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安倍晋三の予定調和で成り立たせた支離滅裂な安保法制と独裁意志を露わにした2015年5月20日党首討論

2015-05-21 12:27:50 | 政治


 昨日2015年5月20日午後3時から安倍晋三と民主党代表岡田克也、維新の党松野頼久、共産党志位和夫とそれぞれの党首討論が行われた。

 ここでは岡田克也民主党代表との党首討論を取り上げてみるが、安倍晋三が考えている日本の新しい安全保障は今後起き得ると想定した全ての事態が想定した予想通りに結果も予想通りとする予定調和から成り立っていることが明らかとなる。

 安倍政権国会提出の自衛隊の後方支援活動はあくまでも集団的自衛権との関連で取り上げる。集団的自衛権行使容認に動く以上、後方支援にしても何にしても、他国との共同での戦闘行為との関連で自衛隊の活動は把えられることになるからだ。

 いわば集団的自衛権行使以外の自衛隊活動であっても、アメリカやその他の友好国の軍隊と一体的と見られる中での活動となるからである。

 最初に《自衛の措置としての武力行使の新3要件》(2014年7月1日閣議 決定)を挙げておく。

①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、こ
 れにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があ
 ること

②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと

③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと――

 〈我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある〉という“危険”とは、並大抵な危険ではなく、比喩的に説明すると、猛烈な勢いの超大型台風が迫って来ていて、大して頑丈ではない建物の中に閉じ込められてそれが通過するのを待つ家族の状況に国家・国民が置かれている危険に譬えることができる。

 外は猛烈な雨風が吹き荒れていて、今にも建物に襲いかかろうとしている。あるいは既に襲いかかっている。

 いわば国家及び国民を今まさに囲んでいる、あるいは囲もうとしている安全保障環境は超大型台風並に危機的状況となっている。

 そうでなければ、〈我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある〉と言うことはできない。

 安倍晋三が考えている新しい安全保障法制の全体像はそういった危機的状況の安全保障環境に見舞われた場合はそれを家の中にいて通過するをじっとして待つのではなく、外に打って出ようというものであろう。

 そういった起こり得るかもしれない日本と日本国民を取り巻く中途半端ではない危機的安全保障環境を前提として安倍晋三の発言を見なければならない。

 岡田代表は「重要影響事態安全確保法」と「国際協力支援法」に関係する後方支援を取り上げて、例え戦闘地域ではなくても、武器、弾薬、武装兵員を輸送する後方支援任務の自衛隊に敵勢力が襲撃しない保証はない、自衛隊のリスクは飛躍的に高まるのではないかと問い質した。

 安倍晋三「今回は戦闘現場ということにさせていただいて、そこで戦闘が起こったときにはただちに部隊の責任者の判断で一時中止をする。そしてあるいは退避するということを明確に定めているわけであります。つまり、今までの建て付けは、その活動期間を通じてずっと戦闘が行われないということを決めていたわけでありますが、しかし、そのことによってですね、そのことによって果たして柔軟な態勢ができるのかどうかということが、大きな課題であって…(ヤジがうるさく)みなさん、ちょっと黙って聞いていただけますか。こういう議論は大切な議論ですから、冷静に議論しましょうよ。よろしいですか。

 そこでですね、そこで大切なことは、そういう決めつけを行うのではなくて、戦闘現場になり得ることがあり得るという中に於いて、速やかに作業を中止する、あるいはまた退避するということを定めているわけであります。そして勿論、食糧等を輸送するわけでありますが、こうした部隊は重武装しているわけではありません。勿論、武装はしている。しかし、重武装をしているわけではありませんから、そもそも戦闘に巻き込まれることがなるべくないような、そういう地域をしっかりと選んでいくのは当然のことであり、安全が確保されているというところについて活動していくことは、当然のことであろうと思うわけであります。

 そもそもですね、そもそもしっかりと物資を持っていくわけでありますから、これが奪われる蓋然性が高いところに行くわけはないわけでありまして、ですから、安全が確保されている場所に我々はいわば輸送を、後方支援を行う。安全が確保されている場所で後方支援を…すいません、先ほどからあまりにもヤジがうるさ過ぎますよ。そういう場所でしっかりと支援活動を行っていくことにしたいと考えているわけであります」・・・・・・

 言っていることが支離滅裂である。戦闘現場に行くが、戦闘が起きたら、後方支援を一時中断するか、あるいは退避する。後方支援の場所を「戦闘現場ということにさせていただいて」と言いながら、「戦闘に巻き込まれることがなるべくないような、そういう地域をしっかりと選んでいく」と言う。

 一方で、輸送している物資が「奪われる蓋然性が高いところに行くわけはない」、「安全が確保されている場所で後方支援を行う」と断定する。

 こういった何も危険がないことを誰が常に保証してくれるのだろうか。まさに今後起き得ると想定した全ての事態が想定した予想通りに結果も予想通りとする予定調和を言葉を多く費やして述べているに過ぎない。

 ここで言っていることを安倍晋三が同じくいっているホルムズ海峡の機雷封鎖撤去で譬えてみる。

 テロ集団を含めた敵勢力がホルムズ海峡に機雷の敷設を開始した。アメリカ軍がその情報をキャッチして、機雷敷設を妨害するために攻撃することもなく、機雷封鎖が終わりました。石油の輸送が止まったら、存立危機事態に相当するからと、自衛隊が後方支援としてその撤去を始める。敵がその撤去を妨害するために攻撃してきたら、一時中止するか退去する。

 攻撃がやんだら、再び機雷撤去に取りかかる。

 このような状況が確実に保証されて初めて、「戦闘に巻き込まれることがなるべくないような、そういう地域をしっかりと選んでいく」という約束が成り立つ。

 つまり「一時中止」と「退去」を誰も阻害することなく、あるいは誰からも阻害されることなく常に可能であるとしていることになって、その可能性の上に自衛隊のリスクはないとしていることになる。
 
 この可能性は今後起き得ると想定した全ての事態が想定した予想通りに結果も予想通りとする予定調和を絶対前提としていなければ成り立たない。

 戦闘行為が行われていない場所ではオスプレイは墜落しない、着陸失敗もないと言っているようなものである。

 肝心なことは答えずに、安倍晋三は言葉多く同じことを繰返している。

 安倍晋三「そこで、そこで大切なことはですね、そこで大切なことはよくこうした議論を深めていくことなんだろうと思います。私たちの考え方では、今までの非戦闘地域という概念よりも、戦闘現場という概念を以って、しっかりと安全が確保されている、戦闘行為が行われていない。しかし行われれば、ただちに現場の指揮官の判断で中止、あるいはその後退避することが機動的にできるようにしていきます。しかし基本的にこうした後方支援活動を行うことは、戦闘が行われていない場所であるということは申し上げておきたいと思います」

 「中止」も「退避」も絶対的に保証された行動と見做している。あるいは「戦闘が行われていない場所」がいつまでも「戦闘が行われていない場所」であるとする安請け合いは予定調和なくして成り立たない。

 このことは次の発言が証明する。

 安倍晋三「非戦闘地域に於いて作業をしている間、ずっとそれは戦闘地域にはならないということを前提としているわけであります」 

 誰がその「前提」を保証してくれるのか。敵勢力がそれを保証した場合、その戦力は恐るるに足らないものとなる。存立危機事態の対象ともならないことになる。

 饒舌は饒舌だが、言葉が多いだけで、議論自体を合理的に論理立てることができない安倍晋三の頭の中身を見たい。

 岡田代表が集団的自衛権の限定的行使の場合、相手国の領土、領海、領空に及ぶのかと問うと、新3要件を条件としている以上、他国への攻撃が個人が猛烈な勢いの超大型台風に見舞われているに等しい、あるいは見舞われようとしているに等しい軍事的に危機的な安全保障状況に国家と国民が迫られているとき、集団的自衛権に則って他国との共同での戦闘行為を想定しなければならないはずだが、「外国の領土に上陸していって、戦闘行為を行うことを目的に武力行使を行うということはありませんし、あるいは大規模な空爆を共に行うなどのことはないということは、はっきりと申し上げておきたい、このように思います」と言って、新3要件の存立危機事態に反することを言っている。
 
 対して岡田代表の反応。

 岡田代表「今の首相の答弁は納得できないんですね。大規模空爆というのは確かにね、必要最小限を超えるという議論はあるかもしれませんよ。だけど、武力行使をするっていうのは、存立事態そのものじゃないですか。だからそれ自身、相手国の領土、領海、領空で本当にやらないんですか、本当に。公海上でしか存立事態に於ける集団的自衛権の行使はやらないんですか。それは首相、間違いですよ。法制上はできるんじゃないですか、どうですか、これ」

 安倍晋三は、「一般に海外派兵は行わない」と言い、「我々は外国の領土に上陸をしていって、まさに戦闘作戦行動を目的に武力行使を行うことはしない」と同じ言葉を繰返して、「まあ3要件があるからこそ、限定的な容認にとどまっているわけであります」と矛盾したことを言っている。

 新3要件の③の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」を言っているのだろが、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」という安全保障上の危機が迫っている中、その危機を排除する集団的自衛権行使が「必要最小限の実力行使」で可能とすること自体が、今後起き得ると想定した全ての事態が想定した予想通りに結果も予想通りとする予定調和――幻想に過ぎない。

 更に安倍晋三は集団的自衛権行使の新3要件に矛盾することを平気で口にする。

 安倍晋三「例えば日本を巡る状況が緊迫した状況があるとします。緊迫した状況にあって、自衛隊の艦船、あるいは米国の艦船が警戒に当たっているということは十分にあり得るというわけであります。その時にはこれは武力攻撃事態の予測事態にはなっているかもしれない。

 そうなれば、自衛隊に待機命令が出ている。しかし、わが国に、そうなっていたとしても、わが国に対する武力攻撃が発生しなければ、他国に対する武力攻撃があったとしても、それは例えば米艦に対する武力攻撃があったとしても、我々は武力行使をしない。これは明確なことであります。これは今までの法解釈で明確なことであって、これは国際法的に集団的自衛権の範疇に入っているということは明らかなことであります。

 そしてまた、明白な危機が切迫しているという、これは武力攻撃事態でありますが、そん中に於いて武力攻撃が発生する、または切迫な危機が明白であったとしてもですね、それはまだ、それはまだ武力攻撃が発生をしていないわけでありますから、この武力攻撃事態になったとしても、まだ武力攻撃が発生していなければ、米艦に対する武力攻撃があったとしても、われわれはこの米艦を守ることができないというのは、厳然とした事実としてあるわけでございます」

