パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

変ロ長調にフーガの大作が多いのは何故?

2008年02月15日 21時26分55秒 | Weblog
寝覚ましはNHKFMの朝のバロック

確かに朝はロマン派の音楽よりは
繰り返しの多い機械的なバロックのほうが
ふさわしいような気がしているが
今朝は番組テーマがヘ長調の音楽で
ヘンデルのなにかをやっていた

自分は専門化ではないのでヘ長調の
雰囲気がどんなものにふさわしいか
どんな基調となる音色か分からないが
今日のコメントでは
ヘ長調は牧歌的なものにふさわしいキーだとか

そこで前から不思議に思っていたことを思い出した
それはフーガの大作は変ロ長調が多いのでは!
ということ
ベートーヴェンの大フーガ
ピアノソナタ29番の第4楽章
ブルックナーの5番の交響曲の終楽章
それらは半端じゃなく難解な音楽で
しかも変ロ長調
果たしてこれは偶然か
それとも変ロ長調の要求する音楽なのか
いったいどちらなのだろう
これは本当の音楽家しか分からない問題なのだろうか

同じフラット二つでもト短調は
少なくともモーツァルトの音楽では
なんとなく雰囲気は分かるような気がするのだが
変ロ長調になると、なんだかとっつきにくい
と感じるのは気のせいなのだろうか

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一休さんの言葉

2008年02月13日 21時29分30秒 | Weblog
確か永六輔さんのラジオ番組で
聞いた話だと思うのだけれど
一休さんが自分の寺に
困難が訪れてにっちもさっちも行かなくなった時
開くようにと何か書置きをしたのだそうだ

長い間幸運にもその書置きを開かずに
済ませていられたのだが
ついにどうにもならなくなった時が来て
その書付を思い出した人が
祈る思いで開いたのだそうだ

何かお金に関することが残されていると
思っていたらしいけれど
いざ開いてみると、そこに書かれていた言葉は
「大丈夫、何とかなる!」
の一言だったとか

たしかにそうかもしれない!
と思うことがある
未来を先回りして不安がって
萎縮したりしているが
開き直って、起きたことにしっかり対応すれば
それだけで何とかなっていくのかもしれない

とは言うものの
予想される未来に対する準備も必要で
要はバランスの問題だろう
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子供サッカーの練習方法

2008年02月11日 17時57分56秒 | Weblog
子供たちのサッカーの試合に行っての楽しみは
勝負の結果だけではなく
試合前の各チームの練習、試合中のベンチからの声、がある

当たり前と言えば当たり前だが
確かにチームはそのコーチのカラーに染まっていく
同じ選手でもコーチによってポジションが違ったり
必要とされるプレーが違ったり
そして何よりも試合のベースとなる練習に費やす時間の
内容が異なる

雨で順延した今期最後の公式戦が日曜(2月10日)あって
我々のチームは第一試合
グランドが悪かったし、試合までは時間があり
寒かったので子供たちは車の中で待機
その間に他のチームの練習、アップを見ていた

最近はどのチームもコーンを使って
細かなステップ、細かなドリブルタッチを
している所が多いが、今回もそれはあちこちで見られた
特に繊細なタッチでボールを扱えるようになるには時間がかかる事なので、
その様子からチームの練習時間の多さが、我々とは差がある事を
残念ながら実感せざるを得なかった

しかし、それが終わって向かい合ってキックの練習になったとたん
目の前の子供たちははいきなり
先ほどまでの豊富な練習時間がうらやましいチームが
「あれっ!」といったレベルまで落ちてしまった

足もとの技術、ドリブル、ターン、などは確かにうまい
しかし、蹴るほうが、、、、

幸い我々のチームは辛くも1-0でトーナメントを勝ち抜け
この日2つ目のゲームに向かった
対戦相手は我々が休んでいる間にゲームをしていたので
しっかり観察ができたが
はっきりいって、とても勝ち目はなさそうな相手だった
個人個人の足もとの技術がしっかりしていて
試合慣れしていて、判断のスピードが早く
我々はこのスピードについていけるかが不安だった
ただ攻撃が真ん中気味、ボールが持てる分だけ
ドリブルで前に運ぶ傾向があるので
一人目はとれなくても二人目と距離が上手く確保できてアタックにいければ
多少は何とかなるかなとも思ったが、、、

試合前、対戦相手のコーチと少し話す事があったが
そのチームの鍵となる選手は(テェックしておいた選手は)
やはり地域のトレ選に選ばれているとのこと
そして足もとの技術が素晴らしいと
感心した旨を述べると
自分らはこの事を徹底的にやっている
チーム戦術なんかは全然教えていないし
ポジションも各自いろいろやらせている
シュート練習なんかもしないし、、、

えっ、シュート練習しない?

