――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
岡田外務大臣が3月17日の衆議院外務委員会で自民党の岩屋毅議員の質問に答えて、鳩山政権として非核三原則を堅持する方針を改めて強調、その一方で将来、有事の際に核兵器を積んだアメリカの艦船の日本立ち寄りが迫られた場合には時の政権が判断すべきだという考えを示したという。
《“有事の際 時の政権が判断”》(NHK/10年3月17日 16時44分)
岡田外務大臣「鳩山政権は、非核三原則を変えるつもりはない。・・・・もし核の一時寄港を認めないと、日本の安全が守れないという事態が発生した場合には、その時の政権が命運をかけて決断し、国民に説明すべきだ」
社民党などが求めている非核三原則の法制化については――
岡田外務大臣「鳩山政権として法制化という考えは持っていない。ロシアや中国の艦船が核兵器を積んで日本の領海を通過しないという担保をどうとるのかといった問題などがあり、こうしたことに明確に決着をつけないと、法制化は難しい」
「衆議院インターネット審議中継」からこの部分のみを文字化してみた。
岡田外務大臣「問題は議員ご指摘の、じゃあ、緊急事態ということが発生したときに、どうするか、ということであります。我々は非核三原則をは守ると、いうふうに申し上げております。非核三原則って言うのは、それは国民を守るために非核三原則と、いうことを主張しているわけでございます。
あんまり仮定の議論はすべきではないとないと思いますが、緊急事態ということが発生して、しかし核の一時寄航ということを認めないと、日本の安全を守れないという事態がもし発生したとすれば、それは、そのときの政権が政権の命運を賭けて決断をし、国民のみなさんに説明をする。そういうことだと思います」――
要するに緊急事態発生時、いわゆる有事の際の核政策に関して時の政権の決断と国民への説明をセットにしているということであろう。
例えセットにしていたとしても、断るまでもなく政権の「決断」を「国民に説明」のみで終わらせることはできない。決断の「説明」を受けて国民の側に納得、承諾、反対、拒絶といった反応が生じる。納得、承諾の反応の場合はいいが、反対、拒絶の場合の次なる政権の「決断」はどうするのかという問題が発生する。
「あんまり仮定の議論はすべきではとないと思いますが」と言いながら、可能性としては絶対ないとは否定できない将来事項だからこそ「仮定の議論」にまで踏み込んでいるのだろうから、次の局面として確実に生じる“国民の判断”に対応する政権の「決断」にまで踏み込んだ危機管理構築への備えがないと、「核の一時寄航ということを認めないと、日本の安全を守れないという事態」が発生してから「国民に説明」では遅きに逸することにならないだろうか。
それとも国民の大多数に反対、拒絶の反応が生じた場合は単に「国民に説明」のみで終わらせて、無視するのだろうか。あるいはそのときの国民感情から国民の反対、拒絶を読み込んだ場合、責任逃れから、国民に対して秘密裏に核の持込を許す、いわば事勿れで済ますことができる“密約”へと姿勢を先祖返りさせるのだろうか。
この岡田発言に対する平野官房長官の3月17日午後の記者会見での反応を《有事の核持ち込み、容認せず=岡田外相発言に不快感-平野官房長官》(時事ドットコム/2010/03/17-17:07)が伝えている。
平野「政府として容認するという立場にない。非核三原則を守るということは、鳩山由紀夫首相も発言している」
平野「(核持ち込みを)容認するという発言ではないのではないか。どういう有事のことを言っているのか、よく承知していない。たらればのケースで政府が言及することは控えないといけない」
現在の政治状況が判断し得る危機のみならず、将来に亘って判断可能なあらゆる危機を想定してそれぞれの対応策を前以て講じておくことが安全保障上の危機管理であろう。判断可能なあらゆる危機の想定とは、「たらればのケース」を以って行う危機の想定なのは断るまでもない。
それを「たらればのケースで政府が言及することは控えないといけない」は平野官房長官が事勿れな政治家だからなのは言を俟たない。東海地震対策にしても、「たらればのケース」に備えて二十年三十年と対策を講じてきた。国民の反核感情が強いからと言って、安全保障上の危機の想定から逃げるのは事勿れと言うほかない。
当ブログ3月14日記事――《核密約/国家権力の“密約”よりも国民の判断を優先させる方法論とその効果》に次のように書いた。
〈日本の安全保障上、当時の国際状況に於いては最低限アメリカの核の持ち込が必要だと国家権力が考えた場合、それを果たすためには国民の反核感情が障害となったとしても、その障害をクリアする努力を最初に持ってくるべきであろう。
説明し、同意を得るのも政治家の能力である。自らの望む方向に如何に説明をし尽くすか、政治家の説明の能力にかかっている。
政治権力が自ら正しいと判断しているなら、説明して、その正しさを獲得すべきである。
もしいくら説明しても国民には理解する能力がないと看做して秘密の取り決めを選択したというなら、一種の愚民政策となるばかりか、国民を下に置いて自らを上に置く危険な思い上がりとなる。政治権力が常に絶対でもなく、常に正義を体現するわけでもなく、往々にして過つ存在だからだ。
同意を得る方法は選挙に諮る方法が一般的であるが、選挙は選挙区の利害等が絡んで争点を必ずしも一つに絞ることはできないというなら、このことは厳密には郵政選挙でも同じだったが、憲法改正に関わる国民投票のみならず、重要政策を諮る国民投票法を制定して、争点を一つに絞った政策についての国民の判断を仰ぐ方法もある。
国民の判断が誤ったとき、勿論、国民の責任となる。だが、国民が責任の帰属を自らに直接課せられる判断を求められることによって、その政策に関わる判断に応じようとした場合、その政策についての政治意識を否応もなしに高めざるを得ず、それは他の政策に対しても反映され、役立つ効果を生むはずである。〉――
岡田外相が言う「国民に説明」はさらに「国民の判断」をセットとしなければならないということである。その判断が持込みノーの場合、時の政権の決断は国民の判断に従う“決断”になるのか、従わない“決断”になるのか。
国の安全保障、国家的危機管理を国民自らが引き受けて行わなければならない責任意識の育みに役立たせるためにも、今から国民の判断に従うとすべきだろう。日本の安全保障の命運は国民の判断と責任に任せると。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
生方幸夫民主党副幹事長が3月17日付産経新聞のインタビュー記事で小沢幹事長を批判、そこから自民党鳩山邦夫離党騒動と肩を並べる生方副幹事長解任劇の民主党騒動が始まった。先ずは他人はいざ知らず、自身の後々の記憶のためにインタビュー記事を全文引用してみる。
《【単刀直言】生方幸夫民主副幹事長「党の“中央集権”、首相は小沢氏を呼び注意を」》(msn産経/2010.3.17 00:40)
与党に政策部門がないのは絶対におかしい。民主党に元気がなくなったのは、自由に議論する場がなくなったからです。政策調査会と、その下の部会を再び作って、みんなが自由な意見をいえるように戻さないといけません。
衆院選マニフェスト(政権公約)の実行が思うようにできていません。それに対する十分な説明を民主党がしきれていないのは、党に政策責任者がいないからです。説明を一つ一つしていれば、民主党への信頼が今のように落ちることはなかった。
鳩山さん(由紀夫首相)は約10年前に「1人1政策作ろう」と、仲間たちに呼びかけたはずです。政権交代で、それを実現しようと思ったら、議員立法も制限されてしまった。政治主導にはほど遠い。
われわれは自民党政権がやってきた中央集権はダメだと言ってきた。地方分権にしようといってきたのに、民主党の運営はまさに中央集権です。今の民主党は権限と財源をどなたか一人が握っている。下に権限と財源が与えられていない状況はおかしいでしょ。党の代表である鳩山さんは、小沢さん(一郎幹事長)を呼んで党が中央集権になっていることをきちんと注意してほしい。
1年生議員は民主党に入ったときから、強度の管理体制下に置かれているから、しゃべっていいものかどうかすら分からないんじゃないでしょうか。
民主党への信頼が低下している要因には「政治とカネ」の問題もあります。小沢さんに関して、今までの説明に納得していない人が圧倒的に多数で、幹事長をお辞めになるべきだという意見が多い。小沢さんがしかるべき場所できちんと説明するのが第一。それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかないです。
国民は小沢さんが不起訴になったから全部シロだとは思っていないんですよ。おそらく説明できないんでしょうね。小沢さんは前よりだいぶ権威づけられてきたというか、権力者になってきましたね。
北海道教職員組合の問題は、これも一番上は(出身母体が日本教職員組合の)輿石さん(東・参院議員会長)ですからね…。(民主党議員は)組合からあまりお金をもらっちゃいけない。組織内候補といわれる方の献金額は常識的な額ではない。参院選への影響は、政治ですから何があるか分かりませんけど、要するに言い訳から入る選挙は勝てませんよ。
公明党とどうするかは党の方針の問題です。議員の意見を聞かないといけません。国会運営をうまくするためにとか、味方が一人でも多けりゃいいと思って連携するなら大間違い。誰かの思いつきでやっていいことではない。選挙で公明党がイヤだから応援してくれた人だっていっぱいいたわけですから。(坂井広志)
◇
うぶかた・ゆきお 衆院千葉6区選出。当選4回。横路孝弘衆院議長のグループに所属。昭和22年、東京都生まれ。47年、早大卒。読売新聞記者を経て経済評論家に。平成8年の衆院選で初当選。今年3月、民主党有志でつくる「政策調査会の設置を目指す会」世話人に就任。
要するに言っていることは民主党は小沢独裁体制下にあって、誰も言いたい意見が言えない言論封殺状況にある。だから、「みんなが自由な意見をいえるように戻さないといけ」ない。小沢独裁体制からの解放、言論封殺の解除である。