 新3要件の①はあくまでも「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」を条件としている。

 つまり我が国と国民の存立危機事態という「明白な危機が切迫している」ことを前提とした議論である以上、集団的自衛権行使に動かなければ、新3要件は崩れることになるはずだが、「米艦に対する武力攻撃があったとしても、我々は武力行使をしない」と言い、多分日本に対するか、あるいは自衛隊部隊に対する「まだ武力攻撃が発生していなければ、米艦に対する武力攻撃があったとしても、我々はこの米艦を守ることができないというのは、厳然とした事実としてあるわけでございます」と言う支離滅裂を披露している。

 岡田代表は改めて確認する。

 岡田代表「相手国、これは米軍と、米国と戦っている相手国に対して新3要件が満たされている、その場合に日本の自衛隊が、その国の領土、領海、領空で武力行使をする、集団的自衛権を行使するということは、それはないんですね」

 安倍晋三「岡田代表がおっしゃったように、他国の領土に、いわば戦闘行動を目的にですね、自衛隊を上陸をさせて武力行使をさせる。あるいは、領海に於いて領空においてそういう活動をする、派兵するということはないということを申し上げておきたい、このように思います」

 岡田代表「今回の場合は、明らかに米軍との戦いが相手国の領土領海領空で行われている場合に、そこまで行かなければ集団的自衛権の行使できないじゃないですか。だから、そういう場合も当然あるというのが私は政府の本来の解釈だと思います。

 だから、総理、いいです。ちゃんと答弁されましたから。もし、これが間違っていたら、法案修正してくださいね。『他国の領土、領海、領空ではやらない』と。はっきりと法律に書いてくださいね。そのことを申し上げておきたいと思います」

 岡田代表は更に念を押す。

 岡田代表「今日、総理が言われたことは、私は一つも納得できませんよ。お答えになってませんよ。間違ってますよ。どうなんですか」

 安倍晋三「何を以って間違っていると言っておられるのか私分かりませんが、我々が提出する法律についての説明は、全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」(鼻先でフッと笑って言う。)

 そして最後まで支離滅裂なことを言う。

 安倍晋三「日本の意志に反してですね、日本が戦闘活動に巻き込まれていくということは当然ないのは当たり前のことでありまして、今申し上げまして、わが国の存立が脅かされない限り、我々は武力行使はしないし、後方支援活動においてもですね、戦闘現場になれば、ただちにこれは撤収していくわけでありますから、この巻き込まれ論というのはあり得ないわけであります」
 
 国家・国民の存立危機事態を前提とした集団的自衛権行使の議論であるはずだが、つまり「わが国の存立が脅かされ」た場合の集団的自衛権行使=日本の意志に基づくことになる戦闘活動は、その範囲はどうなるのか、その程度に於いても米軍と一体化することにならないのか、伴うリスクはどうなのかの議論であるはずだが、逆の議論をして、自衛隊が負うリスクも国民が負うリスクも大したことがないように見せかけている。

 安倍晋三の今後起き得ると想定した全ての事態が想定した予想通りに結果も予想通りとする予定調和は同じく安倍晋三の支離滅裂な議論と相互対応している。前者が後者を可能とし、後者が前者を可能とする相互対応性である。

 にも関わらず、「我々が提出する法律についての説明は、全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と言う。

 一分の間違いも疑わずに自己を絶対的に正しいとするこの自己絶対性は独裁者こそが持つ資質である。少なくとも安倍晋三は独裁意志を色濃く持っていると言うことができる。

 ただ時代がそれを発揮させないでいるだけである。時代が安倍晋三をしてその独裁意志を抑制させているだけのことで、だからこそ、戦前の日本国家に郷愁を感じている。

 安倍晋三のこの独裁性という点からも、安倍晋三が関わる安全保障制度に危険を嗅ぎ取らなければならない。

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広島・長崎への各国首脳の訪問よりも、なぜ原爆を投下されるに至ったのか、その検証こそが重要

2015-05-20 08:23:26 | 政治


 「NHK NEWS WEB」記事によると、日本が国連本部での核拡散防止条約(NPT)再検討会議で世界の指導者らに被爆地訪問を促す文言を合意文書の草案に盛り込むよう提案、盛り込まれたものの、中国が「日本は戦争の被害者という立場を強調している」と抗議、削除されたという。

 被爆地訪問は核兵器の非人道性への認識を深めて貰うために日本が提案したそうだ。

 5月18日の会議では外務省が杉山外務審議官を派遣、「核兵器の非人道性を伝えるには広島・長崎への訪問は何より有益だ」と発言、文言の復活を求めた。

 複数の国が「核兵器の廃絶を目指すには広島・長崎の悲惨な体験を知ることが欠かせない」等々、日本を支持する発言もあったという。

 但し韓国は「核兵器の非人道性を伝える必要があるのは当然だが、世界の指導者に広島・長崎への訪問を呼びかけることは、この会議の目的とは直接関係がない」と述べ、文言を戻すことに消極的な姿勢を示したと伝えている。

 核兵器は使用されて初めてその非人道性を露わにする。

 尤も核兵器がこの世に存在しなければ、使用されることはないから、その非人道性は発揮されようがないという議論も成り立つが、現実には存在し、使用される可能性は否定できない。

 現に安倍晋三の大のお友達プーチンはウクライナの主権と国際法を無視、力による現状変更の荒手でクリミアをロシアに一方的に編入した際、このことに反対する北大西洋条約機構(NATO)との全面対決の可能性に備えて核兵器の使用を準備していたことを明らかにしている。

 つまり安倍晋三の大のお友達プーチンは核兵器の使用を辞さいない首脳と言うことになる。

 果して核兵器の使用を辞さいない首脳は安倍晋三の大のお友達プーチンだけだろうか。金正恩もその一人に挙げることができる。経済的にか政権運営上土壇場まで追い詰められたら、いわば北朝鮮なりの国家存立の危機に迫られたなら、これまでとばかりに逆上して核兵器使用に走らないとも限らない。

 特に最近危険視されているのはテロ組織という新たな権力集団が核を手に入れた場合、敵殲滅に手段を選ばない権力体質からその非人道性を問題としないだろうし、逆に相手国、あるいは敵対勢力に対して恐怖と大きな被害を与えて戦力的に優位に立とうとする目的でその非人道性を利用する可能性は否定できない。

 核兵器の使用を辞さいない首脳が広島・長崎を訪問して核兵器の非人道性を伝える伝道師となるだろうか。

 但し訪問だけはするかもしれない。核兵器所有国の首脳の訪問か否かで核兵器に持つ姿勢のリトマス試験紙とされることを避ける目的からである。

 つまり訪問によって核兵器は非人道的兵器であると装うことはするかもしれない。そのような首脳が存在するとしたら、訪問は儀式の一面を持つことになる。

 訪問するしないに関わらず、安倍晋三の大のお友達プーチンみたいに核兵器の使用を辞さいない首脳が存在する限り、核兵器廃絶は夢のまた夢へと遠のくことになる。

 例え広島・長崎への訪問が核兵器の非人道性を伝える役目を果たしたとしても、核兵器使用の抑止力には必ずしもならないと言うことにもなる。非人道的だと思っていても、自国の生存が脅かされかねない安全保障環境下に置かれた場合、所有への衝動が働く。衝動が実際の所有へと向かう。

 安倍晋三が国家及び国民生存の存立危機事態が生じた場合の武力行使を認めようとしているのと同じように核所有国は核を所有していることによって最悪の存立危機に迫られた場合、核を使用する確率は否応もなしに高まる。

 確かに日本は核兵器の非人道性に見舞われた唯一の被爆国として、各国首脳に広島・長崎への訪問によってその非人道性を伝えたい思いは強いものがあるだろう。

 だが、日本が唯一の被爆国であり、核兵器の非人道性を言うとき、中国は「日本は戦争の被害者という立場を強調している」と批判しているが、日本を善者と位置づけ、原爆を投下したアメリカを悪者と烙印を押すことになる。

 日米が平穏な関係にある中、B29が突然飛来してきて、いきなり原爆を投下したわけではない。日本が起こした戦争を発端として日米多くの犠牲者を出していく過程で決定された広島・長崎の原爆投下である。日本側に原爆投下を招く原因がなかったのだろうか。

 昭和20年7月26日 日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表された。

 対して日本の鈴木貫太郎首相は軍部の圧力を受けて翌々日の7月28日午後の記者会見でポツダム宣言の黙殺、断固抗戦との首相談話を発表。

 9日後の昭和20年8月6日に広島に原爆が投下され、死者14万人を出した。そして3日後の昭和20年8月9日の長崎原爆投下。死者7万人。

 ポツダム宣言無視と広島・長崎原爆投下を断絶した出来事とすることができるだろうか。連続した出来事ではなかったろうか。

 後者であるなら、鈴木貫太郎と軍部が加担した原爆投下でもあるということになって、アメリカを悪者と位置づけ、日本を善者と位置づける原爆投下とすることは正確な歴史とすることはできず、一方的な解釈となる。

 日本を唯一の被爆国とし、核兵器の非人道性を言う正当性に関してもその純粋性に疑問符がつくことになる。

 そのことを隠した唯一の被爆国ということなら、単なる被害者意識一辺倒のウリとなる。

 広島・長崎への各国首脳の訪問よりも、なぜ原爆を投下されるに至った、日本としてのその検証こそが重要で、もし日本の戦前政府と軍部の愚かさが招いた原爆投下でもあるなら、そのような愚かさをこそ、核兵器使用や所有に対する警告とすべきではないだろうか。

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国家権力の愚かさが如何に国民に悲劇となるか、Nスペ「終戦なぜもっと早く決められなかったのか」から再掲

2015-05-19 10:41:31 | 政治


 安倍晋三が自身は「日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にない」と否定しているが、少なくとも自衛隊が海外で戦争に巻き込まれる危険性を想定しなければならない安全保障関連法案を国会に提出、日本の軍事的影響力を世界に広げて日本の大国としての存在感を高めようとしている。

 特に軍事面に於ける国家権力の愚かさが国民にどれ程の悲劇をもたらすか、戦前の歴史から学んだ。

 このことを忘れてはならない教訓としなければならないし、教訓とするためにNHKは2012年の日本敗戦の日8月15日にNHK総合テレビで、NHKスペシャル「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」を放送したはずだ。

