■自衛隊の安全をどう確保するか
新国家建設支援として自衛隊がPKO部隊を派遣させている南スーダンの首都ジュバにおいて大規模な戦闘が発生、戦闘員だけで双方に150名以上の戦死者が出ました。

今回の事態を受け外務省は首都以外の地域へ退避勧告、首都圏へ退避準備勧告を発令、イギリスなど欧米諸国は退避勧告を出しました。戦闘はキール大統領とマシャール副大統領の会合の際に双方の陣営に所属する警備隊が銃撃戦に展開し、銃撃戦から火砲など大型火器が使用される規模の戦闘へ展開しました。戦闘はまず大統領府付近での戦闘から始まり、大統領府へ増援に向かう部隊と、これを阻止しようとする部隊との間での車両が加入しての戦闘がジュバ市内数カ所で同時に展開、キール大統領とマシャール副大統領は今回の戦闘を不幸な接触であるとして遺憾の意を示すと共にジュバ市内全域に事実上の戒厳令を布告しました。

ジュバ市内はこれまでそれほど戦闘が激しく展開する事はありませんでしたが、今回は大統領府付近が戦場となっています、自衛隊のPKO部隊は重装備を携行していませんが、場合によっては戦闘ヘリコプターや機甲部隊の増派を真剣に検討する必要が出てくるかもしれません、こういいますのも今回のPKO派遣は国連安保理決議に基づく国連憲章七条措置として実施されているため、必要に応じ平和維持任務から平和執行任務へ転換する可能性が決議の時点で含まれていますので、自衛隊派遣部隊がその安全を確保し、且つ人道的側面から必要な措置を求められる可能性は、充分あるでしょう。

南スーダンはスーダン内戦を経て、長期間にわたる戦闘の末に国民投票によりスーダンより独立し五年がたつ新興国です。スーダンはダルフール紛争に伴う民族浄化等人道問題から欧米の経済制裁の対象となっていますが、ここから独立したスーダンへは国連が新たな国家建設の支援として国連平和維持軍派遣を決定、独立に際し当時の民主党政権は自衛隊派遣を決定しました。しかし、統治機構の枠組み作りへ齟齬があり、結果キール大統領派とマシャール副大統領派との間で2013年に大規模な内戦が発生するに至ります。

国連スーダン任務UNMISS,自衛隊派遣は独立に先んじ、野田佳彦内閣総理大臣と潘基文国連事務総長との間で派遣が決定、内陸部であり更に戦闘が発生する蓋然性の高い地域への派遣は、隣国ウガンダのエンデべ空港へ自衛隊調整指揮所を置き南スーダンへ部隊を派遣するという慎重な姿勢を執り、その上で支援部隊、施設部隊、調整部隊、補給支援部隊、以下大隊規模の部隊が派遣されることとなり、派遣部隊は車両160両と89式小銃を携行すると共に不測の事態に備え軽装甲機動車とMINIMI分隊機銃等を装備し派遣されています。

新国家建設という試みに当たる南スーダンは、その国内に石油資源の埋蔵が確認されていた為、その国家運営は当時の石油価格高騰に合わせ順調に進展する見通しがありました。しかし、石油資源を掘削する費用と運搬する費用について内陸国である南スーダンは良好な条件を有しているとは言い難く、仮に新規に森林と山間部を開発し石油掘削リグと石油パイプラインを建設する場合、費用が採算性に見合わないとの厳しい現実が突き付けられ、其処に石油価格の暴落が追い打ちをかける事となりました。

軍事力によりこの難題を解決しようとしたキール大統領は、隣国スーダンへ戦車部隊を侵攻させ国境付近の油田を制圧する強硬手段に出ました、これは南スーダン国内にはPKO部隊が駐留している為、人間の盾とする事でスーダン軍に対し有利に戦闘を展開させようとした悪辣極まりない蛮行でしたが、スーダンは人権抑圧国であるため、石油を欧米や日本が取引しない一方で、こうした諸国と積極的に資源外交を展開する中国政府が強力な98式戦車を供給していたため、南スーダン軍のT-72戦車は太刀打ちできず、大打撃を受け撤退に追い込まれています。

この攻撃を受け、スーダンのバシール大統領は南スーダンを敵国として宣言し、南スーダン与党である人民解放戦線への敵対政策を示しています。内戦勃発はこの直後の2013年で、突如解任されたマシャール副大統領が説明を求めたものの拒否され、副大統領側近有力者が武装蜂起、南スーダンクーデター未遂事件へと発展しました。南スーダン軍はその鎮圧に向かいましたが、この際に戦闘が激化、PKOインド隊の宿営地への避難民を狙った戦闘部隊が流入し戦死者が出ている。

戦闘に際しアメリカ領事館職員救出に向かった海兵隊航空機が攻撃を受け、更に反乱軍にPKO韓国隊宿営地が包囲され、自衛隊PKO派遣部隊が緊急として弾薬を韓国軍へ補給するほどの緊迫化した事態となっています、戦闘は一年以上続き、アフリカIGAD政府間開発機構の調停により2015年に漸く停戦への道筋で合意、今年四月にマシャール元副大統領が副大統領職へ復職し停戦となったところ。暴騰ン微記しました戦闘は、こののちの会合に際し始まったもので、実際のところ停戦合意後も戦闘は収束していません。自衛隊のPKO任務は今年10月まで、となっています、部隊の安全確保の観点から必要な措置を採る為の重装備の増派、検討しておくべきやもしれません。
北大路機関:はるな くらま
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新国家建設支援として自衛隊がPKO部隊を派遣させている南スーダンの首都ジュバにおいて大規模な戦闘が発生、戦闘員だけで双方に150名以上の戦死者が出ました。