だとしたら、鳩山首相も小沢独裁体制に縛られている一人であって、「小沢さん(一郎幹事長)を呼んで党が中央集権になっていることをきちんと注意」することなどとてもとてもできない芸当としか言えない。ただでさえ指導力が欠けていると言われている鳩山首相である。
この欠けている点を見ると、小沢幹事長が陰で首相を操っているようには見えない。小沢幹事長の豪腕に反する言葉のブレ・行動のブレとなっているからだ。
だが、そのような言論封殺の小沢独裁体制に刃向かって、生方副幹事長は新聞のインタビューを利用して敢然と批判した。首相が注意できないことを一副幹事長の身ながら、「党が中央集権になっていることをきちんと注意」した。
「政治とカネ」の問題もある。国民に向かってきちんと説明して納得を得ることができなかったら、自ら辞任すべきだと、党独裁者に向かって新聞を通して要求した。北朝鮮労働党の幹部が金正日に向かって北朝鮮のためにならないから辞任すべきだと迫ることと比較できる大胆な挑戦とまではいかないが、日本が民主国家であるのに反して一独裁を形成していると自ら看做している組織にあってはなかなか勇気ある行動と言える。
民主党の対応は高嶋筆頭副幹事長がその批判を取り上げ、生方氏に対して副幹事長の辞任を求めたが、生方氏は応じなかった。では解任だと、騒動は一挙に高まった。
《生方氏 副幹事長辞任に応じず》(NHK/10年3月18日17時11分)
高嶋筆頭副幹事長の辞任要求理由は次のように書いてある。
「党内で自由に意見を言う場はいくらでもある。執行部の一員が、外部に対して執行部を批判するのはまちがいであり、責任を取るべきだ」
生方副幹事長の拒否理由。
「党をよくしようと思って発言したのであり、辞める理由にはならない」
言ってみれば喧嘩別れだろう、生方氏は別れたあと、記者団に次のように発言している。
「発言一つを取り上げて、よい悪いを言い出したらきりがなく、このままでは、民主党は言論の自由がない党になる。元秘書らが3人起訴されても役職を辞めない人もいる。筋の通らない話であり、辞任しない」
生方氏の「このままでは、民主党は言論の自由がない党になる」は現在のところ「言論の自由」を一応維持しているということになるが、インタビューでの、「自由に議論する場がなくなった」、「民主党の運営はまさに中央集権」、「権限と財源をどなたか一人が握っている」、「1年生議員は民主党に入ったときから、強度の管理体制下に置かれている」等々と看做している独裁状況と矛盾する、「言論の自由」の一応の維持となる。
また、「言論の自由」の一応の維持ということなら、「みんなが自由な意見をいえるように戻さないといけません」は同じく矛盾した過剰反応となる。
両者の主張をより詳しく伝えている記事がある。《民主内紛 生方、高嶋両氏それぞれの言い分》(msn産経/2010.3.19 00:45)
18日に記者団に対して自らの正当性をそれぞれ訴えたものだという。これも自身の記憶に供するために発言部分を全文引用する。
【生方幸夫副幹事長】
党幹部は「外部に向けて執行部批判をするのはけしからん」「責任をとって辞表を出してほしい」ということだが、辞める理由はなく、辞表は出さない。党の倫理委員会に出て堂々と話をする。
「批判があるならなぜ正副幹事長会議で発言しないんだ」とも言われた。しかし、会議は15分しかなく、議論をしたこともない。(産経新聞のインタビューで問題とされたのは)小沢一郎幹事長に対して、「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」と批判した部分だ。高嶋良充筆頭副幹事長からは「事実ではないのに外部に向かって言うのはおかしい」と指摘された。
党議拘束に反して何かしたとしてもせいぜい厳重注意だ。役職を解くのはかなり重いので、「元秘書らが3人逮捕されている小沢氏の責任を何も問わず、外部に向かって批判したから辞めろというのはおかしくないですか」と反論した。自己責任で話をするのは政治家として当たり前で、発言一つ一つをとらえて、いい悪いを言い出したら言論の自由がなくなる。普通に話したことが執行部批判だから辞めろというのでは、筋が通らない。
【高嶋良充筆頭副幹事長】
生方幸夫氏に副幹事長の職務と責任を果たしていないとして、(副幹事長の)辞表提出を求めた。副幹事長は、党執行部の一員で意見があれば党の会議で主張し、党がよくなる方向で頑張るのが職責だ。党への批判を含めて一切会議では発言せず、党外に大々的に言うなんて職責をまっとうしていない。
政策調査会復活の件でも会議では発言せず、改革案を役員会で決めているときにだけ反論したので、私が「それはあまりにも卑怯(ひきょう)じゃないか。なぜもっと早く言ってくれなかったのか」と迫ったこともあった。
(17日付産経新聞に)インタビューが掲載され、党や支持団体への批判が外部に向かって出たことは大きな問題だ。(党内に言論の自由がないという批判に対しては)まったくそう思わない。小沢一郎幹事長の問題でも副幹事長なのだからいつでも話ができたはずだ。
党内から「(生方氏の)やり方が卑怯ではないか」という意見が多数寄せられた。放置すれば党内の意欲や党の求心力もそがれると思い、私の判断で老婆心ながら辞表提出が一番いいと伝えた。
小沢幹事長が「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」、その結果、自由な議論が抑圧されているとするなら、何と何に対して、そしてどこまでの「権限と財源」のことを言っているのだろうか。党の運営に対して、ありとあらゆることに関する「権限と財源」のことなのか、内閣の運営と政策立案に関わるすべてに広げたところにまで「権限と財源を1人が握っている」ということなのだろうか。
だが、内閣の運営と政策立案に関しては党と内閣、あるいは首相を含めた各閣僚が相互に影響し合うことはあるだろうし、あるいは所属省庁の官僚の指示や党からの指示を丸受けしたものであっても、全部が全部そうではなく、閣僚それぞれが自らの考えに立って議論を展開し、最終的には自らの「権限と財源」に従って組織と政策を運営しているように見える。
党の運営に関してのみの「権限と財源」を握り、その結果としてすべてに亘って他に口出しさせない言論封殺が行われているということなら、民主党執行部が代表鳩山由紀夫、代表代行空席、幹事長小沢一郎、政策調査会長直嶋正行、国会対策委員長山岡賢次、参議院議員会長輿石東によって構成されている組織としての意味を失い、まさしく小沢独裁党体制と言える。
だが、それを事実だとするためには、何と何に対するどのような「権限と財源」を握って恣意的に行使しているのか、すべてに関して具体的な説明を尽くす責任を有するはずである。
内閣の運営と政策立案に関してまで独裁的支配下にあると言うなら、その構造に関しても具体的な説明が必要となる。
そういった説明もなく「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」で片付けた場合、生方発言が民主党は小沢独裁体制だとする判断の根拠とされることになる。
勿論以前からの印象もあって、小沢独裁体制だと談じている向きもあるだろうが、それらの印象のすべてとは言わないが、多くが「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」と同じ類の言葉を根拠としている可能性も否定できないはずである。
逆に「民主党は中央集権で権限と財源を1人が握っている」といった言葉が民主党に於ける党運営、あるいは内閣運営は小沢幹事長による独裁体制だとの誤った予断を与えている側面も同じく否定できないはずである。
例え生方氏の言っていることが全面的事実だとしても、全面的事実であることの具体的説明を必要条件とするはずである。必要条件としないから、谷垣禎一自民党総裁の「印象に」に基づいた反応を誘うこととなった。
《生方氏解任は強権的=自民総裁》(時事ドットコム/2010/03/19-12:02)
谷垣「かねがねあそこの党の運営は極めて強権的、独裁的だと思っていたので、その現れなのかなという印象だ」
公明党井上義久幹事長「民主党内の問題だから評価する立場にない。一般論で言えば自由闊達(かったつ)な議論があってしかるべきだ」――
また生方氏が、「元秘書らが3人起訴されても役職を辞めない人もいる。筋の通らない話」だと言っていることに関しても具体的な証明を必要とする。なぜなら、例え秘書が何人逮捕されようが、検察の事情聴取を経ても何ら起訴材料となる疑惑を現在のところ見い出せていないのだから、検察に代って「筋の通らない話」であることを証拠立てなければ、自分の言っていることが正しいことだとすることはできないはずだ。
高嶋筆頭副幹事長は「党や支持団体への批判が外部に向かって出たことは大きな問題だ」と、谷垣自民党総裁が舛添要一や与謝野馨、さらに鳩山邦夫が党内部ではなく外部で執行部批判したり新党問題を発言したとき同じ批判を展開している。
鳩山邦夫の場合は谷垣批判を正論だとして、党を出て、党の外で批判しましょうと離党し、新党の立ち上げを策した。順調にはいっていないものの、民主党の高嶋筆頭幹事長も谷垣自民党総裁も同じ批判基準に則った人事管理を基本としていた。
谷垣総裁の批判基準が正しいなら、高嶋筆頭幹事長の批判基準も正しいことになる。勿論、生方氏にとっては、「自己責任で話をするのは政治家として当たり前で、発言一つ一つをとらえて、いい悪いを言い出したら言論の自由がなくなる。普通に話したことが執行部批判だから辞めろというのでは、筋が通らない」と言っている以上、正しいとは決して言えない批判基準なのは言を俟たない。平行線を辿るしかないことになる。
確実に言えることは、生方氏は自身の小沢批判をマスコミにに大々的に取り上げられて世間に広く知らしめることができ、一定の目的を果たしたかもしれないが、同時に民主党は小沢独裁体制だとの印象を一層のこと国民の多くに強く信じ込ませ、民主党に対する忌避感・嫌悪感を逆に強めるマイナスをつくり出した。