 この放送を元に2012年8月17日に《(1)2012年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」前半文字化 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と題してブログをエントリーし、翌8月18日、《(2)2012年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」後半文字化 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と題してブログとし、引き続いて8月20日に、《12年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」に見る指導者の責任不作為》を当ブログ記事としたが、 最後のブログを忘れてはならない教訓の一つとして、なるかどうかわ分からないが、少し手直しして再掲してみることにした。

 番組全体の構成はヨーロッパ駐在の海軍武官から昭和20年5月24日を始めとして、「ヤルタ会談でソ連は対日参戦を約束した」等々伝える極秘電報が日本に逐次発信されていながら、その情報に基づいた終戦処理を行わず、徒に戦争を長引かせた上にソ連参戦まで招いて多くの犠牲者を出した日本の指導者たちの“責任不作為”をクローズアップするという形を取っている。

 これら電報はロンドンオリンピックの2012年にイギリス国立公文書館で発見された、イギリス側が解読していた日本側送付の電文だという。

 改めて上記電報から列挙してみる。

 昭和20年5月24日ヨーロッパ駐在海軍武官「ヤルタ会談でソ連は対日参戦を約束した」

 昭和20年6月8日リスボン駐在陸軍武官「7月以降、ソ連が侵攻する可能性は極めて高い」
 
 昭和20年6月11日ブルンの海軍武官「7月末までに日本の降伏がなければ、密約通りソ連は参戦する」

 昭和20年7月21日在チューリッヒ総領事神田穣太郎電文「私達は重大な岐路に差し掛かっている。この機を逃せば、悪しき日(昭和20年8月9日となったソ連参戦の日)として歴史に残るだろう。

 確固たる決意を持って、戦争を終結に導き、和平への交渉に乗り出して欲しいと、切に願う」

 だが、政府中枢、軍部中枢は共に戦争終結に向けた動きを見せなかった。昭和20年1月20日大本営制定の『帝國陸海軍作戦計画大網』で策定した本土決戦の方針を変えず、1942年6月5日~6月7日のミッドウェー海戦で日本側が大敗したことによって太平洋上の制海権を失い、1944年末には日本本土周辺の制海権・制空権共に失っている状況にありながら、本土決戦の準備を着々と進めていた。

 小谷防衛研究所調査官「今までは日本政府は陸海軍共、ヤルタの密約については何も分かっていなかったと。で、8月9日のソ連参戦で初めて、皆がびっくりしたというのが定説だったと思いますけれども、やはり情報はちゃんと取れていたことがですね、この資料から明らかになっていると思います。再考証が必要になってくる事態ではないかと思います」

 電報を受け取ってソ連参戦の可能性を想定していながら、電報を握りつぶす形で本土決戦の準備を進め、その時間稼ぎのために硫黄島の戦い(昭和20年2月19日~昭和20年3月26日)を防戦一方の持久戦とし、沖縄戦(昭和20年3月26日~昭和206月20日)を本土決戦の捨石としたとしたら、本土決戦の計画を一旦は決めたことの体面を優先させたことになって、権力中枢の愚かさは計り知れないものとなる。

 「Wikipedia」の「沖縄戦」の項目に、〈大本営がアメリカ軍に大打撃を与えて戦争継続を断念させる決戦を志向したのに対し、現地の第32軍司令部は当時想定されていた本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦」(持久戦)を意図するという不統一な状況であった。〉と書いているが、制海権も制空権も失い、人員・兵器双方の物量に桁外れに差がある状況で「アメリカ軍に大打撃を与えて戦争継続を断念させる決戦」を計画すること自体、まともな考えとは言えない。

 もし上層部が電報を受け取っていなかったとしたら、各種情報によって作戦を組み立て、準備し、戦闘を進める軍隊の頭脳に相当する情報戦の最終段階は全く機能していなかったことになって、日本は陸軍・海軍共に軍隊としての体裁を整えていなかったことになる。

 本土決戦の『帝國陸海軍作戦計画大網』を大本営の立場で策定した参謀本部作戦部長宮崎周一(最終階級は陸軍中将)の戦後にテープに残した肉声証言がある。

 宮崎周一(録音音声)「物的、客観的情勢に於いて、(本土決戦は)大体に於いてできると。あるいは相当な困難、あるいは極めて困難。

 まあ、この三つくらいに分けて、これは俺も考えた。(本土決戦は)極めて困難。はっきり言う。聞けば聞く程困難。極めて。

 それじゃあ断念するかというと、それは断念できない、俺には。作戦部長の立場に於いて、そんなこと言うなんてことは、とても言えない。(一段と声を大きくして)思っても言えない」

 本土決戦には50個師団が必要だ、何だと、当時の日本の戦争遂行能力からしたら計画倒れな拳を振り上げたそもそもの張本人である。

 本土決戦の実現可能性困難を言いながら、その情報を軍上層部に具体的根拠を添えて伝え、説得するのが作戦部長としての責任のはずだが、「作戦部長の立場に於いて、そんなこと言うなんてことは、とても言えない」と自身のメンツを後生大事にし、作戦部長としての職務上の責任不作為にはサラサラ気づかない、その程度の頭と人間性しかなかった。

 これで日本の軍隊の組織としての質が一目瞭然となる。この程度の頭と人間性しかない人物が中将まで出世できるということは、周囲の上層を含めて似た者同士でなければあり得ないからだ。上層部が優秀な人物揃いなら、無能な人物を引き立てはしない。無能な人物に高い地位を与えることはしない。似たもの同士の無能集団であることによって、お互いの無能をお互い同士の無能の中に紛れ込ませることができる。後は立派な帝国軍人であると見せかけて胸を張っていさえすればいい。

 参謀本部作戦部長宮崎周一(録音音声)「ここ(本土)へ上がってきたときに。ここで一叩き叩けばね、えー、終戦というものを、ものに持っていく、その、動機が掴める。

 それがあのー、私が、その、本土決戦というものを、あれ(計画)を一つの、動機になるんだが」

  第2総軍参謀橋下正勝(録音音声)「もう国力も底をついておるし、これが最後の戦いになると。

 それで一撃さえ加えれば、政治的に話し合いの場ができるかも分からん。できなければ、我々は、もう、ここで、えー、討ち死にするなり。

 南方の島と違う点は、島はそこで玉砕すれば終わりですがね、これはまだ本土続きですから、いくらでも援兵を送れると」

 最後の最後まで具体的根拠もない幻想でしかない本土決戦の対米一撃の可能性を信じていた。

 昭和20年7月26日 ポツダム宣言発表

 日本に無条件降伏を勧告

 日本は無視。

 外の状況が内なる日本の状況に衝撃を与える。

 昭和20年8月6日 広島に原爆投下 死者14万人

 昭和20年8月8日 ソ連対日宣戦布告

 昭和20年8月9日午前零時 ソ連参戦 満州に侵入

  死者       30万人以上
  シベリア抑留者 57万人以上

 昭和20年8月9日 長崎に原爆投下 死者7万人

 昭和20年8月14日午後11時 ポツダム宣言受諾

 昭和20年8月15日 無条件降伏

 番組の最後の場面で戦後にテープに残した肉声証言を再び取り上げている。

 内大臣木戸幸一(録音音声)「日本にとっちゃあ、もう最悪の状況がバタバタッと起こったわけですよ。遮二無二これ、終戦に持っていかなきゃいかんと。

 もうむしろ天佑だな」――

 自力で終戦に持っていくことができなかった。外部の圧力で終戦に持っていくことができたことを「天佑」だと言っているとしたら、 国民に対して機能させなければならない国家としての責任に関わる自律性の余りの欠如・責任不作為を何ら感じ取っていないことになる。

 外務省政務局曽祢益(録音音声)「ソ連の参戦という一つの悲劇。しかしそこ(終戦)に到達したということは結果的に見れば、不幸中の幸いではなかったか」

 自らが早期戦争終結を果たすことができず、国民の多くの命を奪った外部からの衝撃的出来事が与えた他力本願の戦争終結を以って、「不幸中の幸い」だと広言する責任感は見事と言うしかない。

 国民の命、国民の存在など頭になく、あるのは国家のみだから、国家の存続を以って良しとして、「天佑」だとか、「不幸中の幸い」だと言うことができる。

 外務省政務局長安東義良(録音音声)「言葉の遊戯ではあるけど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね(えへへと笑う)、あれは僕が考えた(再度笑う)。

 終戦、終戦で押し通した。降伏と言えば、軍部を偉く刺激してしまうし、日本国民も相当反響があるから、事実誤魔化そうと思ったんだもん。

 言葉の伝える印象をね、和らげようというところから、まあ、そういうふうに考えた」――

 この言葉は最悪であり、醜悪そのものでる。

 「降伏」を「終戦」と誤魔化したのは軍部や国民を刺激しないためだと尤もらしい口実を設けているが、降伏という事実を事実そのままに降伏と受け止めずに、あるいは敗戦という事実を事実そのままに敗戦と受け止めずにその事実を誤魔化し、軍人に対しても国民に対しても歴史検証の目を歪める作用を施し、それを得意気に誇っている。

 だからこそ、日本人自身の手で戦争を総括する作業に取り掛かることができず、日本人による日本人自身の責任不作為を放置し、今以て侵略戦争を聖戦だとか、人種平等世界の実現を目的としたとか、あるいは総括しないまま国会で自分たちだけの戦犯の赦免決議(1953年8月3日)を一国主義的に行い、戦犯の名誉は法的に回復させている。A級戦犯は最早戦争犯罪人ではない、あるいは天皇制の維持だけを願った戦争を民族自衛の戦争だったと世迷言を口にする日本人が跡を絶たないことになる。

 国民にとっての悲劇そのものとなった戦前の国家体制集団の無能と無能ゆえの戦争開始と戦争遂行過程での数々の愚かしい決定は例え戦後民主化されたとしても、国家体制集団が無能であったなら、再び繰返される。

 特に安倍晋三は経済的にも軍事的にも強い日本・大国日本を意志し、世界の中心に日本を位置させようとの衝動を働かせている。

 この衝動が強過ぎると、どこでどう暴走するか分からない。有能さから発する暴走もあるが、暴走する前後で誰もが無能に支配される。多くの場合は元々の無能が暴走の原因となる。

 戦前の歴史から学んだ教訓は再びないとすることはできない国家権力の無能の蔓延に対する警告としなければならない。

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安倍晋三は昭和殉難法務死追悼碑がある同じ高野山を訪問、心の中でA級戦犯その他を追悼しなかったか

