ジョン・レノンが後に妻となる小野ヨーコと初めて出会った時のことを
ドキュメンタリー映画の中で話していたシーンを思い出した
前衛芸術家としての個展にでかけた時のことで
作品の中にはまるで小学生のいたずらのような仕掛けのあるものがあった
正面には文字が書かれている
そこには「右を見て」とある
そこで右を見ると、そこには「左を見て」とある
同じように左を見ると、今度は「上を見て」と書いてある
促されるままに上を見ると、そこには「YES(是)」とあったのだそうだ
その時のジョン・レノンの気分に余程フィットしたのだろう
これで彼はノックアウトされたようだ
これが「NO(否)」であったなら、彼女との関係はなにもないままだった
と映画の中ではインタビューに答えている(自分の記憶の中では)
赤塚不二夫の「それで良いのだ!」に通じるような、
全肯定的(人生を肯定的に捉える)な雰囲気が、当時荒んでいた彼を救ったに違いない
穏やかな、問題提起をしないような肯定は、ニーチェを始めとして一部の物知りとされる人にはウケが悪い
彼らにとっては、物足りない態度としか思えないのかもしれない
だが、肯定は甘い考えや態度なのか
いろいろ文句を垂れることの多い自分だが、基本的には諦めも含めて肯定的な捉え方を好んでいる
モーツァルトの魔笛とかコシ・ファン・トゥッテとか、フィガロの結婚でも登場人物は
およそ人格的に問題のある人で騒ぎを起こす
でも、それで良いのだ、、と音楽の力を借りて、不完全なままの世界を肯定的に捉えている
(その倫理観の欠如にベートーヴェンは我慢いかなかったらしいが)
ヘッセのなかでも大好きな「シッダールタ」は、様々なしなくてもいい経験をした後
諦念の境地に達し、それらを全部受け入れる「是」の気分に落ち着く
(その場面は読んでいて思わず泣きそうになる)
ジョン・レノンの相棒ポール・マッカートニーは、この肯定的な傾向は大きいようで
批判的な棘がない分、軽いと思われている
しかし、彼のライブで最後に用いられるゴールデン・スランバーからジ・エンドまでの
歌詞を眺めてみれば、それは確かに人生を真面目に生きてきたひとの感じる実感が
肯定的に含まれている
だが、肯定的ばかりではいられない世界も間違いなく存在する
穏やかなために、あるいは声を挙げないために、結果的に見て見ぬ振りをすることになること
そしてそれがいつか自分の身にも降り掛かってくると思われること
それらは、少し気張って、現状の否定の気持ちを持たねばならないかもしれない
この秋、国も市も選挙が行われる
この場合は穏やかな全肯定よりも、「そもそもは」と最初から考えるほうが適切と思われるが
現実には市民一人ひとりにそれが可能かはとても不安
社会は、この程度の不完全さを前提にできているのか、、それで良いのか
これは個人的にはずっと考えどころ、、(知ったところでどうなるものでもないが)
例のごとく上手くまとまらなかったが、何かイライラしそうな毎日が続く