年末だから、と言うより気分がその気になったから
引っ張りだしてきたフルトヴェングラーの
あの有名なバイロイトでの第九のレコード(小池レコードで購入したもの)
実はこの演奏を聴くのには勇気が要る
それは初めて聴いた時の感動が鮮烈で、聴き直すとその時の感動の記憶、印象が
何処かに飛んでいってしまわないかという恐怖に襲われるからだ
だから、この演奏を聴くのは気合を入れて聴く気になった時にしかできない
久々の少し大きめの音量で聴けたので、その迫力や楽器間のやり取り
演奏の息遣い、間、気分の変化がよく感じ取れた
以前はちょっとノッテイないかなと思われた第一楽章でも、
今日はなにか巨大なものの始まりを暗示しているようで
それに真空管も温まってきたせいか全体の音も
バイロイト祝祭劇場のおかげもあるかもしれないけど
とても柔らかく厚く 好きな音色に感じられる
調子の出てきたのは第2楽章から
楽器間のやり取り、表に出たり引っこんだり
演奏が指揮という行為のもとになされているというより
始まってしまった音楽があるべき姿で
勝手に進んでいくような感じ
第3楽章のあのファンファーレの後の深い寂しい音色と間
これを聴くだけでこの演奏は尋常でないことがわかる
そして第4楽章
思いっきりピアニシモから始まる歓喜の歌の旋律
いつまで続くかと思われるほど合唱ののフェルマータ
絶妙な休止の後はじまるトルコ風の音楽
そして熱狂極まりないコーダ
これら聴く者にとっても単なる音楽の鑑賞体験にとどまらない
それよりは、何か人生体験のような印象さえ覚えさせる
演奏という行為が単なる作品の再現ではなくて
聴く人の心のなかに何事か起こすような
そんなことを感じさせる演奏だ
第9をこれからも聴くことはあるだろうけれど
この演奏は、とても大事にとっておいて
本当にその気になった時にしか聴かないだろう
何回も聴く気になるのが
いい演奏というのではないのだ