2015-05-18 06:08:58 | 政治


 安倍晋三が5月16日、世界遺産の高野山金剛峯寺を訪れて、観光振興の取り組みなどを視察し、高野山金剛峯寺の応接室で中西啓宝座主と談笑したという。

 座主(ざす)とは居並ぶ僧のうち最も地位の高い者だそうだ。いわば高野山金剛峰寺のボスである。

 高野山金剛峯寺奥の院には先の戦争でA級戦犯、BC級戦犯として処刑された者、あるいは収容所内で病死や自殺をしたりした者、計約1180人の名前を刻んだ「昭和殉難者法務死追悼碑」が建てられていて、毎年4月29日、座主が儀式の中心的役割を担う導師となって追悼法要が行われるという。

 戦犯たちを「昭和殉難者」(国家のために身を犠牲にした者)として祀っているのだから、その歴史認識は戦争を起こした国家とその戦争を正義の価値観で捉えていることになる。

 このことは、《昭和殉難者法務死追悼供養碑を守る会》のHPにある平成16年4月29日の追悼の詞の冒頭の文言が証明している。

 〈八葉の峰々満山新緑に映え、遅咲き桜吹雪の中 霊峰高野山奥の院のここ昭和殉難者法務死慰霊碑の御前で、高野山真言宗管長総本山金剛峯寺座主資延敏雄大僧正猊下を御導師に仰ぎ、本山式集の御出仕を賜り、御遺族を初め多数の皆様方の御出席を頂き、先の太平洋戦争で連合軍礼なく戦犯裁判により、尊い犠牲となられた千百八十余柱の第十一回年次法要が厳かに執り行われるにあたり、謹んで追悼の詞を捧げます。〉――

 戦犯として処刑された者も戦犯裁判中に病死や自殺した者もすべて「尊い犠牲」だと、その死を崇めている。

 当然、戦争も“尊い戦争”と言うことになり、戦争を起こした国家も、“尊い日本国家”と崇め、価値づけていなければならない。

 安倍晋三は一昨年2013年4月29日と昨年2014年4月29日の「昭和殉難者法務死慰霊碑」追悼法要に自民党総裁名でメッセージを寄せている。メッセージを寄せるからには追悼法要の主催者たちと同じ歴史認識を持ち、死者に対して同じ価値観に立っていることを意味する。

 2014年4月29日のメッセージ。

 安倍晋三哀悼メッセージ「今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者のみ霊に謹んで哀悼の誠を捧げる。恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」(TOKYO Web)――

 今年2015年4月29日の追悼法要でも、主催者はその日に合わせてメッセージを依頼したが、送られてこなかったと「asahi.com」が主催者の話として伝えている。

 安倍晋三は4月26日から5月3日まで米国を公式訪問している。アメリカ国内でも安倍晋三の歴史認識には何かと批判が多い。今年もメッセージを送って訪米中にマスコミに騒がれたり、中国や韓国から反発を受けたりしたら、アメリカ国内でも色々と騒ぎを起こすことになる。

 安倍晋三にしたら、このような雑音を避けたい気持ちがあって控えたに違いない。

 靖国神社の4月21日から23日迄の春の例大祭にしても直接参拝はせず、21日に真榊奉納に代えている。訪米を控えた時期にとても靖国神社を参拝できなかったに違いない。

 観光振興を目的に高野山金剛峯寺を訪れ、座主と歓談した。2013年と2014年にメッセージを送っていた「昭和殉難法務死追悼碑」がある高野山奥の院と間近な地続きの地を踏み、直接その碑の前に立って手を合わせなくても、金剛峯寺の正門に当たる大門を潜る際、あるいは参道の石畳を歩く途中、気持を奥の院の「昭和殉難法務死追悼碑」に向けて、「今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者のみ霊に謹んで哀悼の誠を捧げる。恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」と祈りと誓いを立てなかっただろうか。

 あるいは山王院本殿や拝殿所である山王院に手を合わせて頭を下げた際(金剛峯寺を訪れて、こういったことをしなかったことは考えられない)、心の中で併せて「昭和殉難法務死追悼碑」に思いを向けて祈りを捧げ、誓いを捧げなかっただろうか。

 安倍晋三のA級戦犯に対して「国内法的には戦争犯罪人ではない」とする強固な歴史修正と彼らを昭和殉難者と見る歴史修正の加担者の一人となっているその相互対応性から見ても、「昭和殉難法務死追悼碑」に名前が刻んであるA級戦犯以下に対して密かに今年の4月29日にはメッセージを寄せなかった追悼法要をしなかったはずなない。

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安倍政権打倒の目標を安保法制法案国会成立阻止ではなく、普天間の辺野古移設阻止に置こう

2015-05-17 05:40:49 | Weblog


 安倍政権は5月14日閣議決定した集団的自衛権行使可能等を盛り込んだ安全保障法制関連法案を翌5月15日朝国会に提出した。この法案に反対する国民は法案成立阻止だけではなく、国を誤った方向に導く危険な安全保障政策を生み出す張本人として安倍晋三の退陣とその政権の打倒を願っているはずだ。

 だが、安倍政権は法案成立のために丁寧な説明・丁寧な議論を装って、それなりに審議に時間をかけるだろうし、元々は安倍晋三は「先の総選挙で公約として掲げ、国民の審判を受けた」を安全保障政策正当性の常套句としていて、それを根拠にある一定の時期に審議に十分に時間を尽くしたとして審議打ち切りを動議、例え退席する野党があったとしても、衆議院与党絶対安定多数、参議院与党過半数の議席の力を以てして衆参共に強行採決に持って行き、賛成多数で法案成立を予定調和としているだろうから、法案成立阻止は夢で終わるのは目に見えている。

 このことは誰もが予想していることであろう。既に首相官邸前、国会周辺、銀座にまで場所を広げて、安保法制関連法案を「戦争法案」に擬(なぞら)え、デモを仕掛けているが、強行採決となれば、そのデモは参加者の数と激しさを増すだろうが、強行採決の前に見かけの勢いで終わることはこれも予定調和としなければならない。

 問題は強行採決による関連法成立が次の選挙に与える影響である。参議院選挙が2016年7月に控えている。だが、安倍晋三は選挙達者である。人間が生活を最大の利害とする生きものであることを利用して、前回衆議院選挙同様に国民の生活はアベノミクス経済政策の成功にかかっているとばかりにそのことをメインの争点として前面に押し出し、安保関連の政策は争点から限りなく背景に隠す選挙術で議席獲得に動いて凌ぐことになるはずだ。

 結果、次の選挙までに経済さえ大きな失敗がなければ、自公選択はほぼ間違いないだろう。国民の多くは安保関連の法律が成立して話題が遠のけば、自衛隊が後方支援や地雷撤去で海外に派遣されたとしても、国の形が大きく変わったこととは把えずに、自分たちの生活に影響しない自衛隊だけの問題と見るに違いない。

 だが、選挙=国会の議席に左右されずに国民の力で安倍政権の打倒に持っていく方法がないでもない。

 それは普天間基地の辺野古移設阻止を力とした安倍政権打倒である。

 このことは国政に関係せずに国民の力を結集して実力行使を以ってして阻止でき、阻止の実現で安倍政権の打倒へとつなげて、安倍晋三の退陣を獲ち取ることができる。

 安倍晋三は訪米中の日本時間4月28日夜、オバマ大統領と首脳会談を行い、日米同盟を強化していくことを確認した上で、普天間基地の名護市辺野古への移設が唯一の解決策だとの考えを示して、移設を着実に進めることを約束している。

 もしこの約束が実現しなかったら、安倍晋三の立場はどうなるだろう。アメリカは沖縄基地を中東への発信基地にもしている。安倍晋三の対米従属性から言っても、「日米同盟の強化の積み重ねの集大成が今回の訪問であり、これから日米の新しい時代がスタートしたと思ってもらえるような訪問になった」と自画自賛していることから言っても、すべてを狂わせ、天狗高々の鼻をへし折って、その威信を打ち砕くことは間違いなく、安倍政権にとっての安全保障政策の重要な柱の一つに関しての政策実現能力に疑問符がついて、退陣を余儀なくさせることができるはずである。

 もし安倍晋三を退陣させることができたなら、安全保障関連法案を安倍政権が成立させていたとしても、新たに打つ手が出てくる可能性も期待できる。国民は辺野古移設反対に注力すべきではないだろうか。

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籾井勝人が経営委員会議でハイヤー代立て替え問題に抵抗する程にNHK会長としての資質は遠のいていく

2015-05-16 10:37:17 | 政治


 NHK会長の籾井勝人がまたまた話題の人となった。私用ハイヤー代の立て替え問題でNHK経営委員長から注意を受けている4月28日の委員会議事録が5月15日公表され、籾井勝人が「納得できない」、「何が問題なのか」と抵抗し続けたとマスコミが伝えていたから、具体的にどう抵抗したのか知ろうとして議事録にアクセスしてみた。

 ハイヤー代金に関係する個所のみを拾ってみる。

 《日本放送協会第1236回経営委員会議事録》(2015年4月28日分・2015年5月15日公表) 

 籾井勝人「次に、ハイヤーの私用、いわゆるプライベートの使用にかかわる再発防止策について、ご報告いたします。
 私用に使いましたハイヤーの代金が、他のハイヤー利用代金と区別せずに経理処理された問題について、同様の事案が起きないよう、再発防止策をまとめました。具体的な内容について、今井理事から報告いたします」
 
 今井理事「秘書室の手違いによりまして、私用によるハイヤー代金が業務用のハイヤー代金と区別されずに経理処理されてしまったという問題につき、皆さまに多大なご迷惑をおかけいたしましたことはまことに遺憾でございまして、改めておわびを申し上げます。

 この件では、3月19日の監査委員会の報告書で、会長のハイヤー・タクシー利用のあり方を検討する必要がある、あるいはまた、秘書室の対応がずさんであったなどといった指摘がございました。

 また、同日付の経営委員会からも、関係者が改めてコンプライアンス意識を徹底し、協会が再発防止策を着実に遂行していくことを求めていくとの見解が示されたところでございます。

 これらの指摘、見解を受けて、秘書室において再発防止策の検討を推し進めていましたが、このたび、秘書室長指示による内規として、新たに役員のハイヤーの適正使用に関する準則をまとめ、本日から適用いたしましたので、その内容についてご報告をいたします。

