娘の踊りの発表会。
一年かけて一つの演目を練習して、衣装を決めてカツラを合わせて、たくさんのお金がかかるのでこっちが心配するくらいアルバイトを詰めて…迎えた当日。
今回は先生についているお弟子さんの公演の25周年と言う事で、みなさん張り切った演目が並ぶ。
娘も意を決して白化粧にカツラで小道具を使うと言うものに挑んだ。
このカツラは出来合いのものではなくて、ザンバラのものを演目と演者の頭の形に合わせてオーダーメイドで仕立ててもらうもの。それ故高額な費用がかかるけれどそれも日本の文化の継承のためと先生がその方に頼んで京都から来てやってもらっているらしい。
楽屋にはカツラ師と化粧師、着付けの方がいらして、それぞれ専門的な技法と材料で伝統の技を駆使して仕上げて下さる。それを見るだけでも感動もの。
化粧も胡粉を刷毛で塗る伝統的なもの。白と赤と黒の三色だけでそれぞれが仕上げられていくのが見事。
お嫁入りの時のようにデコルテも背中も手も真っ白に塗ります。
髪型も帯びの結び方も着物の柄も着付けの仕方も、役柄の年齢や社会的地位に見合ったものや季節のものが反映されていて興味深い。髪飾り一つでも工夫が合ってなるほどと思わされる。
大きな舞台に一人で出るのはさぞかし勇気がいるだろうと思う。なかなかない体験だ。
桶に白い布を入れて登場した娘。私は何をするのか殆ど聞いてなかったので、展開が楽しみ。
「友禅晒し」と言う私の手仕事と繋がった演目で、その偶然に驚く。白い布を染めると言う作業は、真っ白な状態から自分を性格づけて用途に有用に成長すると言う意味も感じられて、今の彼女にもぴったりだと思う。さすが先生。
水に布を晒す動作がひらひらの布であらわされる。さながら日本の新体操(歴史はこっちがずっと古いけど)。
新春かくし芸大会のようで華やか。すごい芸当を身に付けたもんだなあと思う。
こんなの外国に行った時にやったらさぞかし受けるだろうと思う。
準備にものすごい時間とエネルギーとをかけているのに、本番は10分足らずでお仕舞い。
もう一回観たい気持ちになる。まあ仕方ないなあ。DVDもあるらしいからそれをまた観よう。
他の方の演目も観る。さまざまな題と趣向の踊りが続く。
見ていると水をテーマにしたものが結構ある。
水たまりだったり娘のように川だったり。
狸屋島と言う先生の踊りの中では大きな海の波が出て来た。
それが2本の扇の動きと体の上下、曲線の足跡で表されてるのだけれど、見ているうちに舞台の上いっぱいに大きな波がうねって広がり泡立つさまが見えるように展開されてきた。そのダイナミックさに心を掴まれた。
ハイテクの3D映画とかあるけど、扇二つで本物の海を舞台の上に創り出してしまうとは、日本舞踊とはとてつもない芸術なのだなあと感心する。
他にも散る花や風、モミジの紅葉するさまなど次々に簡単な屏風だけのセットと少しの小道具で表すのだ。
時に滑稽で時におおらかでまた力強く、たおやかな乙女や芯の通った女性も出てくる。
次々と現れるイリュージョンに釘づけ。日本舞踊、すごいなあ。
あと、印象深かったのは90歳以上のお年寄りの踊りを観た時。
何かに印象が似てると思ったらそれは小さな子どもの踊りだった。
ドンとした力が出るわけでなく、ふわふわと時には振りを忘れて立ち尽くしたりするのがこちらにもわかるくらいなんだけど、見てて好ましくかわいらしい。出ているだけで拍手を送りたくなる。そして心が暖かくなる。
人と言う存在の元の価値を見せられた気がする。
そんな話を娘にすると、「一緒にお稽古して出てた芸人の人もそんなこと言ってたわ。良く出張で保育園とかお年寄りの施設とかに行くんやけど、笑うところとかの反応が一緒やねんて。」
やっぱりか。来たところにまた戻るのだなあ。
白く空白の多い、そのとらわれのない存在。その尊さ美しさ。
そんなこんなを体験出来て素敵な年上の仲間がたくさんできた踊りのお稽古に行けて娘は幸運だと思う。
何より先生の使命感をも感じさせられる活動の様子が伝わって来てこちらも温かくなる。
娘はどれくらいあと続けられるかわからないけど、大学時代の大きな柱の一つとして舞踊に取り組んで来た事を人生で誇りに思う事だろう。私もそう思う。
お疲れ様、ゆっくり休んでその後は残り少ない大学生活を充実させて送ってね。