ここに彼の功罪がある。
結局のところ、夏の参議院選挙が審判を下すことになるだろう。民主党の中で誰が勝利するか、そのとき決着がつく。
例え民主党が大敗し、民主党内の反小沢派が勝利することとなったとしても、過半数形成のために公明党と組む動きが出た場合、生方氏は「公明党とどうするかは党の方針の問題です。議員の意見を聞かないといけません。国会運営をうまくするためにとか、味方が一人でも多けりゃいいと思って連携するなら大間違い。誰かの思いつきでやっていいことではない。選挙で公明党がイヤだから応援してくれた人だっていっぱいいたわけですから」と言っているが、多くが過半数獲得・与党維持の打算で動くことは予想でき、それを見越すことができさえしたら、最終的決定は民主主義のルールに則った多数決を取ることになるに違いない。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
勝手に別れて出て行った母親に以前は自分たちだけでも出て行くと言っていた二人の子どもはついていくのは厭だ、お父さんのところにとどまる言い出して、母親の夢を打ち砕いた。お父さんの心を入れ替えさせ、生まれ変わらせるんだと。見放した母親と見放さなかった二人の子ども。いくら凋落したとは言え、父親の持つ類縁はひとかどの財産で、捨て難いものがあった。
一幕目のドタバタが予告編のおどろおどろしさとは打って変わった拍子抜けで幕を閉じ、ニ幕目は党執行部刷新の攻防と勝手に出て行った母親に対する報復の新機軸ドタバタ二本立てが早くも幕開け。
先ずは既に前のブログ記事で書いたが、3月17日の与謝野主宰の「正しいことを考え実行する会」会合で、谷垣総裁は自民党員みんなで選んだので代える必要はない、総裁以外の執行部の一新を求めることで一致、こうした意見を直接伝えるため、谷垣総裁に会への出席を求める方針を決めた。
では新党騒動は何だったのかというと、与謝野側近の若手後藤田正純衆院議員「あくまで党改革を求める決死のメッセージだ」
だったら、執行部刷新が成されなかった場合は新党結成もあり得るとその可能性を掲げつつも、新党結成を後ろに置いて先に執行部刷新の運動をギリギリまで展開すべきだが、与謝野馨は「執行部を交代させて新生自民党を立ち上げるのか、新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていくか、時間は差し迫っており、私が決断を下す時期はそう遠くはないだろう」と、後先ではなく、二つの道を前に置いて、これかあれか「決断を下す」と、何のためなのか、性急さを「時間は差し迫っており」という表現で見せて宣言していた。
尤も与謝野馨本人も17日の「正しいことを考え実行する会」会合で自らの新党騒動は何だったのかを健忘症よろしく棚に上げた発言を見せている。《自民・与謝野氏らが新党結成ではなく党改革実現を目指すことを確認》(msn産経/2010.3.17 13:33 )
「新党を目指すということを言っているのではない。自民党の支持率が上がらない現実を、執行部が危機感を持って考えないといけない」――
「執行部を交代させて新生自民党を立ち上げるのか、新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていくか」云々のどこがどう「新党を目指すということを言っているのではない」になるのか、鳩山邦夫が言っていた「日本一頭のいい政治家、与謝野馨」でなければ誰も理解できないに違いない。
「正しいことを考え実行する会」が正しいことだと考えて谷垣総裁に会への出席を求める方針を決めたことに対して、大島幹事長が、「勉強会出席を求めるよりも与謝野氏が谷垣氏に会いにくるべきではないか」(msn産経/2010.3.17 23:02)と言いなり一方にはならない抵抗の構え。既に執行部対反執行部の新たなドタバタの展開となった。
ところが「正しいことを考え実行する会」が3月17日の会合で谷垣総裁以外の執行部の一新を求めることを正しいことだと決めたにも関わらず、次の日の18日午前に後藤田正純は党本部で大島幹事長と会談。
《大島氏 総裁と意見交換の場を》(NHK/10年3月18日 13時38分)――
大島幹事長「与謝野氏の勉強会だけではなく、谷垣総裁が党内のいろいろなところに行って意見を聞き、民主党と戦ううえで、一致協力していくための前向きな意見交換を行う機会を設けることを検討したい」
これは「勉強会出席を求めるよりも与謝野氏が谷垣氏に会いにくるべきではないか」と言っていたことに変節した言葉となっている。
尤も変節は後藤田議員もどっちもどっちの同罪を犯している。しかも一夜の変節である。会談後記者団に次のように話したという。
後藤田「我々は、谷垣総裁を吊るし上げることもないし、党を思う気持ちは執行部といっしょだ。今の執行部の体制を維持しながら、中堅・若手が表に出られる体制を作るなど、いろいろな知恵があるのではないか」
正しいと決めた谷垣総裁以外の執行部一新が、「今の執行部の体制を維持」へとどういう正しいとする理由からか、何があったのか、正しい軌道修正に入っている。
しかも、「我々は、谷垣総裁を吊るし上げることもない」とは何と思い上がった言葉だろうか。
新党も後退、谷垣以外の執行部一新も後退、与謝野馨と「正しいことを考え実行する会」は正しい後退を実行している。これを以てドタバタと言わずに何を以てドタバタと言えるだろうか。
《自民 結束の一方執行部批判も》(NHK/10年3月18日17時11分)
記事は派閥の領主・幹部のそれぞれの派閥の会合での党内ドタバタ抗争に関した発言を伝えている。
麻生前総理大臣「党内がバラバラに割れているような話ほど、相手を利することはない。きちんとけじめをつけておかないと、戦うに戦えないことになる。麻生内閣でも、仲間割れみたいに言われて、敵の点数を上げたことを忘れたのか」
党内のバラバラ、仲間割れを来たしたそもそもの原因がどこにあったのか、誰にあったのかの検証もなく、結果として生じた局面を表面的に解説しているに過ぎないこの程度の頭の持主であることを暴露した発言となっている。麻生太郎自身の統率力の欠如・指導力の欠如という二重の欠陥がもたらした党内のバラバラ、仲間割れでもあるはずだが、相変わらずノー天気なところを見せている。
町村元官房長官「一部の議員が『ああでもない、こうでもない』と言って、まじめな努力に水を差し、党勢をそいでいるのは許し難い。執行部を支え、谷垣総裁の下でやっていくのは、論を待たない。一致結束した行動をお願いしたい」
谷垣総裁の統率力・指導力が自ずと決める「執行部を支え、谷垣総裁の下でやっていく」状況の出来(しゅったい)であるはずだが、それを抜きにしたら、鳩山離党騒動の反動・反省で新党の動きが収まり、党が結束することになったとしても、一時的平穏で終わるのは目に見えている。
古賀元幹事長「『総裁をはじめ、執行部に参議院選挙に取り組む戦闘意欲、緊張感、危機感が足りないのではないか』という声が県連から聞こえ、だんだん広がりつつある。与謝野氏や園田氏の気持ちはわからないわけではなく、私は一定の理解をしたい」
伊吹元幹事長「一致結束は非常に大切だが、現状をそのまま認めろということではない。執行部は、目立たないところで下積みの仕事をしている人を優遇していく方法を取らなければならない」
君たちの気持ちも分かるよと理解者を演じて懐柔を図る。
そしてただでさえジリ貧状態にある谷垣自由民主党に打撃を与える騒動を起こした鳩山邦夫に対しては母親からの資金提供を巡り、自民党内から国会招致を求める声が上がっているという。《鳩山邦夫氏、新党「いばらの道」 連休前結成は「希望」》(asahi.com/2010年3月17日10時55分)
対して鳩山邦夫。
「呼ばれればいつでもいきます。やましいところはなく、事件でもありませんから」
《邦夫氏と与謝野氏の会談16日は見送り》(日テレNEWS24/2010年3月16日 19:47)は資金提供疑惑を指摘する二人の発言を伝えている。
谷川秀善参議院幹事長「鳩山(邦夫)さんの件は、言ってみれば渡り鳥みたいなもんですから。季節外れに飛び立ったなと思っている。季節外れですから、エライことにならなければと心配している。鳩山首相を『大脱税王』と言ったが、あの人(邦夫氏)も同じ脱税王ですな」
礒崎陽輔議員「鳩山邦夫さんも、お母様から資金提供を受けている片割れでございます。参議院において、鳩山邦夫さんの証人喚問を要求して、きっちりと追及していきたい」
「FNN」記事――《鳩山邦夫氏に自民党から国会招致求める声 鳩山氏「わたしは『脱税王』では断じてない」》(10.3.17)では次のようになっている。
谷川参院幹事長「(鳩山首相を)『脱税王』と言ったら、同じ『脱税王』ですよ。証人喚問でも何でも、来て話をしてもらうというスタンス」
鳩山邦夫「別にわたしは、呼ばれればどこでも行くけども、わたしの場合は、『納税王』とは言わないけども、『脱税王』では断じてない」
後藤田正純議員の鳩山邦夫を脱税王だとする発言を「毎日jp」記事――《鳩山元総務相:自民離党 与謝野・舛添氏「当面残る」 あすにも両院議員総会》が伝えている。
後藤田正純「『脱税王』と鳩山由紀夫首相を批判した与謝野氏が、同じような疑惑のある鳩山邦夫氏と組むことはあり得ない」(毎日jp)
国会招致、証人喚問で、脱税王だ、脱税王じゃないのドタバタが開始されるというわけである。それも結構だが、与謝野馨が2月12日の衆議院予算委員会で鳩山首相のことを平成の脱税王だと追及したネタ元は鳩山邦夫である。「同じような疑惑のある鳩山邦夫」と組んで、既に「平成の脱税王」追及のネタを仕入れていたのである。与謝野馨がネタ元としたこと自体に矛盾が生じないだろうか。同類に協力を仰いだことになるからだ。
あるいは鳩山邦夫まで脱税王なら、同じ追及の俎上に乗せるべきを鳩山首相のみ乗せて、鳩山邦夫を乗せなかったことも矛盾となる。
とは言っても、国会招致、証人喚問のドタバタは大歓迎である。鳩山邦夫離党への報復が国会招致、証人喚問なら、鳩山邦夫はそれぞれの場でか、あるいはそれ以外の記者会見といった場でか、国会招致、証人喚問の報復に自民党の知られたくない秘密を洗いざらい喋る期待が持てるからだ。