今回の事態を受け外務省は首都以外の地域へ退避勧告、首都圏へ退避準備勧告を発令、イギリスなど欧米諸国は退避勧告を出しました。戦闘はキール大統領とマシャール副大統領の会合の際に双方の陣営に所属する警備隊が銃撃戦に展開し、銃撃戦から火砲など大型火器が使用される規模の戦闘へ展開しました。戦闘はまず大統領府付近での戦闘から始まり、大統領府へ増援に向かう部隊と、これを阻止しようとする部隊との間での車両が加入しての戦闘がジュバ市内数カ所で同時に展開、キール大統領とマシャール副大統領は今回の戦闘を不幸な接触であるとして遺憾の意を示すと共にジュバ市内全域に事実上の戒厳令を布告しました。

ジュバ市内はこれまでそれほど戦闘が激しく展開する事はありませんでしたが、今回は大統領府付近が戦場となっています、自衛隊のPKO部隊は重装備を携行していませんが、場合によっては戦闘ヘリコプターや機甲部隊の増派を真剣に検討する必要が出てくるかもしれません、こういいますのも今回のPKO派遣は国連安保理決議に基づく国連憲章七条措置として実施されているため、必要に応じ平和維持任務から平和執行任務へ転換する可能性が決議の時点で含まれていますので、自衛隊派遣部隊がその安全を確保し、且つ人道的側面から必要な措置を求められる可能性は、充分あるでしょう。

南スーダンはスーダン内戦を経て、長期間にわたる戦闘の末に国民投票によりスーダンより独立し五年がたつ新興国です。スーダンはダルフール紛争に伴う民族浄化等人道問題から欧米の経済制裁の対象となっていますが、ここから独立したスーダンへは国連が新たな国家建設の支援として国連平和維持軍派遣を決定、独立に際し当時の民主党政権は自衛隊派遣を決定しました。しかし、統治機構の枠組み作りへ齟齬があり、結果キール大統領派とマシャール副大統領派との間で2013年に大規模な内戦が発生するに至ります。

国連スーダン任務UNMISS,自衛隊派遣は独立に先んじ、野田佳彦内閣総理大臣と潘基文国連事務総長との間で派遣が決定、内陸部であり更に戦闘が発生する蓋然性の高い地域への派遣は、隣国ウガンダのエンデべ空港へ自衛隊調整指揮所を置き南スーダンへ部隊を派遣するという慎重な姿勢を執り、その上で支援部隊、施設部隊、調整部隊、補給支援部隊、以下大隊規模の部隊が派遣されることとなり、派遣部隊は車両160両と89式小銃を携行すると共に不測の事態に備え軽装甲機動車とMINIMI分隊機銃等を装備し派遣されています。

新国家建設という試みに当たる南スーダンは、その国内に石油資源の埋蔵が確認されていた為、その国家運営は当時の石油価格高騰に合わせ順調に進展する見通しがありました。しかし、石油資源を掘削する費用と運搬する費用について内陸国である南スーダンは良好な条件を有しているとは言い難く、仮に新規に森林と山間部を開発し石油掘削リグと石油パイプラインを建設する場合、費用が採算性に見合わないとの厳しい現実が突き付けられ、其処に石油価格の暴落が追い打ちをかける事となりました。

軍事力によりこの難題を解決しようとしたキール大統領は、隣国スーダンへ戦車部隊を侵攻させ国境付近の油田を制圧する強硬手段に出ました、これは南スーダン国内にはPKO部隊が駐留している為、人間の盾とする事でスーダン軍に対し有利に戦闘を展開させようとした悪辣極まりない蛮行でしたが、スーダンは人権抑圧国であるため、石油を欧米や日本が取引しない一方で、こうした諸国と積極的に資源外交を展開する中国政府が強力な98式戦車を供給していたため、南スーダン軍のT-72戦車は太刀打ちできず、大打撃を受け撤退に追い込まれています。

この攻撃を受け、スーダンのバシール大統領は南スーダンを敵国として宣言し、南スーダン与党である人民解放戦線への敵対政策を示しています。内戦勃発はこの直後の2013年で、突如解任されたマシャール副大統領が説明を求めたものの拒否され、副大統領側近有力者が武装蜂起、南スーダンクーデター未遂事件へと発展しました。南スーダン軍はその鎮圧に向かいましたが、この際に戦闘が激化、PKOインド隊の宿営地への避難民を狙った戦闘部隊が流入し戦死者が出ている。

戦闘に際しアメリカ領事館職員救出に向かった海兵隊航空機が攻撃を受け、更に反乱軍にPKO韓国隊宿営地が包囲され、自衛隊PKO派遣部隊が緊急として弾薬を韓国軍へ補給するほどの緊迫化した事態となっています、戦闘は一年以上続き、アフリカIGAD政府間開発機構の調停により2015年に漸く停戦への道筋で合意、今年四月にマシャール元副大統領が副大統領職へ復職し停戦となったところ。暴騰ン微記しました戦闘は、こののちの会合に際し始まったもので、実際のところ停戦合意後も戦闘は収束していません。自衛隊のPKO任務は今年10月まで、となっています、部隊の安全確保の観点から必要な措置を採る為の重装備の増派、検討しておくべきやもしれません。
北大路機関:はるな くらま
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