結果は予想通り0-3で負け
しかし後半は
一人がダメなら二人目といった
闇試合に持ち込んだ感のある
我々が押し込んで攻め込んだ時間が多かったようだ
残念ながら惜しいまではいったが
得点のプレゼントはもらえなかった

帰る車の中でこれからの練習方法について考えた
コーンを使った練習は毎回、やはり必要だろう
しかし一番気になったのはキック、シュートの正確さなど

高校サッカーでも、最後のクロスが不正確だったり
(代表でもそうだけれど)
シュートが枠にいかない事が多いが
どうやって直していくか、
自分たちの時点でどういう練習がいいか!
考える事はいくらでもある

他のチームの練習方法を見る事は
自分たちのプラスになる事も多いので
機会があればまた見てみたいものだ


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原子心母

2008年02月09日 22時24分22秒 | Weblog
最近、たまたま2回ほどピンク・フロイドの
「原子心母」のことを話す機会があって
今日、暇に任せてレコードの「原子心母」を聴いた

時代がかっていたり、大げさなところはあるけれど
真剣に対面してその世界に慣れてくると
やはりたいした音楽だ

我々はこの音楽を古典としてではなく
進行形のものとして聴くことができ
その豊かな世界を若い時に
充分味わうことが出来たのは
つくづく幸せなことだと聴きながら思った

今の若い人は過去のものはマニアしか聞かないだろうが
こうした音楽を聴いたらどんな感想を持つのだろうか?

それにしてもこの壮大なロック組曲は
オートバイ、潮騒、電話、牛追いの音などの雑音も
ひどく音楽的で、そこには西洋の音楽の歴史を
受け継いだ人たちの臭いがして
この手の音楽はきっとヨーロッパ人にしか出来ないだろう
と確信的に思うのだった

それにしても古い音楽?と思われる中にも
いいものはたくさんあるものだ
日本にも外国にも!
それは必ずしも懐かしさが募って
自分の評価が甘くなったせいではなく
音楽が今のように消耗品ではなく
音楽が音楽自体でなりたっていたからだろうし
それが許される時代でもあったからだろう

こんな風に考えると
今は豊かな時代なのだろうか?
(評価を下すには今の音楽を聴いてなさ過ぎるが!)
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飼い犬に似る人

2008年02月07日 21時45分21秒 | Weblog
朝、犬を連れて散歩してる人を見かけた
犬はブルドッグ
そして、連れてる人は
耳当ての大きな帽子をかぶって
それが垂れた頬のようで
大きなブルドッグみたいだった

犬が飼い主に似るのは
聞いた事がある様な気がするけれど
飼い犬に人が似るというのは
なんだか奇妙な感じがして
つい笑ってしまった
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ワールドカップ予選 日本対タイ戦

2008年02月06日 21時46分58秒 | Weblog
日本4-1タイ

セットプレーからではあったが
すばらしいシュートが見られたゲームだった

遠藤のFK キーパーの届かないところに
完璧にタイミングもずらして 
あれはキーパーは仕方ないだろう

中沢のヘッド 前々からヘッドは大きな武器なのは
分かっていたが、あのように少し後ろにバランスを残しても
キチンと枠内に運んだのは立派!

そしてタイの得点 あのシュートも敵ながら
すばらしいシュートで止めてから撃つまでの速さと
そのシュートのコース、質もすばらしかった
彼のシュートがまぐれではないかもしれないのは
前半の中ごろ彼が一発で方向転換を試みた
トラップをしたが、確かにセンスありそうで
怖い相手!と思わされた一瞬だった

大久保、巻は、らしい得点といったところ
心情的には巻は前の2試合とも必死に頑張っていたので
ご褒美をあげたい気もしていたところだ

さてゲーム
入り方が心配だったが、まずまず
心配なのは最近駒野の調子がイマイチなところ

内田も万全ではないが将来を期待して
細かいところには目を瞑って経験をつませたい

山瀬 得点に絡んだシーンと
試合開始以外はなんとなく存在感なし
一方遠藤、中村は安定してみていられた
特に中村の縦のパスは魅力的で
得点の可能性を感じさせる

やはり今までやってきた時間の長い
メンバーのほうが意思疎通が上手くいくようだ
その意味では山瀬にはもう少し時間が必要かもしれない

高原 まだコンディション不足
ただいつも思うことなのだが
あまり下がってもらいすぎなのでは
基本的にはもう少しゴールに近い位置にいてほしい
といっても状況次第だが

この試合は内容よりも結果を求められたので
その意味では岡田監督は胸をなでおろしたことだろう
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20年ぶり「子供のための組曲」