上記「日テレNEWS24」は新党結成を主題とした16日予定の与謝野馨と鳩山邦夫の会談が見送られたことについて、〈与謝野氏の周辺が「口が軽い鳩山氏とは軽々に会わない方がいい」と進言し〉たからだと書いているが、「口が軽い」と言うことなら、鳩山邦夫の報復による自民党の知られざる秘密暴露への期待がますます高まるというものである。
さしずめ内閣官房機密費が通常は月1億円、年間12億円前後の支出であるのに対して、2009年8月30日総選挙で政権交代、政権の役目を終えていたにも関わらず、麻生政権の河村建夫官房長官が9月1日に通常月1億円を上回る2億5000万円をも引き出しているが、それが何に使われたのか、知っていたならの話だが、暴露への期待から、俄然野次馬的興味が湧いてくる。
麻生の秘密の暴露も大歓迎といきたい。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
与謝野の文春論文は何だったのか――
《【自民党苦悩の現場】反執行部のキーマン3人、それぞれの行動パターンは…》(msn産経/2010.3.14 19:16)
記事は鳩山邦夫が3月14日日曜日にフジテレビ「新報道2001」で新党旗揚げへの意思を示したことに関係させて本人と与謝野馨、舛添要一それぞれの消息を伝えた内容となっている。
〈新党辞さず
鳩山と与謝野は急接近している。
鳩山は、与謝野が衆院予算委員会で首相の兄、鳩山由紀夫に「平成の脱税王」などと攻撃した2月12日の前後数回、与謝野事務所を訪ねていた。そのころから鳩山は、民主でも自民でもない「第3の党」を模索し、複数の自民党議員らとの接触を試みてきた。与謝野もその一人だった。
「野党議員たる姿」を見せるため、由紀夫の政治とカネの問題をめぐる核心の情報の提供を求める与謝野に、鳩山は自らも傷つきかねない問題にもかかわらず協力した。与謝野と向き合ってつついた同事務所近くのトンカツ屋の弁当が好物になるという「おまけ」もついた。
与謝野も、2月19日昼、側近の幹事長代理、園田博之(68)とともに、鳩山を紀尾井町の中国料理店に招待し、「失望した」と2日前の党首討論での総裁、谷垣禎一への感想を述べると、3人は一気に新党話で盛り上がり、今後も定期的に意見交換することで一致した。与謝野は周辺に「鳩山はわれわれの仲間だ」と語っている。〉――
要するに兄由紀夫の母親からの資金提供に関わる情報を弟の邦夫が提供以来、鳩山邦夫と与謝野馨は急接近し、お互いに“新党結成意志”を持ち合った。
記事は続けて次のように与謝野の動向に言及している。
〈「新党」について本格的に言及したのは与謝野が先だった。
「執行部を交代させて新生自民党を立ち上げるのか、新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていくか、時間は差し迫っており、私が決断を下す時期はそう遠くはないだろう」
10日発売の「文芸春秋」4月号の論文で与謝野はこう記し、自らを鳩山と同様に「捨て石」と表現した。
論文の発表に、自民党内では「与謝野氏は頭がよいから、すぐ『選挙が戦えない』と思い詰める。展望がある感じはない」(閣僚経験者)と冷ややかだ。
与謝野は文芸春秋の発売後、表での発言を控えるようになった。「執行部がどう動くかを見極めたいからだ」(周辺)という。その間も与謝野と鳩山は11日、極秘に会談した。〉――
【パラダイム】「ある一時代の人々のものの見方・考え方を根本的に規定している枠組みとしての認識の体系」(『大辞林』三省堂)
「執行部を交代させて――」云々以下はおどろおどろしいばかりの宣言であるが、どちらの「決断」が事の重大性を担っているかと言うと、明らかに「新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていく」ことの方にあるはずである。
逆説するなら、軽々しくは宣言できない“新党結成意志”であり、いざというときは新党結成に向けて行動する覚悟を既に用意していたはずだ。
いわば覚悟の点で、執行部交代に向けた意志の発動よりも新党結成に向けた意志の発動の方が遥かに多くの覚悟を必要とするはずだから、後者により重きを置いて論文に書いたはずである。
だからこそおどろおどろしいニュアンスを見せることとなった。
こうも言える。口先だけの「決断を下す」選択肢の一方に掲げた「パラダイム」の希求では決してなかったはずであると。
谷垣自民党執行部側から見ても、執行部交代を求める動きよりも、新党結成の動きの方が事は重大であったであろう。
記事は次に舛添要一の動きを次のように書いている。
〈静観貫く
「今は予算委で忙しいから…。これが終わってからじゃないと動けない」
舛添は現在、参院予算委員会の自民党筆頭理事の仕事に「全力投球」したいと強調している。
「『自民党』という名前は古い」「党内の賢明な政治家が、谷垣氏に辞任を促す方向になるだろう」などと、執行部批判や新党を積極的に発信してきたのは、与謝野よりも舛添だった。
昨年末、落選議員らを対象にした「舛添政治カレッジ」を立ち上げた。2月17日には元総務相、菅義偉らと「経済戦略研究会」を発足させ、会長についた。党内での基盤づくりとの見方がもっぱらだ。
13日には、テレビ番組で「社長を代えないで専務、部長を代える人事はあり得ない。責任を取るというのはそういうことだ」と谷垣執行部の一新を求めた。
しかし、「私とどっちが先に新党を作って飛び出すかというと、与謝野氏が先の勢いだ。私は新党から党内改革まであらゆる可能性がある」とも述べ、行動は慎重にする考えをみせた。〉――
そして鳩山邦夫は14日にテレビで新党結成の発言をした翌日の15日に離党届を提出、さらに記者会見での新党結成意志の宣言。但し鳩山邦夫の与謝野馨と舛添要一に対する新党結成への誘いに両者の反応は鈍かった。
与謝野馨は昨17日に自らが主催する勉強会勉強会「正しいことを考え実行する会」を開催、次のような発言があったと、《“総裁除き執行部の交代を”》(NHK/10年3月17日 16時44分)が伝えている。
園田博之(幹事長代理を辞任)「今の執行部のメンバーでは、いつまでも自民党を支えられない。執行部を若返らせて、これからの自民党を支える世代に交代させるべきだと考えた」
出席者の一人「新党を立ち上げることが目的ではなく、ほんとうの目的は党改革だ。谷垣総裁は、自民党員みんなで選んだので代える必要はないが、危機感がない執行部を一新しなければ信頼を取り戻せない」
「今の執行部は一致団結を呼びかけるが、われわれも思いは同じだ。体制も何も変えないまま団結して、執行部が正しいと勘違いしてしまうのは避けなければならない」
結果、〈谷垣総裁を除く執行部を交代させるべきだという認識で一致〉、〈こうした意見を直接伝えるため、谷垣総裁に会合への出席を求めることにな〉ったという。
記事が書いている“出席者の一人”とは与謝野本人のことではないだろうか。新党立ち上げを宣言したのは与謝野その人である。その「目的」を直接的に解説するのは本人しか資格はない。他人が本人に代わって「目的」を推測、あるいは代弁した言葉とはなっていない。例え与謝野本人ではなくても、大体が、「新党を立ち上げることが目的ではなく、ほんとうの目的は党改革だ」では、何のために論文を通して“新党結成意志”を世間に宣言したのか、その意味を問われることになる。
ここでもう一度与謝野馨が文芸春秋に書いたという一節を取り上げてみる。
「執行部を交代させて新生自民党を立ち上げるのか、新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていくか、時間は差し迫っており、私が決断を下す時期はそう遠くはないだろう」――
“新党結成意志”と対比させて掲げた“執行部交代要求”である。事の重大さは新党結成の動きの方にあるものの、「谷垣総裁を除く執行部交代」では、“新党結成意志”と対比させた事の重大性を失い、尻すぼみの感が否めない。覚悟の程がその程度でしかなかったということにもなる。
また舛添要一の「社長を代えないで専務、部長を代える人事はあり得ない。責任を取るというのはそういうことだ」とした谷垣を含めた“執行部交代要求”と比較した場合でも、与謝野の一歩引いた、あるいはより柔な谷垣総裁無罪放免の“執行部交代要求”となっている。
尤も舛添の谷垣を含めた“執行部交代要求”は自身が総裁に取って代わって首相への最短距離の位置取りをしたい自己利害からの欲求だろうから、その点で与謝野との違いが出たということもあるだろうが、それでも“新党結成意志”と対比させた選択肢である以上、それ相応の覚悟を持った“執行部交代要求”であるべきであった点からすると、“新党結成意志”と対比させる必要もなかった最終決定に見えて仕方がない。
大体が谷垣総裁が人事決定した谷垣以下の執行部である。例え派閥の意向をも汲んだ人事であっても、そのことをも含めて最終的意思決定者は谷垣本人であって、その責任は谷垣自身が負っている。誰と誰を決めた本人の責任を問わずに、誰と誰だけの責任を問うのは矛盾している。そういった矛盾を犯す与謝野でしかないということになる。
また新党結成とは結成した本人がトップに立つということであって、それまで所属していた党のトップを否定するか、あるいは少なくともそれまで所属していた党の体制を否定することでもある。いわば与謝野は“新党結成意志”を示した時点で、既に自民党トップの谷垣総裁そのものか、あるいは谷垣党体制を否定していたのである。このことにも矛盾する谷垣総裁以外の“執行部交代要求”となっているが、自らの矛盾に全然気づいていない。
鳩山邦夫がテレビ番組で、“新党結成意志”を示した14日日曜日よりも4日前の10日に与謝野馨主宰の勉強会「正しいことを考え実行する会」を党本部で開いた記事、《与謝野氏が勉強会、具体的な行動は明言せず》(YOMIURI ONLINE/2010年3月10日21時10分)に次のような件(くだり)がある。