 まず第1に、役員のハイヤー使用に関する管理責任者を秘書室長が指定し、その責任の所在をはっきりしました。これまでもハイヤーの利用につきましては内規にのっとって車券管理の責任者が置かれておりますが、役員の職務の広範性、あるいは秘書室の事務の特性等を踏まえると、公私の別を明確に判断するということも秘書室の重要な仕事であると考えられますので、単に車券の管理ということだけではなく、役員のハイヤー使用に関する広い責任を有する管理責任者を指定することとしたものです。既に本日付で管理職を1名、この管理責任者に指定しております。

 次に、役員がハイヤーを私用に用いた場合に、誤って業務利用の場合と取り扱いが紛れてしまうことのないようにする措置を講じました。無論、役員が自分でハイヤー会社に配車を頼めば、その種の紛れはないわけですが、先ほど申し上げましたように、秘書の職務ということに照らして考えますと、秘書に配車を頼むということもあり得るという前提に立ち、仮にそのような場合であっても、これを受けた職員は、あらかじめ料金がハイヤー会社からその役員に直接請求されるように手配すること、そのことを先ほどのハイヤー使用に関する管理責任者にも必ず報告して情報を共有するというルールとしました。

 3番目としましては、もとよりNHKにおける業務用ハイヤーの利用は、役員、職員を問わず、当然のことでありますが、業務上必要な場合に限られています。その運用そのものは、国民に疑念を持たれることのないように、その管理責任者においては、厳正にこれを管理していくということを確認的に規程の中で定めております。

 これらの措置により、今回のような事案が再び発生することがないように、万全を期してまいることとしております。

 一方、もう一つ指摘を受けていたタクシーにつきましては、検討の結果、現行の仕組み上、本人が私用に使ったものが誤って業務利用のものと紛れるというおそれはないものと判断をいたしました」

 役員という高い地位を構えるにはその役職にふさわしい高い見識を備えていて初めてその資格を得る。その役職にふさわしい見識を備えていないにも関わらず役員という高い地位を与えるというのは、その組織にとっては悲劇的矛盾を見せることになる。

 役員=高い見識という関係から見て、当然、ハイヤーを利用する場合、公用目的か私用目的か自分で判断して自分で処理すべき問題でありながら、「役員のハイヤー使用に関する広い責任を有する管理責任者」なる職務をわざわざ新しく設けて、役員たちのハイヤー使用を管理させる。あるいは監視させる。

 そこにNHK経営委員会のムダを感じない非合理そのものの見識を見ないわけにはいかない。

 いわば役員でありながら、それぞれの見識に頼る自律的規制ではなく、管理・監視を必要とする他律的規制に頼る。役員として備えているべき見識は何のためにあるのだろう。

 次にNHK「クローズアップ現代」のやらせ報道について短い報告があった後、再びハイヤー問題が取り上げられる。

 籾井勝人「次に、ハイヤーの私用にかかわる秘書室への対応につきまして、監査委員会の報告の指摘などを受けて、本日、秘書室の担当職員に対して訓告や厳重注意を行いました。福井専務理事から報告いたします」

 福井専務理事「今回の問題で、秘書室の不適切な対応によりまして、公私混同の誤解を招いたことは極めて遺憾であると考えております。この事態を重く受けとめ、本日、私から秘書室長に対しまして訓告、それから、秘書室の専任部長と副部長に厳重注意を言い渡しました。

 秘書室全体の責任者である室長を一段重く訓告として、ハイヤーの手配や事務処理にかかわった管理職職員を厳重注意として、今後、再発防止策の徹底に努めるよう強く要請をしております。

 秘書室を監督している立場にある堂元副会長につきましては、経営委員会終了後、会長から厳重注意を行う予定としております」

 浜田委員長「今のハイヤーの私的利用にかかわる再発防止策の報告に関連して、私から執行部に対して申し上げます。

 この問題をめぐっては、経営委員会として3月19日に協会に対し、コンプライアンスの徹底と再発防止策を着実に遂行していくことを求めました。本日この報告を受け、今後はこの防止策が協会全体のものとして実行されるよう取り組んでいただくとともに、協会の財源はそのほとんどが視聴者からいただく受信料であるという認識を再確認していただきたいと思います。

 本日のハイヤーの私的利用にかかわる再発防止策の報告を受け、経営委員会としては、会長が自身の支払いが終了していないことについて適宜注意を喚起し、必要に応じて適切な指示を怠った責任を認め、厳重注意といたします」

 籾井勝人「それは経営委員会から私に対する注意ですか」

 浜田委員長「そうです」

 籾井勝人「そうですか」

 籾井勝人は一旦は引き下がる。

 今年2015年3月19日公表のNHK監査委員会の「会長のハイヤーの私的利用をめぐる経理処理事案に関する報告」に書いてあるとおりに籾井勝人が当初からハイヤー代金は自分で負担する意向であったと説明していたことが事実であるなら、つまりハイヤーの利用は私用目的の使用であることを終始認識していたなら、自分の方から「まだ請求が来ていない」とか、「いつ支払わえばいいのか」等、秘書室に聞くだけの見識を見せなければならないはずだが、何もせずに放置していたというのはそのような見識を持ち合わせていなかったことになる。

 その責任は重いはずで、「以後気をつけます」等謝罪するところを、その注意を「厳重注意」という形で受けながら、「それは経営委員会から私に対する注意ですか」と改めて聞かなければならない見識は果してNHK会長という高い地位にふさわしい見識と言うことができるのだろうか。

 他の計画報告や議決報告等があった後、籾井勝人が「厳重注意」を蒸し返す

 籾井勝人「先ほど、私に対する厳重注意と経営委員長コメントがありました。その中で私の言動とありましたが、具体的にはどういうことをおっしゃっているのでしょうか」

 浜田委員長「具体的には、部門会での話やハイヤー問題での話です」

 籾井勝人「部門会については、3か年計画の説明をするために行きましたが、昨年の問題を出されたため、約束が違うということであのような形でスタートしたわけです。部門会の問題については、問題になるとは思っていません。あの時、民主党への批判もありました。ハイヤー問題については、監査委員報告を経営委員会は『了』とされています。ですから、ここであらためて私が厳重注意を受けるいわれはないと思います」

 浜田委員長「それは、ああいう事態に至ったことの結果責任です」

 籾井勝人「ああいう事態に至った、とはどういうことですか」

 浜田委員長「テレビで、一日中、報道されたわけです」

 籾井勝人「しかし、あれはNHKを傷つけたとは思っていません」

 浜田委員長「いろいろな判断があると思います」

 籾井勝人「ハイヤー問題については、経営委員会が私に厳重注意とは、納得できませんね。これは、監査委員の報告で、委員会が『了』とされていますから、われわれの中では終っているはずですよ」

 浜田委員長「それは、もう全然違います」

 籾井勝人「では、『了』とはなんですか」

 浜田委員長「監査委員会の報告を了解したわけです」

 籾井勝人「どこに私に責任があると書いてありますか」

 浜田委員長「では、監査委員会報告書を読み上げます。『さらに会長も、私用目的で協会が手配したハイヤーを利用する場合には自身の支払いが終了していないことについて、適宜、注意喚起し、必要に応じ適切な指示を出すべきであったと思われる』」

 籾井勝人「それは、私も国会でも言っていますよ。しかし、会長がハイヤーの請求書が来たかどうかなど、民間会社では確認はしないと思います」

 浜田委員長「NHKは民間ではなく、高い公金意識が求められる特殊法人であるので大きな違いがあるわけです。ちょっと問題があると思います」

 籾井勝人「ハイヤーの問題は、なにが問題なのですか」

 森下委員「結局は、私用であれば私用とはっきりとやっておかなければいけない」

 籾井勝人「国会でも、経営委員会でも、何度も申し上げましたが、私は12月26日に、これは私用だからハイヤーを使うと言っているわけです」

 森下委員「したら、その支払いの時に確認しないといけないですよね」

 籾井勝人「それは請求がくると思っていましたから。それについては、私はもう少し気をつかえばよかったと国会でも申し上げているのです」

 森下委員「会長としては、会長の立場で、結果責任をとらないわけにはいかないです」

 浜田委員長「会長に対する厳重注意は経営委員会の総意です。これ以上は、議論はいたしません」

 籾井勝人「わかりました」――

 最後には浜田委員長が埒が明かないと思って議論打ち切りを宣告、籾井勝人は不平タラタラだったに違いないが、引き下がった。

 籾井勝人のハイヤー問題がテレビや新聞に取り上げられたことによって籾井勝人のNHK会長としての資質が問われたにも関わらず、「NHKを傷つけたとは思っていません」と言って済ますことのできる。

 監査委員会の報告書を経営委員会が不備のない内容として「了」としたことを以って籾井勝人は全て終わったこととし、「ハイヤー問題については、経営委員会が私に厳重注意とは、納得できませんね」と不服申立てをする。

 自己負担の意向であったとしていることを事実としているなら、支払いに関して自分の方から確認するだけの見識を見せなければならない問題を、「会長がハイヤーの請求書が来たかどうかなど、民間会社では確認はしないと思います」と自身の所属を弁えずに民間会社の慣例を持ち出して、浜田会長からNHKは民間ではないと注意を受けなければならない。

 自身の所属を厳格に弁えていない、その程度の見識に過ぎないことだけでも問題だが、民間会社の慣例を自分に責任はないとする正当理由に持ち出した見識も問題である。

 どの見識を取っても、NHK会長という高い地位が備えていなければならない見識からは程遠いものとなっている。

 前にブログに書いたが、今年3月19日公表のNHK監査委員会報告書はハイヤー手配について、〈平成26年12月26日に、会長から秘書室に対し、「1月2日に小平市内のゴルフ場に行くため車の手配を頼みたい」旨の要請があった。秘書室は、ゴルフは私用目的であることから、公用目的で利用される「会長車」ではなく、ハイヤーの利用を会長に提案し、会長もこれを了承した。〉と記している。

 つまり籾井勝人は最初から会長車でゴルフ場に乗り付けるつもりでいた。この時点では公私の区別をつけずに公私混同していた。籾井勝人が当初からハイヤー代金は自分で負担する意向であったとしたのは問題となってからの後付けの意向に過ぎないことになる。

 だが、秘書室から私用目的だからと注意を受けて、ハイヤーに変更した。

 問題は秘書室自体が単に公私混同を表面上避けるためにNHKが専用に利用しているタクシー会社のハイヤーの利用に変更したのか、厳格に公私の区別をつけるためにそうしたのかである。
 
