パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

最後の一言、あったほうが良いか、ないほうが良いか?(セトモノ)

2016年04月24日 09時07分27秒 | あれこれ考えること

ACの広告に横断歩道を渡ろうとする人に合わせて
こんなことばが流される

セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう

どっちかやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころをもちましょう

最近はこのパターンで流される事のほうが多いようだが
自分が一番最初に目にした時は
最後に次の一文が入っていた様な記憶がある 

「そういうわたしはいつもセトモノ 」

最初は、途中まで聞いて言わんとすることは解る
しかしなあ、、
とひねくれてしまったものだから最後の一文がある方が
ホッとしたというか、そうそう
と思ったりした

でもメッセージとしてはあまりにも内省過ぎる気もした

ということで、(ではないだろうが)最後の一文がないパターンが多い
確かにメッセージ性はつよい
だが、その分強制されているようで
ちょっとなあ、、と思ったりする

正しい人が怖い
一般的な正しいとされることは、それゆえに反論しようがない
それは仕方ないのだが、それを強要されると
嫌だな、、と思ってしまうのは何故だろう

もっともセトモノの詩、最後の一文がある無しで
言わんとする内容が違ってくる
なければそのままのメッセージ
あると、人間は、、、といったイメージまで発展する

ま、どっちでも(どうでもいいことだけど)
へそ曲がりは、いいことでも強制的に言われたくないな、、
と思ったりする
(もう少し素直にならなくちゃいけないかな)
 

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