〈会合では、丸山和也参院議員が「論文であそこまで書いた以上、きちっとした行動を起こすしかないのではないか」と離党を促した。与謝野氏は黙っていたというが、会合後には「(丸山氏の主張は)その通りだと思う」と記者団に語った。〉――
丸山議員は論文から“執行部交代要求”よりも“新党結成意志”に事の重大さを見て、覚悟の程を感じ取った。対して与謝野は会合後に記者に「その通りだと思う」と論文に添う覚悟を示したということであろう。
勘繰るとするなら、こういうことではないだろうか。「執行部を交代させて新生自民党を立ち上げるのか、新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていくか、時間は差し迫っており、私が決断を下す時期はそう遠くはないだろう」はまだ言葉のままとどまっていたが、鳩山邦夫が離党して“新党結成意志”を公にし、与謝野と舛添に新党参加を求めた途端に言葉だけで済ますわけにはいかなくなって、現実の問題として選択を迫られた。
そして選択した道が新党は早々に矛を収めた谷垣総裁以外の“執行部交代要求”であった。その程度の与謝野の新党本気度だったということであり、その程度ならわざわざ月刊誌を利用して論文を書く程でもなかったことになる。
与謝野は新党撤退の発言を《自民党:与謝野氏と舛添氏 党にとどまる姿勢を鮮明に》(毎日jp/2010年3月18日 2時30分)が次のように伝えている。
与謝野「ワインは熟成するまで10年以上かかる」
鳩山邦夫が「日本一頭のいい政治家、与謝野馨」と言っただけあって、なかなかの名言となっている。政治の今の状況が緊急に必要としていると考えたからこそ出た“新党結成意志”でなければならないはずだが、それを例え比喩だとしても、「10年以上」先の“今”ではないとしている。
与謝野の勉強会の名称が「正しいことを考え実行する会」だとはなかなか皮肉で滑稽な意味を漂わせることになる。
記事は舛添が会長を務める17日開催の「経済戦略研究会」での舛添の発言も伝えている。
「敵は鳩山政権だ。新党を作るとか、そういうことを先にやるからおかしくなる」
舛添の自己利害は自民党にとどまって自身が総裁になることだから、日本外国特派員協会での「自民党を改革するか、新党を立ち上げるかの両方の選択肢を考えている」の“新党結成意志”にしても、単に谷垣執行部にプレッシャーをかけ、追い落とす犬の遠吠えに過ぎなくなり、このことからすると、「新党を作るとか、そういうことを先にやるからおかしくなる」はよくも抜けぬけとした(「無知で厚かましい」『大辞林』)発言となる。
結果として鳩山邦夫の新党結成に向けた具体的な動きが与謝野と舛添両者の“新党結成意志”のなさを炙り出したといったところだろう。大山鳴動ネズミ一匹どころか、シラミ一匹程度の拍子抜けではなかったのか。
与謝野の場合、鳩山邦夫の党の中にいながら外に向かって党の批判をするのはおかしいとする“批判基準”が促した新党撤退、谷垣以外の執行部交代要求の可能性もある。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
新党目玉同調者に舛添要一と与謝野馨を皮算用していたが、皮算用どおりの食いつきを直ちに見せてくれないものだから、目玉商品から食べようと思えば食べることができないわけではない賞味期限切れ商品系の平沼を釣ろうと場所を変えのではないのかというだけの話。
鳩山邦夫は自民党に離党届を出したあとの記者会見で述べた連休前新党立ち上げ構想では舛添要一と与謝野馨以外の名前を挙げていなかった。(〈15日に自民党離党を表明した鳩山邦夫元総務相は一夜明けた16日午前、改めて新党結成への強い意欲をみせ、連携の相手として与謝野馨元財務相、舛添要一前厚生労働相のほか、無所属の平沼赳夫元経済産業相の名も挙げた。〉(msn産経))
15日の鳩山邦夫「やはり日本一頭のいい政治家、与謝野馨、国民の人気が一番高い、期待度の高い舛添要一。この二人を、オー、鳩山邦夫という坂本竜馬に薩長連合ではないが、結びつけることができたなら、最高ですけどね」(日テレNEWS24)
離党する前日のテレビで、「与謝野馨元財務相や舛添要一前厚生労働相ら皆が一緒になれるよう(幕末に薩長連合を仲介した)坂本竜馬になりたい」、「(政党要件を満たす国会議員数の)5人のメドは立っている。舛添氏を引き入れたい」(47NEWS)と成算あるかのように発言していたにも関わらず、3人で新党を立ち上げようと計って離党に走ったわけではなく、直ちに同調者が出ないまま離党に走ったのだから、「メドは立っている」とした5人とも計らずに(計りながら断られて離党したなら、無謀過ぎるし、計って承諾を得ていたなら、直ちに同調者が現れるはず)単独行動したあと、2人をメンバーに誘って新党立ち上げに華々しく持っていこうと皮算用した。
だが、2人は鳩山邦夫新党構想に直ちに食いつく積極参加姿勢を見せたわけではなかった。《期待の舛添氏ら様子見…同調広がらず視界不良》(スポーツニッポン/2010年03月16日 20:15)
題名が既に示しているとおりに順調とは反対のつまずき状態にあることを伝えている。そのことを示す言葉を拾ってみる。
「新党構想が早くも難航の気配」、舛添要一も与謝野馨も「様子見の構え」、「新党の旗頭に舛添氏を据え、有権者へのアピールを図る鳩山氏の思惑はあてが外れた格好」、〈2010年度予算案が成立する3月末まで推移を見守るという舛添氏に対し、鳩山氏周辺からは「ふられたに等しい」との悲観論さえ漏れた。〉等々――
そして消極的、もしくは否定的態度の発言。
舛添要一「政治情勢がどうなるか分からないから何も決めていない」
(与謝野氏や園田博之前幹事長代理に近い)藤田正純衆院議員「鳩山氏の唐突な離党に付き合う必要はない」
鳩山邦夫の秘書を務めた複数いる国会議員の一人(「邦夫新党」に参加する意思がないことを明言した上で)「今の状況でついていく議員はいないんじゃないか」
誰もが数は力だという認識を無意識下に常に抱えて行動しているはずである。社民党や国民新党等の少数政党が与党の一員としての力を発揮し得ているのは例えごく少人数であっても最大与党民主党に欠けている参議院過半数という力を補う力となり得ているからだろう。
衆議院5議席、参議院1議席のみんなの党の政党支持率が最近の毎日新聞世論調査で議席数が多い共産党や公明党の支持率を上回って第3位につけているというが、与党民主党が「政治とカネ」で支持率を下げているのに対して、対抗して野党第一党自民党の上げてもいい支持率が舛添や与謝野の批判で執行部が悪者の立場に置かれていることもあって逆に支持率低迷に役立っている状況を受けて相対的に人気を得ている高支持率であって、数そのものが力となっている支持率ではないはずである。
例え夏の参議院選挙で議席数を少しぐらい増やしたとしても、民主党が議席をかなり下げ、そこに公明党が割って入ったなら、与党政治に影響を与える数の力ともキャスティングボードを握る力ともなり得ない。
唯一の望みは民主党が公明党ではなく、みんなの党を選んでくれるケースである。みんなの党がそう望んでいればの話だが。
所詮、新党立ち上げであっても、選挙であっても、連携を形式とした政界影響力であっても、数の分捕り合戦である。数を分捕るための政策といっても過言ではない。だから、往々にして政策が大衆迎合(ポピュリズム)の形を取ったり、自党の政策を曲げるような極端な妥協をしたりする。
果して鳩山邦夫新党が政党要件を満たす5人(邦夫を除いて4人)を集め得たとしても、単独としての数の力は評価できないものの、少人数ながらに社民党や国民新党のように他党の補完勢力として数の力となり得るのか、あるいは他党と連携して政界再編の力となり得るのか、その有無が入党、もしくは連携の成否を握る条件となる。
そういった条件を満たすことによって、例え少人数であっても党としての存在価値が生じるが、そういった可能性がなければ、野党第一党の数の力をそれなりに誇り、その恩恵を受けている自民党から鳩山邦夫新党の数の一人となる者はなかなか出てこないに違いない。
あるいはみんなの党のように与党及び野党第一党からこぼれた支持者の受け皿となって(多くは無党派層に流れているが)相対的に支持率を上げて選挙で少しずつ議席を増やしていける魅力ある政策と顔ぶれを揃えることができるのか、あくまでも与党及び野党第一党の支持率低迷の持続が条件となるが、そういった可能性を与える準備ができなければ、逆にみんなの党が先行していることによって、新たな党の立ち上げの道を狭める可能性の方が強い。
スポニチ新聞が見出しで言っているように、「同調広がらず視界不良」という予期せぬ状況に見舞われたからではないのか、離党後の新党立ち上げを訴えた記者会見では口にしなかった平沼赳夫元経済産業相の名前が出てきたのは、新党立ち上げの食いつきが悪いから、早々に釣り糸を垂れる場所を変えて狙い相手を変えたように見えてしまう。
尤も最近年齢とパソコンと睨めっこばかりしているせいで老眼と乱視がひどくなって、元々浅い見通す距離が益々浅くなっているから、当てにはならない勘繰りではある。
《鳩山邦氏、新党へ始動 平沼氏らとも接触》(47NEWS/2010/03/16 18:43 【共同通信】)――
平沼赳夫(記者団に)「今の政治の流れを変えていくために新しい流れを起こすことには賛成だ。・・・・郵政民営化反対の考え方は近いと思うが、それ以外は分からない。機会があれば会って話してもいいかなと思っている」
乗り気とまでの積極性を見せているわけではない。大体が郵政民営化反対以外の政策は「分からない」とは何とメリハリなく見られていることだろうか。食いつきが悪いからと早々に釣り糸を垂れる場所を変えて見たものの、やはり食いつきの悪い場所に釣り糸を垂れてしまったといった状況に見えないこともない。
例え鳩山邦夫と平沼赳夫が連携したとしても、新鮮味を失った二人である。乾いた雑巾を絞るように支持率は出てこないように思える。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
息子要一にとってははた迷惑な離婚母“邦子”の引取り誘い?
