「政治屋の一掃」
拍手喝采を受けそうな言葉だが、なにか違和感を感じていた
それが何かはわからずにいたが、不意に
「政治屋と判断するのは彼の独断に過ぎないかもしれない」
つまり自己判断を絶対化して自分が政治屋と感じたものはすべて政治屋
そんな理屈を強引に進めているのではないか、、と思ってしまった
問題はこの態度の良し悪しではなくて、人はこうした断言された言葉に弱いという点だ
面倒な説明は省いて結論だけを告げる
その方がわかりやすい
だが、わかりやすくするためにいろんなところをカットしたり
強引に理屈を進めている場合もあるので、正確な物事の理解ができている訳では無い
つまりは、正確な情報をもとに判断がくだされるというより
勢いとかポピュリズムによって物事が判断されてしまう
そんな世の中になってしまいそうというのが違和感の根っこだった
誰かが悪い、犯人探しして、とりあえず不平の発露をして気持ちがスッキリして一見落着
現実世界はそんなことでは回っていかない
実は政治屋と判断された人物も一人の人間
その人間に対しては嫌悪感を全面に出すだけではなくて
人としての敬意みたいなものは最低限必要と思われる
ただ、そう断言して貶めたい気持ちもわからないでもないが
結局は、言葉を発する人の人間性をじっくり見ないとアカンと思う
まとまらない話