パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

久しぶり、「ケルンコンサート」を聴いて

2011年05月02日 20時00分12秒 | 音楽

本当に休日ぽい一日

腰痛対策に整体に行って、それから豊川の本宮の湯

後はダラーとゆったりした時間の流れに任せて、、

 

そんな中急に思い立ってキース・ジャレットの「ケルンコンサート」の

レコードを引っ張り出して聴くことにした

この有名なアルバム、実は自分には前作の「ソロコンサート」の方が

衝撃的だったし好きなのだが、ここで見られる集中力も捨てがたい

 

聴き流すのではなく、真剣に聴いてみると結構面白い

全くの即興で進められていくのだが

あるフレーズを思いついて、そこから更にインスピレーションが働いて

いろんなアイデアを柔らかに表にしていく

その意識の流れみたいなものが感じられる

それはフルトヴェングラーの指揮する音楽の印象に似ている

 

ただ何でもありの即興は、ある意味自由すぎて辛いかもしれない

などと老婆心ながら心配してしまう

人に発想はパターンとか癖があって奔放なようでも

以前やったものの変形になってしまう可能性がある

さすがのキース・ジャレットでもソロコンサーをばっかりを続けていた頃は

アイデアのマンネリ化(聴く方も)で自分自身がしんどくなってしまったのではないか?

 

多分演奏家だけでなく作曲家でも同じことが言えそう(小説家も)

それを思うとモーツァルトはなんと凄いことか

 

話は戻って、全くの自由よりは多少の制限があったほうが人は想像力を

より発揮できたりするのかもしれない

俳句、水墨画の技法は不自由さから生まれた

受け手の想像力をあてにした技術

音楽も規則のなかでやって行くほうが

想像力の掘り下げ方がアップするかもしれない

そのなかで、どうしても不自由で仕方なくなってしまったとき

全くの自由の表現方法に出会えれば

最初からの自由とは随分違った世界になっているはず

 

などと相変わらず、どうでもいいことをあれこれ考えた

良い休日でありました

コメント
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