鳩山邦夫が14日日曜日出演のテレビ番組で離党・新党の可能性に言及。よもや次の日に決行するとは誰も考えなかったに違いない電撃的な離党を即座に敢行、日本の政界を揺るがし、そのニュースは世界中に発信され、驚ろきを持って迎えられた――とまではいくはずはないが、日本のマスコミは一応こぞって取り上げた。
3月15日「ノーカット工房/日テレNEWS24」が15日午後6時半からの鳩山邦夫記者会見をノーカットで伝えている。(一部引用)
鳩山「午後に離党届を書きまして、えー、秘書に党本部に持っていってもらいまして、このことに関して大島幹事長から、お電話をいただいて、色々話をして、えー、まあ、離党が受理されたって言うのか分かりませんが、離党しました。
で、理由はもう、あの、一言で言うと、やはり西郷さんに『潔かなあ』って言って貰いたいような、そういう行動をしたい。自民党に迷惑を掛けたくない、自民党を敵にするわけでもない。要するに自民党にも失政はあったけども、おー、自民党の最大の失敗は、政権を獲られたこと、で、今のように非常に社会主義、的色彩の強い、まあ、バラマキもそうだし、えー、外国人の地方参政権もそうだし、夫婦別姓もそうだし、教育なんかぐちゃぐちゃになってくるし、この国が滅びの道に入っていく。そういう最悪の事態があるわけで、それを私は、アー、ああいうふうな負け方をした自民党だけの力では、食い止めることができないから、やはり同志取って、新しいものをつくって、まあ、強力な野党として、えー、頑張っていくのがいいのではないかと、こう判断したからでございます。
で、昨日の、ま、普段から言っとたんです。講演等でね。ただ、たまたまテレビ番組で、エー、新党で行く覚悟ができているかと、こう聞かれたから、どうも完璧にできていますからと、言った以上はですね、党に迷惑を掛けたくないし、エー、谷垣さんが、ナン、何て言うか、外に向かって色んな発言をすんのはおかしいと。これ正論ですよ。自民党中(なか)でいて、自民党批判して、外へ向かって言うのは、やっぱりおかしいから、ただ外へ出て、今の政治を批判し、また自民党のダメだった政治を厳しく言う。内から外へ向かって言うのはおかしいから、外へ出て、申し上げると、こういうことです」
――幹事長はどのように言ってました?
「幹事長は、まあ、あの、了承というか、そういうことでしょう。そういうことですか、いうことです」
――離党の理由というか、新党ですけど、改めて言うと、どのような新党をいつ頃まで、・・・・つくるのですか・
「だから、今申し上げたようなことで、あのー、それは私の思惑一つでできることではありませんけれども、希望から言えば、連休前につくりたいなあー、とは思っていますけれども。ただ私は、あの、自分が表へ出て、旗を振るうという役でなくていい。黒衣でもいい、と。縁の下の力持ちでいい。ただ、できるだけいいメンバーを結びつけることができる、坂本竜馬のような、まあ、坂本竜馬のようなスケールの大きな人間では私はありませんけれども、そういう役割、接着剤的な役割ができたなら、本望だと思っております」
――与謝野さん、桝添さんとも連携を視野に入れていると、さっき言いましたけれども、そういった考えは・・・。
「やはり日本一頭のいい政治家、与謝野馨、国民の人気が一番高い、期待度の高い舛添要一。この二人を、オー、鳩山邦夫という坂本竜馬に薩長連合ではないが、結びつけることができたなら、最高ですけどね」(以下略)――
与謝野馨、舛添要一の二人の息子は出来がよく、兄の馨は日本一頭が良くて、弟の舛添要一は国民の人気、期待度が一番高い出来のよさ。
なぜ兄弟の苗字が違うかというと、“兄弟別姓”だからです。
家を出て行く、それは問題だで揉めていた“邦子”がついに意を決して、取りあえず身一つで家を出た。二人の子どもを一緒に連れて出て行きたかったが、家を出ることは話し合ってはいたものの、とにかく我慢できなくなって、先に飛び出すことになってしまった。先ずは行動で示して、同じ行動を取るよう、息子たちに促すつもりでいる。きっと付いてきてくれる。二人の息子をそう信じている。何と言っても日本一頭のいい息子と、人気と期待度が高い息子なのだから。
我慢できなくなった理由は、亭主の悪口を外に向かって言うようになって、亭主から、外に向かってまで悪口を言うのは卑怯じゃないかと詰られ、悪口を本人にのみ言うのではなく、外にまで言うくらいなら家を出るべきだと気づき、家にとどまることを潔しとしなくなったからだった。
鳩山邦夫は記者会見で言っている。「エー、谷垣さんが、ナン、何て言うか、外に向かって色んな発言をすんのはおかしいと。これ正論ですよ。自民党中でいて、自民党批判して、外へ向かって言うのは、やっぱりおかしいから、ただ外へ出て、今の政治を批判し、また自民党のダメだった政治を厳しく言う。内から外へ向かって言うのはおかしいから、外へ出て、申し上げると、こういうことです」
鳩山邦夫の自分が所属する党に対する批判基準である、「内から外へ向かって言うのはおかしい」ことからしたら、与謝野馨も舛添要一も自民党の中にいて、外の向かって自民党の批判をするのは「おかしい」ということになる。「外へ出て、申し上げる」のが正しいことだと。
もしも与謝野も舛添も党にとどまるなら、鳩山邦夫は自分の批判基準と異なる二人を同志と看做して離党への同調を求めたこととなって、奇妙な事態となる。
また鳩山邦夫批判基準からしたら、与謝野も舛添も自民党を批判するなら、離党して、党の外に立って批判することが正しい批判の仕方と言うことになる。
勿論のこと、与謝野にしても舛添にしても自身の批判基準に従って好きに批判していいことだが、少なくとも今後党にとどまって党の批判をすることは鳩山批判基準からしたら、間違った批判態度となる。
いわば鳩山邦夫自身は本人は気づいていないとしても、二人の批判に自方向からの制約を設けたことになる。例え二人が自らの批判基準に従って党にとどまって党を批判しようと自由ではあっても、二人が党にとどまる限り、双方の批判態度に生じる乖離は次第に広がっていくことになる。
だが、舛添が自著で「時期が来たら私自身がリーダーシップを取ることを拒否はしない。首相に必要な能力を持つよう努力している」(毎日jp)と宣言していることからして、舛添の執行部批判や離党、新党への言及は党分裂の印象や谷垣総裁の求心力低下の印象を党内外に与えて執行部に揺さぶりをかけ、最終的には谷垣を追い落とし、次期総裁の座を射止める策謀だと考えると、党の中にいて、外に向かって批判することが絶対必要条件となる。
大体が党から出たら、現在のところ斜陽とは言え、野党第一党という地位とそれなりの数の力を利用価値ゼロとするばかりか、批判にしても党内にいて党の中だけで批判していたのでは、いくらそれが「正論ですよ」と言われたとしても、日本外国特派員協会で演じて見せたように外に向けた批判程にはインパクトを与えることができないだろうから、マスコミが面白おかしく、あるいはセンセーショナルに取り上げる度合いも小さく、当然、マスコミを通して国民に訴える力もそれ相応に力を失って、批判の効果そのものを過小価値化してしまう。
いわば舛添にとって「自民党中でいて、自民党批判して、外へ向かって言うのは、やっぱりおかしい」、「これ正論ですよ」とする批判基準は今後ある種の制約となって作用しない保証はなく、はた迷惑なばかりか、何度となく新党を口に出していて、離党に踏み切らない状態を続けていた場合、そのことが何かのキッカケで決断力のない男と見られる爆弾とならない保証もないことから、鳩山邦夫の離党の誘いさえホンネのところでははた迷惑といったところではないだろうか。
自民党執行部は鳩山邦夫離党の動きが広がらないように党の引き締めを図るということだが、男と女の関係でも同じだが、別れて出て行きたいという相手をとどめようとすることは相手の立場を強くし、そのことが心理的にばかりか、物理的にも力関係を逆転させかねない。もし谷垣総裁が求心力を維持したいと望むなら、出でいきたいと言う者に対して、出て行ってください、残った者のみの少数精鋭でいきますからという態度を取ったなら、相手の立場を強くすることはなく、逆に自分の立場を強くすることが出来て、残った者、あるいは様々な利害から残らざるを得なかった者をして自身の方に引きつけることも可能となる。引き締めが右往左往、あるいは慌てふためきに見えた場合、ただでさえ失いつつある指導力や求心力に尚のことマイナスに働くことになるに違いない。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンス――
3月12日の「NHK」記事――《教職員給与の負担金 払いすぎ》(10年3月12日17時51分)――
全国の17の都府県で、平成19年度までの4年間に公立の小中学校の教職員151人分を誤って集計、給与に充てる国庫負担金あわせて3億9000万円余りを余分に受け取っていたことが判明、会計検査院が都府県に返還させるよう文部科学省に求めたと伝えている。年平均9750万円の多額の金額となる。
尤も記事は、〈全国の17の都府県で、公立の小中学校の教職員の数が誤って集計され、給与に充てられる国庫負担金あわせて3億9000万円余りが余分に支払われていたことがわかり、会計検査院は、都府県から返還させるよう文部科学省に求めました。〉と書いている。
果たして、〈誤って集計され〉たのだろうか。例え人数の集計に誤魔化しがなかったとしても、国から〈余分に支払われていた〉ことから先の〈17の都府県〉が〈余分に〉受け取っていた、その行為自体が問題となる。
誤った集計の内訳は、国の基準で給与が支払われない休職期間が1年を超える教職員が8都府県、「NHK」記事には人数は出ていないが、「msn産経」記事――《小中教員の国庫負担、4億近く払いすぎ 会計検査院指摘》(2010.3.12 17:24 )には計110人分と出ている。
次に出産や育児で休暇中の教職員の代わりとなる補充者の数が多く報告されていた自治体が9県に上っている。人数は「msn産経」記事が41人分としている。
両記事とも、この二例しか紹介していないが、「msn産経」記事には、〈国は都道府県が負担する教職員の給与のうち、3分の1を負担するよう義務教育費国庫負担法で定められている。〉との解説が載っている。
余分に払い過ぎた「国庫負担金」はどこへ行ったのだろうか。「休職期間が1年を超える教職員」の場合の給与支払い規則を国に申告する担当者が新人で知らなかった、あるいは迂闊に失念して1年超の休職教職員分まで誤って申告してしまったとしても、休職教員自体が給与支払いのうち国の負担分がどうなるか知っているはずだろうから、もし本人に誤って支払われたとしたら、本人が誤魔化して受け取ったことになる。