 籾井勝人はNHK会長に就任して以来ずっと問題の人となっている。あるいは悪い意味での時の人となっていた。会長車で私的な娯楽であるゴルフをするために目的のゴルフ場に乗り付けて、マスコミにキャッチされたなら、公私混同で益々問題の人、時の人に祭り上げられることになることは秘書室も予測できたはずだ。

 秘書室がそのことを避けることだけを考えて会長車からハイヤーに変更したとしたら、前者の変更となって、ハイヤー代金はNHK持ちとしていたことになり、後者の変更であるなら、籾井勝人個人支払いとしていたことになる。

 上記報告書は、籾井勝人使用の事後記載となった「ハイヤー乗車票の起票」について次のように記している。

 〈年始休暇が終わった(2015年)1月6日頃に、ハイヤー配車担当者から秘書室に対し、本件ハイヤー代金の精算方法について照会があった。

 秘書室職員は、これを受けて1月13日にハイヤー乗車票に使用日時等を記入し、ハイヤー配車担当者に提出した。ハイヤー乗車票は通常、業務目的での利用に際し起票されるものであるが、業務内容として「外部対応業務」と記されているなど、本件ハイヤー乗車票には私用であることを識別し得る記載はなかった。また、本来使用者である会長が自署すべき使用者欄には秘書室職員が会長の氏名を記名して提出した。〉――

 〈本件ハイヤー乗車票には私用であることを識別し得る記載はなかった。〉としていることは、秘書室自体が単に公私混同を表面上避けるためにNHKが専用に利用しているタクシー会社のハイヤーの利用に変更したとすることによって、つまりハイヤー代金はNHK持ちとしていたとすることによって、両者は手続き的な整合性を得る。

 つまり籾井勝人はハイヤー代金はNHK持ちだと思っていたから、念頭には支払いについての考えは何もなかった。だから、自分の方から「まだ請求が来ていない」とか、「いつ支払わえばいいのか」等、秘書室に聞くことはなかった。

 だが、問題となり、監査委員会が調査を開始したために公私混同の批判を避けるために最初から自分で払う意向でいたと偽ることにした。そして秘書室も籾井の公私混同に加担した責任を避けるために籾井の偽りに乗った。

 籾井勝人は自分が偽ったなどと思ってもいないのだろう。あくまでも最初から公私の別を弁えていて、このことが事実なら、会長車の手配を秘書室に依頼するはずもないのだが、ハイヤー代金は自分で負担する意向であったとすることによって、批判の多いNHK会長としての資質、そしてその地位が備えていなければならない見識をに些かも欠けていないとすることができる。

 だから、籾井勝人のNHK会長としての資質や見識が問われることになる浜田委員長の「厳重注意」が承服し難かった。

 但し自分に責任はないとするためにNHK会長として相応しくない見識を逆に見せてしまった。責任回避の抵抗すれば抵抗する程にNHK会長としての資質は遠のいていく感がする。どう転んだとしても、NHK会長にはふさわしくない人物である。

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安倍晋三の安全保障法制、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくという結論そのものが間違っている

2015-05-15 09:33:01 | 政治

 安倍晋三が5月14日安全保障法制関連11法案を閣議決定し、その説明のための《記者会見》を午後6時から首相官邸で開いた。

 新しい安全保障に関わる自衛隊活動の説明に相変わらずリアリティを欠き、自身に都合のいい発言となっている。

 安倍晋三「もし日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力は更に高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考えます」

 安全保障法制関連11法案が成立したなら、日米同盟は緊密化し、「日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考えます」と断言しているが、法案成立による日米同盟の緊密化を前提とした「日本が攻撃を受ける可能性」の減少化という結論自体が間違っている。

 アメリカはイラク戦争やアフガン戦争を起こして、自国が敵国軍隊を用いた攻撃を受けたことがあるだろうか。同じくイギリスが自国の攻撃を受けたことがあるだろうか。

 勿論、テロの攻撃を受けたし、今後共その可能性は否定できない。

 だが、他国がその国の軍隊を用いてアメリカ本国やイギリス本国を攻撃した例はない。厳密には戦前の例のように国同士そのものの戦争ではないからだ。イラクやアフガニスタンの国家体制に軍事介入、その転覆を謀ったに過ぎない。

 朝鮮戦争にしても北朝鮮と韓国の戦争であって、アメリカの軍隊が関わったとしても、北朝鮮とアメリカとの戦争ではない。北朝鮮はアメリカとの戦争を目的としたわけではない。

 いくら日本を取り巻く安全保障環境が厳しくなったと騒ぎ立てようとも、日本が攻撃を受ける可能性が高まっていたわけではない。中国は日本を攻撃するだろうか。

 確かに日中は尖閣の領有権問題で対立している。だが、ヒラリー・クリントンが国務長官時代に尖閣諸島を対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象範囲だと明言しているし、オバマ大統領は昨2014年4月来日時の共同記者会見で、「尖閣諸島の最終的な主権については、(特定の)立場を取らない」と言いつつも、ヒラリー・クリントンと同様のことを米大統領として初めて明言している。

 例え尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用対象範囲とされていなくても、あるいは日本がアメリカと軍事同盟を結んでいなくても、中国から「日本が攻撃を受ける可能性」を考えることができるだろうか。日本は自衛権の発動によって中国という国と日本という国同士の戦争をすることになるが、そういった可能性を考えることができるだろうか。

 そのような戦争が起きれば、日本にとってだけではなく、中国にとっても経済的にも人的にも大きな痛手を被ることになるばかりか、中国脅威論を実体化させることになるだろう。

 北朝鮮は果して日米同盟で守られている日本を攻撃するだろうか。北朝鮮には日米軍事同盟下の日本を攻撃するだけの軍事力も意志もない。あれば、例え韓国が米国との間に相互防衛条約を結んでいたとしても、韓国を攻撃しているだろう。

 だから、北朝鮮は遠くから吠えるだけの犬で終わっている。例え核兵器を使う能力を持つことになったとしても、独裁体制との交換となるかもしれない軍事的攻撃の賭けに出るだろうか。核兵器は吠え声に真実味を持たせる役にしか利用できないだろう。

 北朝鮮が日本を攻撃するとしたら、金正恩独裁体制が軍事クーデーターを受けて崩壊寸前となるか、あるいは経済の崩壊によって体制が瀕死の危機に陥るか、非常に可能性としては低いが、北朝鮮国民の反体制運動を受けて窮地に立たされるかして自暴自棄となって戦略もなく韓国や日本にミサイルを打ち込んだり、攻撃を仕掛けたりする特殊な可能性を想定することはできるが、これらの動きがあれば、アメリカが敵基地攻撃によって未然に予防するだろうし、実際に攻撃があったとしても、国家体制が崩壊の瀬戸際に立たされた状況下での外国に対する軍事的暴走は計画性を持たないという点で満足に機能するはずもないし、長続きもするはずもない。

 あるいは北朝鮮軍の一部隊が越境して韓国に侵入、部分的衝突が起きて支援に回った米軍の後方支援を日本が行った場合のその報復として日本を攻撃する可能性は否定できないが、北朝鮮はその攻撃を契機とした韓国と在韓米軍と日本と在日米軍との全面戦争への発展を覚悟しなければならない。

 北朝鮮には全面戦争を受けて立つ能力はないし、その能力を無視した場合の独裁体制との交換という危険性を想定していないはずはない。

 いわば国同士が戦争をするという意味で「日本が攻撃を受ける可能性」は現状でも低いのだから、安全保障法制を新しくすることによってその可能性が「一層なくなっていく」という結論を設定すること自体が矛盾することになるし、安倍晋三の安全保障法制によって日本の軍事的防衛能力が高度化したとしても、北朝鮮の暴走を仮定した軍事的攻撃の可能性は、それが暴走を性格としているゆえにどのような条件下でも否定できないことに変わりはないのだから、安全保障に関わる条件の変化はさして問題ではないことになる。

 にも関わらず、「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」という正当化の口実を何回も使って、「日本が攻撃を受ける可能性」を一層低くしていく安全保障法制だと偽りを言う。

 逆に米軍やその他の国の軍隊の後方支援等によって敵対国と見做され、アメリカが9・11テロを受けたように、北朝鮮からのテロも含めて、日本もその脅威が増す可能性は否定できない。

 安倍晋三は後方支援について次のように発言している。

 安倍晋三「我が国の平和と安全に資する活動を行う、米軍を始めとする外国の軍隊を後方支援するための法改正も行います。しかし、いずれの活動においても武力の行使は決して行いません。そのことを明確に申し上げます。

 これらは、いずれも集団的自衛権とは関係のない活動であります。あくまでも紛争予防、人道復興支援、燃料や食料の補給など、我が国が得意とする分野で国際社会と手を携えてまいります」

 この発言は敵国軍隊、あるいは敵対テロ集団に対して性善説に立っている。外国の軍隊の後方支援は「燃料や食料の補給」によってその軍隊の活動、戦闘能力を整え、活性化させることになるのだから、その軍隊と一体化と看做され、当然攻撃の対象となる。

 「武力の行使は決して行いません」と言い、最後の方で「後方支援を行う場合には、部隊の安全が確保できない場所で活動を行うことはなく、万が一危険が生じた場合には業務を中止し、あるいは退避すべきことなど、明確な仕組みを設けています」と言っているが、その保証の限りではないことになって、言葉のリアリティをたちまち失う。

 最初は部隊の安全を確保できる場所であったとしても、補給路遮断は相手部隊撃破の必要不可欠の戦術であって、攻撃対象となり、攻撃を受けた場合は「武力の行使は決して行いません」などと済ましているわけにはいかず、当然応戦することになり、万が一相手の攻撃が自衛隊を上回っていた場合は(常に下回っているとは限らないのだから)、自衛隊の方で一方的に業務中止だ、退避だと決めることはできない。

 例え退避したとしても、追尾を受けて、徹底的に叩かれる可能性は否定できない。

 もし万が一、自衛隊員が何人か人質となった場合、湯川遥菜さんと後藤健二さんが「イスラム国」の人質となって身代金を要求されたとき、テロリストとは交渉しないとして身代金を支払わずに見殺しにしたようにすることはできず、当然、自衛隊部隊を派遣して救出作戦を試みる可能性は選択肢の中に入れなければならない。

 と言うことなら、日本が国として戦争に巻き込まれることはないにしても、自衛隊が戦争に巻き込まれる可能性は否定できないことになる。 

 安倍晋三「海外派兵が一般に許されないという従来からの原則も変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、今後とも決してない。そのことも明確にしておきたいと思います」

