パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

東京より新城市の方がまとも

2024年07月14日 16時08分19秒 | あれこれ考えること

行政が奇妙なことをすれば、まずは議会がチェック機能を果たす
だが行政主導の現在のシステムではそれは発揮されにくい
そこで気づいた市民が行動を起こすことになる
手続きは住民監査請求をして、その後行政訴訟に出るという方法だ

東京都民は48億円のプロジェクション・マッピングについて
何もしないのだろうか
現状はっきりしているのは、
●プロジェクトに関する申請、許可、入札責任者は同一人物
●情報開示請求した入札資料はほぼ黒塗り
●入札参加は電通Lと博報堂Pの2社のみ
●入札審議10分
●どのように入札を決めたか議事録無し
●フランスの同様な費用と比べて格段に高い
等がある

新城市では数年前、市がある養鶏場を臨時議会を開いて
5億円近い金額で購入することにしたことがあった
その異様に早い進め方、また不動産鑑定の価格は相場と比べて異様に高かったこと
不動産鑑定の比較地が地元新城市ではなく3箇所が豊川市であったこと
不動産鑑定業者の選定は随意契約だったっこと
普通なら一月ほど要する不動産鑑定がわずか数日で行われ
その金額は速報値として報告され、それをもとに売却希望企業と相談をした
そして、この顛末は養鶏場が買取希望を訴えてきてから
わずか半年で2.4億円を支払うことになったことなど違和感を覚えるものがあったので
有志の市民がまずは住民監査請求を起こした

住民監査請求は監査責任者に、コレコレのところは違和感があっておかしいので
よく調べて、おかしいことが認められるなら市が損害を受けた金額を
(その原因となった人物は)市に支払って欲しいと要求するのもだが
これはほとんど棄却される
だからその結果が出てから一月以内に裁判に訴えるということになる

新城市は上に書かれた段取りで行政訴訟を行っている
だが東京都は、そんな声は今のところ聞こえない

実は新城市ではこの数年前に、新庁舎建設予定値以外の土地に移転補償費を払った件についても
同様な手続き(裁判)を行い、そこでは裁判所から痛み分けの解決法が提案された経緯がある

さて客観的に見て、どちらの自治体と言うか庶民のほうがまともなんだろう
まともか否かについては圧倒的に新城市のほうがまともではないだろうか

面倒なことはスルーする
見て見ぬふりをする
必死に行動する人たちを冷笑する
そもそも目の前にある問題に気づきもしない

なんだか、そう言う人たちと比べて新城市の有志は覚悟がある気がする
確かに大都市東京が変われば日本も変わる気がする
でも東京という実態は、実は政治のトップたちというよりは
そこに住んでいる人たちの意識だと思う
今回の都知事選を見るにつけ、「アトム化された人々」という
ハンナ・アーレントの言葉をつい思い出してしまう



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心の中にとどまったものは、いつか行動に現れると信じたい

2024年07月14日 09時29分37秒 | あれこれ考えること

今朝のワイドショーに突然トランプさんが銃撃されたニュースが流された
耳のあたりに血が見えたが、命には関わり合いはないようだ

アメリカという国は、、
頭に浮かんだのはこのこと
暴力で物事を解決しようとする輩がいて、それを防ぐために銃規制を
しようとすると、建国以来の伝統の価値観とか自由を持ち出して
そしてその団体の利益のために多数決の数を稼ぐ

日本はかつて強引に秀吉が刀狩りをしたかも知れないが
結果的に庶民が武器を持つことはなくなり、無闇に争いごとは少なくなった

これと比べて何故、銃規制ができないか不思議で仕方ない
理屈を言い始めるとどんな理由付けもできる
だが、全体最適を求めるなら銃規制は現実的な方法と思う

この銃規制ができないところと、あの人格のトランプさんが大統領候補になっていること
そして客観的には長い四年間が心配なバイデンさんを大統領候補としていること
これらは部外者は不思議で仕方ない
それは常識的には考えられないことだ(アメリカは大丈夫か?)

大統領になるということは、国益とか国民に対する使命感よりももっと個人的な欲望に
支配されているような気がしてならない
もっともこれはアメリカに限らず、日本社会でも似たようなものかも知れない
政治家は権力闘争の本能を持っているとしたのはマックス・ウェーバー
確かにそうかも知れないと実感する


ところで、ずっと違和感を感じている都知事選のこと(以後の雰囲気)
たまたまフジテレビで橋下徹氏が石丸氏は熱量が違った、、と論評していた
その熱量が何をさしているかイマイチわからないが、熱量に関しては
蓮舫氏は少なくとも演説を聞く限りはたいへんなものだった

彼女が街宣を始めた頃、このペースでは最終日には声が枯れてしまうだろうと予想した
熱も力も入った演説は子どもを育てている女性としての実感を踏まえて
わかりにくいものとは思えなかった
正確に都の財政を把握しているわけではないので一部不安なところがあるとしても
少なくともその心意気は理解できるものだった

ところは予想に反して蓮舫氏の声は最後になってもかすれなかった
それは代わりに声をからすくらい熱く応援した仲間がいたからで
クソ真面目な小川淳也氏が汗を飛ばしながら必死に訴えた
蓮舫氏は自分にはこうした仲間がいるということを実感として感じていた
そしてそれに煽られた蓮舫氏も熱を持って街宣を続けた

ところが、それが票になるかどうかとなると別問題のようで
この演説の中身とか熱さを理解するには、多少の知識とか考える力が必要となる
つまりはわかりにくいよりは、わかりやすい自分と同じくらいと見える石丸氏に
シンパシーを覚える若者が多かったと解説する人は多い

囲碁の世界では「実利と厚み」という言葉がある
実利は直ぐに計算できる確定地で、厚みはまだ地にはなっていないが
将来厚みを活かして相手を攻めて最終的には地を増やすというものだ

この厚みと言う言葉を、演説のメッセージが確かに届いたもの
演説を聞いて勇気づけられたこと、自分でもなにかしようとすること(ひとり街宣)
と当てはめると、後々の結果は実感が忘れられるかどうかだけの問題となる

今回親しみやすかった石丸さんは実利が多かったということで
それは選挙戦術という範囲で優れていたと言えるかも知れないがその後の可能性はどうだろう
もっともメディアとか大衆はブームに異様に弱いから
必ずしもその後増えない実利ではない可能性もあるが

選挙後に蓮舫氏へのネガティブな物言いが多い
しかしそれとは全く反対の、立候補してくれたことに感謝する人
勇気づけられた人、悔しいと思っている人、引き続き応援すると声を上げる人も多い
囲碁で言う厚みは、生き残っていくのだろうか

ひとり街宣の行動を恐れている人たちがいるということは
それがかなりの影響力をもつと想像されたことだ
現在は絶望的な状況だが、日本に一人ひとりの気づきによる政治選択は
いつかやってくると信じたい


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