本人に渡っていなかったなら、誰のところに渡ったのか。余剰金として会計に残るというのもおかしい。残れば、収支のどこに間違いがあったか調べ直すだろうから、人数の余分な集計に行き着くはずであるし、国の負担金を正確に管理するためにも行き着かなければならないはずである。
だが、会計検査院の指摘があるまで誤った集計と余分な支払いのまま放置されていた。
〈9つの県では、出産や育児で休暇中の教職員の代わりとなる補充者の数が多く報告されていた〉ということも不自然である。msn産経記事は、〈育児休暇などを取った教職員の数より代用教員の数の方が多く、実数に合わない県が岩手、宮城、神奈川、栃木、滋賀、兵庫など9県であり、41人分が過大に交付されていた。〉と書いているが、なぜ41人分も過大に人数計算することになったのだろうか。
また、41人分の国負担分給与を誤魔化して請求したのでなければ、会計のどこかの段階で宙に浮いて残ったはずである。
やはりプラスマイナスゼロとなるように収支のやり直しをする、それでも余剰分が出るようなら、請求人数に誤りがなかったか、あるいは請求金額に誤りはなかったか、最初の段階にまで戻って調べ直して適正化することが国の負担金を管理する者の責任であろう。
17の都府県が共通して給与管理が杜撰だったとしたら、これもまた問題である。国の金を預かる云々以前の問題となる。
ゴマカシでなければ、会計検査院の指摘がある前に正しておかなければならない約3億9000万円ではなかったろうか。返還すれば、それで済むといった問題では決してないと思う。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
歴代自民党政権が「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を日本の核政策としながら、「持ち込ませず」に関してアメリカ艦船の事前協議なしの日本の港への寄港や領海通過を容認した、いわゆる“密約”は当時の冷戦という国際状況や日本国民の反核感情を考慮した指導者たちの日本を守るための止むを得ない判断だった、あるいは我が国の安全保障を確立する観点に立った賢明な対応であり、結果として我が国の安全と繁栄が確保されてきた決して間違ってはいない選択だったと国家の側からの“密約”正当性の声が挙がっている。
しかし国家が常に過たない保証はない。常に正しいとは限らない。国家権力が唱える正義が常に国民にとって正義である一体性が絶対保証されるなら、国家にすべての判断を委ねることはできるが、国民の正義と離れた正義が出来する可能性は否定できない。
国際環境が核を主力武器とした米ソ軍事対立の冷戦下に置かれていたことから、日本の安全保障上アメリカの核の存在を欠かすことのできない戦略が絶対的状況として一方にあり、日本国民の反核感情がもう一方の状況として立ちはだかっていたことからの止むを得ない“密約”の選択は国家の正義としてあったは一見正当性ある最終判断に見えるが、日本国民の反核感情をつくり出した責任の大部分は戦前日本の国家権力にもある。
国家権力が国民の反核感情をつくり出しておきながら、それが障害となるからと国民の反核感情に反した秘密の取り決めを国民の知らないところで結ぶ。このことを以って国家の正義と言えるのだろうか。
日本の安全保障上、当時の国際状況に於いては最低限アメリカの核の持ち込が必要だと国家権力が考えた場合、それを果たすためには国民の反核感情が障害となったとしても、その障害をクリアする努力を最初に持ってくるべきであろう。
説明し、同意を得るのも政治家の能力である。自らの望む方向に如何に説明をし尽くすか、政治家の説明の能力にかかっている。
政治権力が自ら正しいと判断しているなら、説明して、その正しさを獲得すべきである。
もしいくら説明しても国民には理解する能力がないと看做して秘密の取り決めを選択したというなら、一種の愚民政策となるばかりか、国民を下に置いて自らを上に置く危険な思い上がりとなる。政治権力が常に絶対でもなく、常に正義を体現するわけでもなく、往々にして過つ存在だからだ。
同意を得る方法は選挙に諮る方法が一般的であるが、選挙は選挙区の利害等が絡んで争点を必ずしも一つに絞ることはできないというなら、このことは厳密には郵政選挙でも同じだったが、憲法改正に関わる国民投票のみならず、重要政策を諮る国民投票法を制定して、争点を一つに絞った政策についての国民の判断を仰ぐ方法もある。
国民の判断が誤ったとき、勿論、国民の責任となる。だが、国民が責任の帰属を自らに直接課せられる判断を求められることによって、その政策に関わる判断に応じようとした場合、その政策についての政治意識を否応もなしに高めざるを得ず、それは他の政策に対しても反映され、役立つ効果を生むはずである。
また国民投票の場合、是非の街頭説明に元人気芸能人議員や世襲議員が駆り出されることはあっても、基本的には立候補者が存在しない判断要求であることから、政策を横に置いて候補者で判断する要素が限定されて、例えそこに何らかの経済的な利害を絡める者が存在したとしても、大方は政策そのものを自律的に判断せざるを得ない機会となり、政治に対する責任、国家のありように対する責任も育つことが期待可能となる。
こういった方法を取ることによって、すべての政治判断を国民の目に見える場所に置くことが可能となる効果も無視できまい。
敗戦後、多くの国民が「国に騙された、国に騙された」と敗戦とそのことによる国土の荒廃、生活の破壊の責任を国に一方的に押し付け、騙された自らの責任、その愚かさを省みず、主犯ではなかったとしても、少なくとも従犯の関係にあったことを一顧だにしなかったが、自らの判断によって一億総動員と化した戦争ではなく、国家に強制された一億総動員であったことからの強制した者に対する全面的な責任転嫁でもあったろう。
戦前と同様に敗戦直後も国家を上に置いてその命令に無条件に従う権威主義の行動性に絡め取られていて自律した存在ではなかったために「国に命令されてやったことだ」とのみ解釈し、国民が戦争遂行に果たした自らの役割に目を向けることができなかった。
他に強制された判断ではなく、自らが下す判断によってこそ、責任意識は育ち自律した判断者となっていく。
自民党舛添要一参議院議員が3月1日に日本外国特派員協会で講演。
「自民党の政党支持率、特に谷垣総裁や大島幹事長ら執行部の支持率がどうなるかによる。民主党は長崎県知事選挙で負けたが、自民党の支持率は変わらないままか、下がっているものすらある。・・・・党執行部は、政策面で、われわれが検討している経済政策を取り入れるべきだ。そうでなければいっしょに仕事はできず、党を割らなければならない。・・・・みんなの党の渡辺代表とは共有している政策もあり、意見交換している。さらに、民主党内の小沢幹事長の独裁態勢に対する不満がポイントで、前原国土交通大臣や枝野行政刷新担当大臣、それに仙谷国家戦略担当大臣らと連携したい」(NHK)
「あらゆる選択肢がある。このまま党の支持率が低迷したり、古くさい経済政策をやるようなら、新党もあるし、(党に残って)今の党を変える可能性もある。・・・参院選前、谷垣禎一総裁を総裁の座から引きずりおろす動きが出るかもしれない。そうすれば改革は可能」(日刊スポーツ)
自民党谷川参院幹事長が本心を聞くためにだろう、3月3日に舛添を呼んで事情を聞いた。
舛添「英語での講演だったため、通訳の際に行き違いがあった」
谷川「腹を固めているなら出て行ってもらってもいい」(日刊スポーツ)
舛添「そんな気はありません」(同日刊スポーツ)
すべては通訳の際の行き違いがつくり出した執行部批判であり、谷垣降しであり、新党構想であって、自身にはそういった意図は一切ない、まっさらな無実だと釈明したというわけである。
塀に囲まれた庭の中から通りすがりの大型犬に向かってきゃんきゃん吠え立てるだけの小犬といったところだが、強がりしか能がない子犬と暴いたのではマスコミにとって何の利益にもならないから、すわっ、谷垣降しか、党を割って、新党結成かと大騒ぎに取り沙汰した。顔だけはコワモテだが、中身は子犬と知らずに次の首相にしたいナンバーワンの舛添でもある、当然の反動として谷垣総裁の求心力に影響を与える。
もう既にこの時点で谷垣総裁が総裁選で掲げて当選した「みんなでやろうぜ全員野球」に綻(ほころ)びが生じることとなった。
そこへきて自民党与謝野元財務相が3月10日発売月刊誌「文芸春秋」4月号掲載論文で、夏の参院選前に谷垣禎一総裁ら執行部の刷新を求め、実現しない場合は新党結成も辞さないと短刀を突きつけた。
尤も舛添の「通訳の際に行き違い」も、与謝野の短刀も谷垣腹心の川崎二郎国会対策委員長からすると、「舛添さんも与謝野さんも、何が不満かわからないが、後ろから鉄砲を撃ってくる」と、より強力な鉄砲に格上げしている。
後ろからの鉄砲ということなら、それが強力である分、「みんなでやろうぜ全員野球」はより危険に曝され、弱体状態にあることを示す。
尤も与謝野馨は論文について、「自民党がこのままの体制で、夏の参議院選挙で勝利できるか疑問だ。単なる権力闘争ではなく、自民党は新しく出直すべきだという問題提起だ」(NHK)と自らが主宰するグループの会合で説明したという。
2009年9月28日に「みんなでやろうぜ全員野球」で新しく出直したはずである。それから約半年、再び「自民党は新しく出直すべきだ」と与謝野は「問題提起」した。
「みんなでやろうぜ全員野球」を「出直すべきだ」と「問題提起」したのである。半年前の「みんなでやろうぜ全員野球」は何だったんだとうことになるが、与謝野にはそんなことは頭にないに違いない。
要するに「みんなでやろうぜ全員野球」は何ら意味を成さなかった。
反執行部分子の出現はその反動として執行部擁護分子の誘発を伴う。「総裁選で『みんなでやろうぜ全員野球』の谷垣総裁を我々は選んだのだから、しっかり支えなければならないはずだ」とばかりに。
だが、掛け声ばかりでは反執行部分子を宥めることはできない。自民党が審議拒否して、それを貫き通すことができずにたったの3日間で審議復帰して政府の予算案通過に間接的に手を貸してしまった川崎二郎国対委員長への風当たりが強まっていることから、反執行部共々その交代を求めて、執行部刷新を国対委員長のみにとどめてガス抜きを図る動きが出てきたらしい。