 後方支援に始まって敵対部隊との戦闘の深みにハマって行くことになった場合、望まなかったとしても、「かつての湾岸戦争やイラク戦争」と似た場に立たされていない保証はない。

 現在のケースで言うと、「イスラム国」と有志連合の戦いの場を例に挙げることができる。

 安倍晋三はリアリティのない自衛隊活動例と「国民の命と平和な暮らしを守り抜く」という口実のみで自身の安保法制を国民に受け入れさせようとしている。

 偽りもいいとこである。

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安倍晋三は精神の卑しさを内側に隠した、相も変わらない賃上げお願い乞食であり続けている

2015-05-14 05:59:11 | 政治



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

     《5月12日 小沢代表・山本代表記者会見動画 党HP掲載のご案内》

     安全保障法制、野党共闘、憲法、英国総選挙などの質問に答えました。
     是非ご覧ください。

 安倍晋三が5月12日、都内で開催された、自身の出身派閥で町田信孝を継いで細田博之がボスに収まっている清和政策研究会の政治資金パーティーに出席、挨拶に立ったと「産経ニュース」が伝えている。

 清和政策研究会は所属議員が自民党最多の96人、パーティーには約4100人の来場があったという。義理で買って来場しない人間も見込んで1枚1万円で6~7000円の儲けを見たパーテイ券を1万枚も刷り込んだといったところではないのか。

 安倍晋三「自民党の中核で常に政策を練り、国家の屋台骨を支えてきた」

 集団主義と権威主義が凝縮された、その力学に支配された親分・子分の人間関係と頭数で力を発揮、「国家の屋台骨を支えてきた」

 自身の経済政策「アベノミクス」で景気が回復しつつあることを言ってから、

 安倍晋三「まだ給料を上げていない社長さんはしっかりと上げていただきたい」

 記事は、〈笑いを誘った。〉と解説しているから、冗談めかして言ったのだろう。

 だが、冗談を装いながら、その裏に真剣な思いを隠していたはずだ。

 去年の春闘前の政労使会議、今年も春闘前の政労使会議、あるいは他にも何かと機会を把えて経営側に賃上げを要請し、経営側もその要請にそれなりに応えた結果、「去年は15年ぶりの賃上げを実現することができた。今年は去年を上回る状況になっている」と言っていながら、なおかつ賃上げをおねだりする。

 日銀の異次元の金融緩和が功を奏した株高と円安のみに頼った「アベノミクス」の効果以外、自身は見るべき成果を上げるだけの自力本願となる手を打つことができていないから、依然として低迷状態にある消費を刺激し、回復させるために他力本願でしかない賃上げを企業経営者にお願いするには冗談めかしでもしなければとてものことできないといったところなのだろう。

 真剣な顔でお願いしたら、それこそ物欲しげになって、精神の卑しさが表に出てしまう。冗談めかして「笑いを誘う」ことでその卑しさをカモフラージュできる。

 本来は他人にやたらと物をねだったり、カネをねだったりする者を乞食と言うが、その精神の卑しさが自分では何もせずに他人にああして欲しい、こうして欲しいとねだるだけの人間に共通している性格と見做して、そのような人間をも乞食と呼ぶ。

 安倍晋三はさしずめ賃上げお願い乞食といったところである。


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安倍晋三の元従軍慰安婦たちの日本軍による強制連行の証言の有効性を頑なに認めまいとする不正な歴史態度

2015-05-13 08:53:05 | 政治
 


 安倍晋三は「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とし、「業者が間に入って事実上強制した広義の解釈に於いての強制性はあったが、官憲が家に押し入って人攫いの如くに連れていくという狭義の意味での強制性はなかった」と日本軍による従軍慰安婦の強制連行という歴史的事実を抹消し、元従軍慰安婦たちの証言を一切認めない態度を取っている。

 となれば、書物等の中から証言を取り上げて、既にその書物を読んでいる人がいるかもしれないが、読んでいないより多くの人を対象にその証言を一人でも多く知って貰うようにするしかない。

 このような積み重ねが証言に安倍晋三の否定論を超える力――その有効性を与えることができるのではないだろうか。

 『日本軍に棄てられた少女たち ――インドネシアの慰安婦悲話――』(プラムディヤ・アナンタ・トゥール著・コモンズ)から一例を取り上げてみる。

 この例は日本軍兵士7、8人が友達同士で遊んでいるインドネシアの未成年の女の子たちや20代前半の若い女性のところに幌付きの軍用トラックの荷台に乗ってやってきて、荷台から降りるや彼女たちを捕まえ、荷台に放り投げるようにして乗せると、そのまま走り去り、従軍慰安婦として日本軍兵士の相手をさせるというよくある暴力的なパターンではなく、日本や1942年から終戦の1945年まで日本占領下にあった昭南島(シンガポール)で勉強させてやると留学話で釣って従軍慰安婦に仕立てる例であるが、最終的には望んでいたこととは異なる望まないことを肉体と精神に暴力的に押し付けるのだから、心理的には家に押し入って人攫いの如くに連れて行く強制連行と変わらない。

 いわば彼女たちの肉体と精神の隅々にまで日本軍は土足で踏み込んだのである。

 舞台はインドネシア・ブル島である。 

 1965年の9月、インドネシア共産党の影響を受けたインドネシア国軍部隊がクーデーター未遂事件を起こし、陸軍戦略予備軍司令官だったスハルトがスカルノ大統領から事態収拾の権限を与えられて鎮圧、同年10月16日に陸軍大臣兼陸軍参謀総長の任を与えられると、共産党弾圧に乗り出し、共産党関係者と疑った一般住民まで虐殺したり捕らえて、逮捕者を未遂事件に間接的に関与したB級政治犯の流刑地となったブル島に送った。

 『日本軍に棄てられた少女たち ――インドネシアの慰安婦悲話――』の作者プラムディヤ・アナンタ・トゥール氏も インドネシア共産党関係者とされ逮捕され、スカルの跡を継いで1968年にインドネシア大統領となったスハルト政権下の1969年にブル島に送られた。

 流刑者は荒れ地の開墾等、自給自足の生活を強いられたが、島内であれば移動はかなり自由だったという。

 だが、ブル島には流刑者以前に島外から住人となっていた者がいた。。他の場所で日本軍の従軍慰安婦にされてブル島に連れて来られたり、ブル島に連れて来られてから日本軍の従軍慰安婦にされたりしたが、日本が敗戦後、ブル島に置き去り同然に棄てていき、年取った元少女たちである。彼女たちの方から近づいたり、流刑者の方から移動の自由によって行動範囲を広げていく内に彼女たちの存在を知り、身の上話を聞く関係にまで発展していった。

 第6章「運命出会い」から、作者ではない別の流刑者が聞き取った一つの証言を取り上げてみる。

 「シティ・F」と名乗る元慰安婦。1969年当時、作者の推定で48歳前後。

 だが、この推定だと、1945年の終戦時は24歳前後となる。日本軍の留学話の犠牲者となった元慰安婦の女性の証言として留学話で釣る対象は13~17歳の小学校を終えてからの年齢の少女だったと書いているし、彼女も証言で日本軍の従軍慰安婦にされたのは「まだほんの子どもだったのです」と言っているから、老けて見えたために48歳前後と推定間違いしてしまったのだろうか。

 流刑仲間のサロニ氏が聞き取っている。

 「運命の出会い」とは、同じ流刑仲間のハルン・ロシディ氏がサロニ氏の聞き取リ以後、自分も「シティ・F」に身元を尋ねていく内に彼の父が「妹の一人が日本軍占領時代に行方不明になってしまった」と言っていた叔母であることを知ったことに由来する。

 彼女は明らかにジャワ島からブル島に連れて来られたことになる。推定年齢に相違があるからと言って、その証言を怪しいとすることはできない。

 サロニ氏「あなたはどうしてここへ連れて来られたのですか。何に乗って、誰によってですか」

 シティ・F「郡長に集められて、日本軍の自動車でバンドンに連れて行かれました。次に汽車で連れて行かれたところには少女3人と日本兵30人以上がいて、そこから船に乗せられたのです。私は約5日間、ずっと横になっていました。船名は覚えていません。名前も知らない島に着くとそこで降ろされ、6日間滞在しました。それからまた出発し、東京へ向かうと言っていました。4日後船から降ろされ、一軒の家に入れられたのです。そこからは海が見えました」

 サロニ氏「船が停泊したときに見えた島の名前は覚えていますか」

 シティ・F「日本兵はレベスと呼んでいました。私が住んだ島はフローレス島で村の名前はキサル。その島にはフローレス人やジャワ人の少女たちが大勢いました」

 サロニ氏「そうした少女たちと友だちにはなりませんでしたか」

 シティ・F「そんな勇気はありません。一緒に来た3人は別々の家に住まわされました。日本軍は食べ物、衣服、お金などを十分にくれましたが、暮らしは辛かったです」

 サロニ氏「そこにはどのくらいいましたか」

 シティ・F「3カ月か4カ月です」

 サロニ氏「船の中で会った日本人、一緒に住んでいた日本人の名前を覚えていますか」

 シティ・F「アタチュカさんです。この人は旗艦に乗船していました。キサル村ではワタキさんで、この人が私をブル島に連れてきました」

 サロニ氏「あなたは日本兵についてきたのですか、それとも連れてこられたのですか」

 シティ・F「日本軍に騙されたのです。日本軍はウソつきよ。学校で勉強させると言ったのに。何てことでしょう・・・・」、

 サロニ氏「いつ頃、日本軍に騙されたと思い始めましたか」

 シティ・F「キサル村に連れて来られてからです。毎日、泣き通しました。全身が痛くて、日本兵はそれでも私の身体をイジメ抜き通しました。考えても見てください。まだほんの子どもだったのです。でも、ああ、アタチュカさんは身体も大きく、力も強かった」

 サロニ氏「友だちの章少女たちはどうしましたか」

 シティ・F「可哀相でした。泣いていました。でも、アタチュカさんと一緒にお風呂に入らなければなりません。身体が痛いと言っていました」

 サロニ氏「どんな家に住んでいましたか」

 シティ・F「木造の家。私が住んでいた家は板張りです。人によって住まいは違っていました」

 サロニ氏「ブル島に連れて来られたのはいつでしたか」

 シティ・F「日本軍がナムレアに進駐してからです。アタチュカさんがナムレアにある石造りの家に私を入れました。暫くしてワタキさんが私を隣の家に連れて行きました」

 サロニ氏「他の村にいる少女たちと話しませんでしたか」

 シティ・F「時々話しました。でも、それぞれが違った生活を送っています。3カ月前、山の村ヘ行きましたが、そこに住んでいた女性は既に年老いて力がなくなり、全身に痛みが出ていました。あとから村人に聞いたところでは、彼女うはもう死んだそうです」

