パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「デモクラシーは仁義である」を一読して

2016年10月17日 08時34分24秒 | 

速読できるタイプではないが、早速読み終えてしまった(?)のが
「デモクラシーは仁義である」 岡田憲治 角川新書

あとで読み直そうとした付箋も少なからずある
面白かった(面白かったという以外の表現が出来ないのは情けないが) 
何よりも読みやすい
短い章に分かれてわかりやすい文書で書かれており、さほど集中力を必要としない
だからといって深くないというのではない

この手の本の中で民主主義とか国民主権、あるいは地方自治という言葉が使われるときに
いつも違和感を感じるのはその国民とか市民の扱い方
そこには日々の暮らしをしている市民・一般人の感覚とか現実が踏まえられず
一種の抽象的な概念としての市民・一般人 として扱われている
そこには少なからず主権は市民間にあるからみんな責任持って
政治(自治)に関心を持って行動すべしと大上段に構えた話が続く

しかし、一般市民は残念ながらそんな高等な存在ではない
もっとゆるいいい加減な存在だ
この現実からこの本はスタートしているので、心情的にわかりやすい

大衆が力をもって決めることは、本当に正しい結論を導くことができるか
これについてはポピュリズムの危険性やら、オルテガの「大衆の反逆」などで
知識人の中には一定の認識があるかもしれない
しかしの生活者の多くは「民主主義は多数決」、みんなで決めることは民意の反映と
無邪気に素朴な前提を認めている
事細かく分析、解釈していけば素人の認識とは違い、専門家の言うとおりなのだが
生活者は正確な認識をしているわけでなく、かなりアバウトな認識しかしていない
そして多分この傾向は、理解を深めるためのどのような働きかけがあったとしても
そんなに変わらないものと思われる

そんな中、一体何ができるのか?
いや、そもそもどんなふうに考えたら良いか
と、かなりゆるく、それだけにみんなにも容易に持つことが
できそうな考え方が書かれている 

例のごとく、本質とは関係ないかもしれない部分に付箋をした
その部分を抜き出すと

己のいかがわしさ、人間の不完全さ の章から

どうあろうと、現実を生き抜く大人は程度の差はあれ「汚れて」「ずるくて」
「人のことは言えない」「小心者で」「都合の悪いことはすぐ忘れる」つまりは
普通の人間たちだということです
にも関わらず、その人間の業やいかがわしさを政治家から見て取ると、あらん限りの
罵詈雑言とヤジと怒号でこき下ろし、引きずり下ろすくせに、何故か政治家「選び」を
する際には、最良の選択じゃないと嫌だというピュータリズムに陥る(のが、多くの棄権した有権者です)

最良の選択ではなく「最悪を避ける選択」の章から

自分たちの不確かさ、間違えやすさ、ワガママを静かに受け止めて、その上で
何を一番失ってはを淡々と考える、弱くて無力な我々の偉大なる知恵とセンスなのです。
無力でも簡単には負けない美徳がそこにあります。 

間違えることが前提だから間違えたら訂正して謝る の章から

人と人が結びついたり離れたりする時の契機は、日常の友人であろうとデモクラシーの友人であろうと
あまり変わりません。それは、その人がどれだけ知識があるかではなく
「間違えた後、どのように振る舞うか」です

どうやら人としての仁義、それは難しく考えることではなく
なんとなく感情的な共通項として感じているそういうものが
実現されるべきとされているようだ

もう一度付箋のある部分を読み返すと違う印象を持つかもしれないが
とりあえず一読した感想として、、
 


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