヴェングラーの戦後の演奏には戦争の影を落としている

明らかに戦後の演奏は苦悩のあとを感じさせる何かがある
戦争体験でなくても、年齢を重ねて様々な体験をして、それが演奏に反映されている
と考えることもできるが、それでも目の前で、建物が破壊され、多くの人が亡くなったり
負傷していく姿を見れば心はどうしても傷ついていく
その精神的な苦痛とか明日が見えない中での暮らし
それらは、どうしても演奏の音響の中に反映される

こんなことを思ったりすると、今の時代にこうした音楽を聴く意味とか価値を
つい考えてしまう
抽象的な音楽は、社会にどのような意味をもたらすことができるのか?
もしかしたら、政治家のその場限りのうまい話よりも
30分間の音楽体験は社会にとって良い方向に進める力を持っているかもしれない
と考えるのは、少し理想主義的すぎるかもしれないが、そう思いたい



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