 サロニ氏「ワイ・ティナ(山の村)に住んでいる人の名前は何と言いましたか」

 シティ・F「忘れました。でも、村人は彼女をジャワ島から来たと言っていたので、会いたくて探しました。そのときどうして彼女は山の男と結婚したのだろうと考えました。間違いでしたよ。自分一人で生きていくべきだったのですよ」

 サロニ氏「あなたと一緒にいた日本兵の名前を言ってください」

 シティ・F「ナムレアには10人いましたが、名前は全部忘れました」

 サロニ氏「ご両親の名前は何と言いますか。兄弟は何人でしたか」

 シティ・F「兄のことは忘れられません。兄は2人でした」

 サロニ氏「お兄さんたちの名前は何と言いますか」

 シティ・F「もういいでしょう。堪忍してください。悲しいだけです。あなただって自由のない身。堪忍してください。村人たちが後で私に毒を盛り、殴るかも知れません」

 サロニ氏「フローレス島からブル島にまで乗ったのはどんな船でしたか」

 シティ・F「よく覚えていませんが、日本の小さな汽船でした」

 サロニ氏「何人ぐらい乗っていましたか」

 シティ・F「20人以上の日本兵が乗っていました」

 サロニ氏「船上での食事はどうでしたか」

 シティ・F「食事はよかったです。カネもタバコもビールもくれました」

 サロニ氏「当時、あなたはビールを飲むのが好きでしたか」

 シティ・F「日本兵がよくくれたのです。飲むと頭がクラクラしましたが、そのうち慣れました。日本兵はよく笑い、ビールが好きでした」

 サロニ氏「ブル島に住んでいる(元従軍慰安婦の)知り合いの名前を思い出してください」

 シティ・F「知っているのはさっきの人だけで、後は知りません」

 サロニ氏「当時、ナムレアは小さな町でしょう。誰があたなを守ってくれたのですか。日本軍が食糧などを与えてくれたとは思えませんが(食事の世話ということか)」

 シティ・F「バンドゥンという名前のジャワ島出身の女性がいました。警官の妻です」

 サロニ氏「彼女はナムレアに来る前、どこにいたのでしょうか」

 シティ・F「分かりません。私が連れてこられたときには既にいました」

 サロニ氏「ナムレアではなく、どうしてこの村に住んでいるのですか」

 シティ・F「以前は前の夫と娘のマリヤムと一緒に海岸近くに住んでいました。今の夫のイスマイルにここに連れて来られ、子どももいます」

 サロニ氏「ジャワ島に戻りたいと思いますか」

 シティ・F「はい。でも、もう遠い昔のことです。(今の)子どものことを思うと、(ジャワ島に戻るのは)不憫です。(近くで遊んでいたのか)あそこにいるのは孫のスリ・ワフユニ。私から離れようとしません」
 
 サロニ氏の聞き取りはここで終わっている。
 
 例えば日米のその時々の外交交渉に携わった日米外務官僚や閣僚秘書官等の公式の記録に残されていないメモ類や録音類は外交交渉では表には現れなかった隠された事実を裏付ける貴重な証言として、その有効性を認められ、珍重される。

 だが、安倍晋三は元従軍慰安婦たちの証言の有効性を頑なに認めまいとしている。これ程の不正な歴史態度はあるまい。不正な態度であることさえ気づかないままに不正を自分のモノとしている。

 そのような一国のリーダーであることを元従軍慰安婦の証言と共に記憶して置かなければならない。 

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安倍晋三のドイツの過去に決別と大違いの過去との継続性を願う過去への親和的態度

2015-05-12 08:09:42 | 政治


 ドイツは第2次世界大戦でナチス・ドイツが降伏し、終戦を迎えてから5月8日で70年となる。5月2日、メルケル首相とドイツの歴史家との対話の動画をインターネット上で公開し、メルケル首相はドイツ国内の一部でユダヤ人に対する反感が高まり、暴力行為への懸念が強まっていることを非難、そして過去の歴史に触れたという。

 メルケル首相「(ユダヤ人への反感について)思想や外見が異なる人間が、人種差別や過激派の危険にさらされるのは正常ではない。

 我々ドイツ人はナチスの時代に引き起こしたこと(ホロコーストや侵略)に対し、注意深く、敏感に対処するという大きな責任を負っている。歴史に終止符はない」(NHK NEWS WEB

 過去の歴史に「敏感に対処するという大きな責任を負い」、その「歴史に終止符はない」と、過去の歴史を背負い続ける覚悟と責任を示している。

 メルケル首相は今年2015年3月9日来日、安倍晋三との午後の首脳会談に先立って都内で午前中講演、その質疑でも、「悲惨な第2次世界大戦の経験ののち、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたのはドイツが過去ときちんと向き合ったからだ」(47NEWS)と発言している。

 過去と向き合うということは一度向き合えば全てを終わりにすることができるということではなく、向き合うことを自らの姿勢とし、その上に新しい自らの姿勢を築いていくということであって、継続性を内側に抱えることによって、新しい自らの姿勢を築く上に於いても過去への向き合いが生きてくることになる。

 メルケル首相は過去と向き合うことをドイツという国の姿として、その上に新しいドイツを常に築いていくことを誓ったことが、「歴史に終止符はない」という言葉になったはずだ。

 日本の保守政治家、その他は「日本はナチス・ドイツのような組織的な特定人種に対する虐殺は行っていない」、あるいは「慰安婦問題はユダヤ人大虐殺とは全く違う」として、日本の過去とドイツの過去を比較して日本の過去の罪の軽さを言い立てているが、戦前日本の植民地主義と侵略戦争がアジアに引き起こした数々の権行為と、その残虐性を消すことができるわけではなく、歴史の事実として跡を残している以上、日本は日本の問題としてドイツの過去とは別に日本の過去の権行為とその残虐性に向き合わなければならないはずだが、特に安倍政権は向き合おうとはせず、過去(=戦前日本)に親和的態度さえ示している。

 過去(=戦前日本)に親和的とは過去を否定するのではなく、過去を肯定していることを意味している。当然、向き合う対象に対する意味の把え方・歴史認識をドイツとは異にしていることになる。安倍晋三の歴史認識には戦前日本の植民地主義も侵略戦争もなく、口では「反省」を口にしたとしても、ホンネのところではそれらが引き起こした日本の過去の非人道行為とその残虐性も存在しないということである。

 改めてその証明となる例を挙げてみる。

 安倍晋三は2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に占領時代に占領軍が日本を改造し、日本人の精神に影響を与えたとするビデオメッセージを寄せて、占領時代と占領軍の政策を否定している。

 占領時代と占領軍政策の否定は肯定する対象との比較によって成り立つ。安倍晋三は上記ビデオメッセージで最後に、「戦後体制の脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間に作られた、占領軍によって作られた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みをもう一度見直しをして、その上に培われてきた精神を見直して、そして真の独立を、真の独立の精神を取り戻すことであります」と訴えていたのだから、肯定する対象とは戦前日本国家と戦前日本人精神を措いて他にはないことになる。

 いわば安倍晋三は戦前日本国家と戦前日本人の精神を真の日本的なるも、優れた価値を備えた日本的なるものと見做していて、その日本的なるものを占領時代と占領政策が断絶させてしまったと歴史認識している。

 日本的な価値を戦前日本国家と戦前日本人に置いているからこそ、その継続性を願望して止まない思いがビデオメッセージに現れた。

 2013年4月5日衆院予算委員会の答弁では事もあろうに、「(マッカーサーによって日本国憲法は)25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります」とこじつけることまでして占領時代と占領軍政策を忌避している。

 過去に決別どころか、過去に親和的態度を持ち、それゆえに過去との継続性を頑迷なまでに願っている。

 過去への親和的態度の例をもう一つ挙げてみる。

 4月29日、高野山真言宗の奥の院(和歌山県高野町)で一般戦没兵士を除いたA級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要が「昭和殉難者法務死追悼碑」の前で行われた。

 「法務」とは仏法や法会に関する事務だそうだが、「法務死」とは第2次世界大戦後の東京裁判を始めとした戦犯裁判による日本人刑死者に対して用いられる言葉だという。

 要するに戦犯として刑死した者を仏扱いするということなのだろう。

 安倍晋三は今年の4月29日には、アメリカ訪問で問題視されることを避ける意味からだろう、書面でのメッセージを寄せなかったが、昨年は寄せている。

 安倍晋三哀悼メッセージ「今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉難者のみ霊に謹んで哀悼の誠を捧げる。

 恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」(TOKYO Web)――

 刑死者が植民地主義と侵略戦争によって自国民のみならず、多くのアジアの国々の国民に多大な被害や苦痛を与えた戦争指導者の一群であるという認識はどこにもない。

 「今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となった」と、その功績の戦前日本から戦後日本への継続性を謳い上げて、その精神を尊び、崇めている。

 かくこのように戦前日本と戦前日本人に親和的態度を示し、戦前日本と戦前日本人の戦後日本と戦後日本人への継続性を願っている。

 2012年12月26日の産経新聞インタビューで、「自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」と発言したことも、2012年9月12日の自民党総裁選挙立候補表明演説で、「河野洋平長官談話によって強制的に軍が家に入り込み女性を人浚いのように連れていって慰安婦にしたとという不名誉を日本は背負っている。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」と発言したことも、戦前の戦後への継続性を願望しているからこそ、その断絶を示す「村山談話」と「河野談話」に対する侮蔑を含んだ忌避感であろう。

 ドイツは向き合う過去を否定の対象とし、それとの断絶を決意して、否定を参考にして肯定できる姿を戦後ドイツに打ち立て、それを継続させるべく努力をしているのに対して安倍晋三は向き合う過去を肯定の対象とし、肯定しているその姿を戦後日本に継続させようと願望しているのだから、前者が過去との決別を常に自身に突きつけ、後者がそれを無縁としているのはごく自然なことと見なければならない。

 ドイツと日本の違いに現れている以上のような歴史認識で安倍晋三は自身の「戦後70年談話」を成り立たせることは間違いない。

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