パンセ(みたいなものを目指して)

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人はどこまで残酷になれるか

2023年12月04日 12時47分40秒 | あれこれ考えること

「どうする家康」も残り僅か
昨日は大坂の陣のエピソードだった
ストーリー展開のうえで仕方ないとはいえ
この時期にこの話は精神的にきつかった

徳川軍が大砲で大阪城を攻撃し、城が破壊され
多くの人々が死んだり負傷する様子は
イスラエルのガザ地区の様子を連想させた
同居人はガザ地区の破壊されたニュースを見る度に
テレビのチャンネルを変える
そして心を痛めている

それは自分も同じだ
どうしてこんなに残酷なことができるのだろう?
ハムラビ法典にある「目には目を!歯には歯を」の報復願望を
人は持っていることは分からないではない
だが、ここまで残酷なことはできるのだろうか

人はどこまで残酷になれるのか?を実験したものがある
「アイヒマン実験」とも呼ばれるえげつない実験で
ある人物の腕に電気ショックを与える装置がついていて、別の人が何かを質問する
その答えが間違っていると電流が流れるのだが、そのスイッチを入れるのはまた別の人
そして、その流れる電流の強さは間違える度に徐々に強くなっていく
実験の目的はスイッチを入れる人物の行動の傾向を見ることで
人はどこまで残酷になれるかがわかるものだ
スイッチを入れる人にはこの実験は社会的に意味あるもので
社会秩序を守り抜くためには必要なことと事前に説明されている

この実験はいろいろな状況で行われる
電気ショックで思わず声が出るが、その声を聞こえる場合と聞こえない場合
ショックを受けている人の様子が見える場合と見えない場合
スイッチを入れるように命じる人が社会的に評価されている人の場合などなど

とんでもない非人間的な実験なので、これはもう再現できないようになっているし
この実験結果も表に出しにくいようだ
だが容易に想像できるように、ショックを受けた人の様子が見えたり
悲鳴が聞こえた場合は、スイッチを押すのをためらう人が出てくる

つまり現場を見れば、人はそこまで残酷にはなれない可能性があるということだ
だがガザ地区の悲惨な現状を目の当たりにみても、復讐心に取り憑かれ
あるいは自己目的に支配され暴挙に手を緩めないのは
いったいどういった人物なのか、、と怒りも覚える

そしてその命令に従う人々(兵士たち)
彼らはどのような心理状態にいるのだろうか?
(アイヒマンと同じ状況?)

人は時々考えられないほど残酷なことをする
フーコーの「監獄の誕生」を読んだ時に一番記憶に残っているのは
中心部に監視塔が設けられた円形の独房の重要なエピソードではなく
最初の部分に紹介された拷問の話だ
犯罪者は両足首をそれぞれロープで縛られ、その端は馬に繋がっている
その馬は全く反対の方向に走るようになっていて
合図とともに走り出すようになっている、、という部分だ

これを読んだときは、気持ち悪くなって戻しそうになった
人はなんと残酷なことを思いつき実行するのだろう、、と

このように人の中に潜む獣性
残念ながらこの存在は否定できないと思う
だがそれを抑えるのが、人としての感情とか正義感のはず
今の世の中は、アクションはまるで条件反射とか随意筋反射のようで
一旦心に落とし込んで熟慮して反応することが少なすぎる気がする

人の中に潜む獣性、それとは全く反対の優しさ(マザー・テレサの様な)
それらは多分同時に存在する
問題はそのどちらが形として現れるかだ
人の善意が形となって現れるのが望ましいのは言うまでもない
だが、それが当たり前に見られるようになるには
おそらく人の生活に余裕が必要だろう
食べるもの、住むところに不安のない状況は
優しい世界をつくるために必要と思われる
(自己責任でなんでも済ますのは間違いだ思う)

イスラエルの問題とか、日本の政治資金収支報告書に不掲載の件だとか
スッキリすることのない毎日が続く

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