だが、「みんなでやろうぜ全員野球」の破綻を自ら証明することになりかねない執行部刷新の考えはないことを示していた谷垣総裁にとっても、腹心である川崎国体委員長の交代は両刃の剣となる。交代はさせたものの、党支持率が上がらなければ、最終的責任は谷垣本人に及んでくる。
このことは執行部の入れ替えといった刷新についても同じことが言える。党執行部を刷新したからといって、あるいは国対委員長を交代させたからといって、支持率が上がる保証はないからだ。
反執行部分子や執行部擁護分子に押し切られる形で執行部の刷新、あるいは一部幹部の交代を成し遂げたとしても、あるいは最終的な責任が自分に及ぶことを恐れて、現在のメンバーを維持するにしても、「みんなでやろうぜ全員野球」は既に破綻していることを示している。
人事を支配し、政策を利益誘導に結びつける派閥力学横行の弊害が長く言われていたにも関わらず、派閥のボスも力学も何もかもベンチに入れる「みんなでやろうぜ全員野球」を掲げ、それを党の体制としたことは従来の党体制を引き継ぐことに何ら変わりはなく、そもそもからして野党転落からの“自民党再生”に矛盾する旗印だったのである。
いわば「みんなでやろうぜ全員野球」が“自民党再生”を掛け声で終わらせることとなった。自民党再生の機能を内部に持たない「みんなでやろうぜ全員野球」だったとも言える。
あるいはこうも言える。「みんなでやろうぜ全員野球」と“自民党再生”は相反する価値観であったと。“自民党再生”への力が働けば、「みんなでやろうぜ全員野球」は圧力を受ける。「みんなでやろうぜ全員野球」に意思の集約が働けば、“自民党再生”意思は排除を受ける。
現在のところ支持率の低迷が“自民党再生”の方向に力を与えることとなっているために、「みんなでやろうぜ全員野球」が迫害状態にあるということなのだろう。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
元々は差別という排除が日本社会に継続的に存在していたから、在日をして朝鮮学校に追いやる背景が親子代々受け継がれてきた側面もあるのではないだろうか。いわば日本人の彼らに対する差別への反撥が彼らの反日感情を生むカガミの関係をつくり出し、反日教育受け入れの素地を形成し、その拠点が朝鮮学校となっているということではないのか。
現在の韓流ブームから見ると想像もできないだろうが、戦前と戦後の朝鮮人を劣等国民(狡い、凶悪、犯罪的性格を有している等々)と見る日本人の対朝鮮人差別には激しいものがあった。そのような差別の激しさを受けて、彼らの反日感情も激しいものがあったに違いない。年と共に差別観は薄らいでいったが、親が受けた差別とその差別と響き合わせた反日感情を子に受け継がせ、風化させない場所が朝鮮学校であり、あるいは決して劣等国民ではないことの証明が朝鮮学校での民族教育である可能性もある。
日本社会が朝鮮人を対等な人間として扱う歴史と文化と伝統を抱えていたなら、日本の敗戦によって朝鮮が独立することになったとしても、朝鮮学校での反日教育は存在しようがなく、当然のこととして彼らをして反日に走らせることはなかったはずであるし、そもそもからして朝鮮学校に通って反日教育を受ける動機を失うはずである。
いわば初期的には差別が動機付けた差別の歴史が動機付けた彼らの反日であるとも言える。
差別を直接的に知らない世代であっても、親や学校が教える差別の歴史が動機付けた反日と言うこともあるに違いない。
鳩山首相は最初は北朝鮮の拉致を理由に、次に「政治の教育への介入」の懸念が取り沙汰されると、教育課程や教育内容を理由に朝鮮学校を高校無償化の対象から排除する姿勢を一旦見せたが、高校無償化法案を成立させたあと、有識者による対象の基準づくりを行って文部科学省令で規定、その規定に従うと、即排除から先送り決定となった。自分で判断せずに、第三者に判断の丸投げをしたとも言える。
〈自民党の麻生太郎前首相は11日の派閥総会で「鳩山政権は話がぶれる。私の政権時はこの程度のぶれはえらい騒ぎになった。ものすごく大きなぶれだと思う」と述べ、米軍普天間基地や子ども手当などを巡る鳩山内閣の対応を批判した。〉(《私のときはえらい騒ぎに…麻生前首相、現政権のぶれ批判》asahi.com/2010年3月11日16時43分)ということだが、「私の政権時はこの程度のぶれはえらい騒ぎになった」、「この程度」が「ものすごく大きなぶれ」だということなら、麻生政権のぶれも「ものすごく大きなぶれ」となって五十歩百歩ということで批判できないはずだが、高校無償化でも鳩山首相はぶれていないとは言えない。
橋下大阪府知事が高校無償化の対象に朝鮮学校を加えることに猛反対している。
《橋下知事「北朝鮮はナチスと同じ」 朝鮮学校無償化問題で》(msn産経/2010.3.10 12:04 )
「民族差別だという指摘があるが、朝鮮民族が悪いわけではない。北朝鮮という不法国家が問題。それはドイツ民族とナチスの関係と同じだ」
「学校経営に暴力団関係者がかかわっていれば税金は投入できない」ことを譬えに出して、それと同じことだというわけなのだろう、
「不法国家の北朝鮮と結びついている朝鮮総連と関係があるなら、税金は投入できない」
さらに坊主憎けりゃ、袈裟まで憎しからか、大阪府が朝鮮学校に交付している私立外国人学校振興補助金についても「廃止を念頭に置いている」と述べたという。
記事は、〈大阪府は、教育研究や管理経費などとして、私立外国人学校振興補助金の名目で11校の朝鮮学校に対し、平成20年度で約1億3千万円を支出〉、〈授業料軽減補助金として、高級学校(高校)には約7千万円が出されている。〉と伝えている。
但し、鳩山首相と同じく直ちに無償化から排除するのではなく、〈知事自身が朝鮮学校を視察し、授業内容や学校経営の実態などを考慮した上で判断するとしている。〉と、「ドイツ民族とナチスの関係と同じだ」と悪しざまに譬えて猛反対した割には尻すぼみの順当さを見せている。
また《「浅はかな有識者…政権左右される不安」 朝鮮学校無償化で橋下知事》(msn産経/2010.3.11 11:49)が同じ問題での橋下知事の政府批判と反対理由を書いている。
(政府が一転して朝鮮学校も対象に含める方向で検討していることに対して)「教育と政治は別などという、浅はかな有識者のスローガンに政権が左右されるのは国として不安だ」
「こんなことなら、国は始めから問題提起をする必要はなかった。・・・・僕は北朝鮮という不法国家と関係がある団体や施設には公金をいれるべきではないと思っている。政権には国民が選挙で審判を下すだろう」
「msn産経」記事――《金父子礼賛色濃く…朝鮮学校教科書、無償化に疑問符》(2010.3.11 11:49)は朝鮮学校の内情について次のようなことを書いている。
〈産経新聞が10日、入手した朝鮮高級学校で使われる教科書は、北朝鮮の政治体制と故金日成主席、金正日総書記の父子を礼賛する記述が色濃かった。教科書には金正日総書記の決裁が必要であり、無償化適用は独裁者への個人崇拝教育が行われている同校の実態を無視したものといえそうだ。〉
以下、〈「反日から始まる金日成(主席)の革命史、金正日政権につながる封建世襲教育、金父子の神格化」〉の強調。〈政治思想として「主体思想」を挙げ、「敬愛する金日成主席さまが掲げる主体思想は人間中心の世界観による人民大衆の自主性を実現する革命思想である」として、社会主義革命を通じた理想国家建設をうたっている。〉、〈「敬愛する金正日将軍さまを国防委員会委員長として高く奉じていることは、われわれの祖国と人民の大きな栄光であり幸福である」と記述。その上で「先軍政治」をたたえている。〉、朝鮮学校使用の教科書は、〈「日本の朝鮮大学校で作成された草案が北朝鮮に送られ、修正されたうえで、金総書記が目を通してサインして決裁する」〉と韓国のジャーナリストの言葉を伝え、さらに当該ジャーナリストの、〈「朝鮮総連が高校無償化の恩恵を受けようとするなら、傘下学校の金父子肖像画を下ろし、金正日神格化教育を放棄すべきだ」〉との警告を伝えている。
例え北朝鮮の体制思想と朝鮮学校で教える思想が表裏一体を成していたとしても、2月28日当ブログ記事――《高校無償化の朝鮮学校排除で終わらない日本社会への影響》で書いたと同じ結論になるが、彼らを一般人として受け入れるのは日本の社会である。日本人の彼らに対する一般的な態度が彼らの一般的な態度に影響を与え、彼らの一般的な態度が日本人の一般的な態度に影響を与える相互作用を社会は築く。
もし初期的には彼らの反日感情が彼らに対する差別から発した相互作用に立った意識表現であり、それを引き継いだ民族教育としてあるなら、そのことの相互作用からの、橋下知事が「不法国家の北朝鮮と結びついている朝鮮総連と関係があるなら、税金は投入できない」と言っているように日本側からの朝鮮学校無償化排除であるなら、初期的な差別に対する反日感情という相互作用を日本社会は延々として引継ぐぎこととなり、日本の社会にその爪痕(つめあと)を残すことにならないだろうか。
例え無償化対象とすることを以てしても朝鮮学校に於ける反日教育の力が上回って彼らの反日意識を日本の社会が払拭できなかったとしても、相互作用に少しは棹差す力となり得ないはずはない。逆に無償化排除は逆作用を及ぼす力となるように思えるが、どうだろうか。
例え朝鮮学校でキム親子を個人崇拝する教育が行われていたとしても、日本人自身の彼らに対する敵対意識を緩和することで個人崇拝教育からせめて反日意識だけは緩和させる相互作用を作動させるときがきているのではないだろうか。差別に対する反日感情とそのことに対する日本側の警戒の相互作用の連鎖を断ち切る作業である。
追記(7時04分)
「asahi.com」記事が、拉致問題が解決しないことから閣内にも除外を求める声があり、日本の高校に準じた教育が行われていることを確認できる国同士の正式なルートがない以上、他の学校と同等に扱うことはできないと判断との判断から、4月に実施予定の「高校無償化」をめぐり、全国の朝鮮学校を制度の対象から除外する方針を固めたと伝えている。
但しあくまでも「方針」であって、〈世論には「差別的な扱いをすべきではない」という意見も強い。文部科学省には「教育内容を客観的にチェックする第三者機関を設け、そこで認められたら除外を解除できるようにしてはどうか」という案もあり、「永久除外」にはならない可能性もある。〉とも伝えている
《朝鮮学校、無償化除外へ 文科省「教育内容の確認困難」》(asahi.com/2010年3月12日4時26分)
例え排除が決定しても、私自身の排除反対の理由は変わるものではない。