2008年02月03日 22時03分21秒 | Weblog
今日は雨のせいで予定されていたサッカーの試合は順延
そこで暇つぶしにレコードをあれこれ見ていて、見つけたのが
「子供のための組曲」
長沢勝俊作曲 日本音楽集団演奏

一応A面は同じ作曲家の「人形風土記」となっているが
自分はこちらの曲の方が好きなので
約20年ぶりに聞いてみた

幸いレコードにカビは湧いておらず
雑音もなく楽しむ事ができたけれど
最初の楽章の琴の音色からして、古い楽器なのだけれど
若々しく新しい感じがして一気に最後の楽章までいってしまった

この曲は子供のためにと言いながら、どうしてどうして
大人も充分に楽しむ事ができる
ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」
プロコフィエフの「ピーターと狼」
と同様に、それぞれの楽器の特色の理解に役立つ曲だ
だが、こうして聞いていると自分が日本人だとつくづく感じてしまう
尺八や琵琶の音が深く感情に響いてくる
整然とはしていなくてもダイレクトに訴えかけてくる
この曲はもっと頻繁に演奏されてもいいと思うのだが
奏者が集めにくい編成なのだろうか

話は変わって日本人の音楽でも
武満徹の「弦楽のためのレクイエム」
     「ウィンター」
吉松隆の「朱鷺によせる哀歌」
高田三郎「水のいのち」(合唱曲、特に川)
等は個人的な思い出も重なって好きな曲となっていて
それらはヨーロッパの音楽に勝るとも劣らない存在として
自分の中では位置づけられている

日本人の音楽はベートーヴェンやモーツァルトほど
聞く機会がないので、もう少しその機会を増やしてもらいたいし
日本人の音楽の現在の啓蒙もあわせて行ってもらいたいものだ

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~屋さんが、なくなっていく

2008年02月01日 22時07分33秒 | Weblog
子供の頃、家の周りには
紙屋さん、酒屋さん、お米屋さん、鍛冶屋さん
瓦屋さん、下駄屋さん、靴屋さん、建具屋さん
そんな店が5分も歩けばあった

しかし今残っているのは紙屋さんだけ
(ここは問屋さんでもあるので残っている?)

去年は酒屋さんと地元のスーパーが廃業した
特に酒屋さんは頑張った人たちで
名門酒会にも入って珍しい酒を紹介したり
品揃えしたり、自らがビールのソムリエの資格を獲ったり
独自ブランドの酒を発売したり気を吐いていた
具体的にどんな理由で廃業したのかは知らない
しかし少なからず時代の変化に嫌気がさしてきてしまったのではないか

数年前は電気屋さんが店をたたんでしまった

その結果、買い物は近くで済ます事ができなくなりつつある
大型スーパーで一度に買い物をするか
町の電気屋に出かけたり、ディスカウントストアで酒を買ったり
車で出かけなければならなくなった

これは消費者だけ問題ではなく
小売店の人々の生活としても大きな変化を
否応なく経験させられているだろう

今は間違いなく、大が小を飲み込む時代だ
少子高齢化で市場自体が小さくなっている時に
手っ取り早く昨年対比をクリアするには
他の店舗のシェアを奪う事にある
資本的に体力のある所は新店舗、
そして価格的にも強力な攻勢で
中小零細企業を廃業に導いていく

現在多くの中小零細の小売業の感じている実感、不安は
今の状況は必ずしも景気の問題ではなく
時代の急激すぎる変化のよるのもで
もはや自分たちの努力の限界を超えた所で動いていて
自分たちは何を手を打ったらいいか
また、何かするとしてもその原資はどこから確保するのか
ほとんど絶望に近い滅入った気分に
毎日陥らされているだろう

これらは資本主義だから仕方のない事?
存在価値のないものは市場から消えていくべき?
そうこうするうちに、また新しい商売のきざしがあるはず?

しかし、単純にそうは思えない所に
今の闇の深さがあるように思える
ここから派生する希望になさは
子供の将来に対する感覚につながって
子供を産もうとする女性の不安に拍車をかける

多くの人が鬱になっている
(身の周りにも数人見かける)
これから先世の中はどうなっていくのだろう?
なぜだか向かっている方向が好ましい方向ではない
と思えて仕方ないのではないか
(悲観的な日本人だからそう感じる?)

この問題は難しい
おそらく個人の力では解決できないだろう
となると個人にできるのは根本的な解決法ではないが
自分の気持ちの持ち方をかえて
一日一日を乗り切る事だけ?

たしかに庶民はどっこい逞しく生きていく!
というのも真実だろうが
もう少し単純に、誰もがいい時代!
と感じられるような方法はないものだろうか
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