■百里航空祭の思い出話
日曜の夜と云う事で、十年一昔といいますので一つ此処は昔話としての百里航空祭の話題を少し記してみましょう。
ファントム、岐阜基地でほぼ一年前の3月17日にラストフライトを迎えた戦闘機です、そしてそのファントムが日本で最初に配備されたのが百里基地でした。様々な背景があるのですが、一時は全ての飛行隊にイーグルが配備された百里は最後ファントムに戻ってゆく。
百里基地、十年一昔と云いますので文字通り一昔の話題とはなりますが、今回から百里基地航空祭の懐かしい写真を思い出話や備忘録と共にお伝えしようと思います。日曜特集、二系統を各隔週で掲載していますが、一つは第七師団、もう一つが、百里の第七航空団だ。
初めて撮影へ展開する基地というのは緊張します、それはどこから撮影すればよいのかわからない、そして概ね遠出した基地ほど初めて撮影するということが多いものですから、さてどの位置から撮影すればよいか、五里霧中ではないが百里霧中という感じでしょうか。
撮影、いや五里霧中は比喩の表現です、百里霧中では飛行展示ができませんからね。もちろん抜群の事前情報収集とか、007みたく衛星写真で撮影位置を、とか、ランボーみたく地元案内人を、という選択肢もあるのですが、どうもわたしは直感で撮影している印象だ。
カメラは重い、そして事前情報収集といいましても、どの程度混雑しているのかは実際進出しなければわからないものですし、晴天なのか曇天なのか、シャトルバスの発着位置さえ、撮影適所というものを左右します、遠い場所に着く頃は満員御礼の可能性もあるのだ。
百里基地航空祭、そういう視点で考えれば、まあ良い撮影位置、順光で撮影でき、百里基地らしさを写真に収められる、そして航空機の写真として眺めても充分合点がゆく構図には、できたと思います。しかしこれは自己採点、皆さんにも採点に写真を見てもらいたい。
ファントムが航空自衛隊から引退したのがちょうど一年前でしたか。実際問題としてよく、ラストフライト撮影、これに間に合ったものです。同じ2021年は護衛艦はつゆき型最後の一隻が自衛艦旗を返納し除籍、防衛力の世代交代はまさに転換点といえるものでした。
岐阜基地に響いていましたファントムのエンジン音は、かかりの枚数を撮影しましたので、ふと、まだどこかに響いているような気がします。いや実際にJ-79エンジン音が聞こえるならば近くにF-4ではなく古いU-2偵察機でも飛行しているのかもしれませんが。
百里基地航空祭。今回は2012年の百里基地航空祭の様子をお伝えしましょう。考えてみますとCOVID-19新型コロナウィルスの影響により航空祭はもちろん、自衛隊行事が総崩れとなっていますので、なにかそうとうな昔のように見えるのですが、2011年の航空祭です。
2011年はほんとうに日本史にとって大きな転換点となりました。10年一昔とはいうのですが、ここで改めて翌年の百里基地航空祭、その様子を紹介しましょう。そう、2011年、東日本大震災のあった年の翌年ですね。あの福島第一原発事故の記憶、当時は現在進行形だ。
東日本大震災、当時国会答弁では外国人献金問題が議論され、仕事場でもTVで国会中継を点けたままにしていましたが、突然の緊急地震速報に驚かされまして、しかし震源は東北地方沖、距離としては非常に離れていることは確かですが直感したのはべつのもの。
宮城県沖地震、最悪の場合はマグニチュード8クラスの巨大地震となり数m規模の津波を引き起こすと、当時から周期的に発生しており防災行政上課題として警戒されていました、宮城県沖地震がやってきたのか、こう身構えたものですが、NHK国会中継は無音のまま。
国会議事堂内が揺れている、中継では連動して南関東でも地震が発生したのかと考えていまして、しかし、これは東北地方の地震が東京へも影響しているというものではないのか、そうした嫌な予感がどす黒く染み出してきましたのを、やはり11年を経ても忘れられない。
こちらまで揺れが始まったのは、その少し後でした。不思議な揺れというもので、浮き桟橋の上でゆったりと揺れているような、しかし確実に大地に振られていることを認識しまして、いや震源は1000km先だろう、頭では理解していても感性が追いつかない違和感だ。
阪神大震災、個人的に震源から離れていましたが巨大地震の揺れは経験しているものでして、それこそ地震は揺れるものだけれども、揺れるにしても1000kmはなれていて揺れるものか。NHKは遠の昔に国会議事堂内から仙台駅前、そして東京撮ってと叫び声が響いて。
津波とコンビナート火災に、そして福島第一原発、これは歴史に残るだろうという認識はありましたが、実際歴史的災害となりました。ただ、忘れてはならないのですが、この百里基地航空祭はその翌年の開催なのですね、日常の回帰、日本の底力を知った気持ち。
航空祭のファントムかっこいい、こう思われるでしょうが。石岡駅からバスが運行、一年以上を経ても東日本大震災の影響を考えさせられる情景は広がっていました、屋根瓦が、大半の住宅で破損し、ブルーシートで覆っているのですね、阪神大震災の時のように。
茨城県は隠れた被災地、こう呼ばれていたのですが、そんな生やさしいものではない、此処単体でも激甚災害というような被害がでています、津波もかなりの高さに及んだというではありませんか。聞けば瓦の価格が高騰しており、修理は瓦供給の様子見とのこと。
F-4EJ改ファントムの後継として航空自衛隊はF-35戦闘機を選定しました。難産ではあったが素晴らしい戦闘機として完成した戦闘機です。F-35戦闘機を航空自衛隊はどのように運用するのか、この部分が未知数です。ただ危惧していたような単なる戦闘機ではない。
JSF計画統合打撃戦闘機として開発されたF-35戦闘機は制空権確保や邀撃戦闘能力も相応に高いのですが、統合打撃戦闘機の名の通り、戦域優勢をつかみ取るための航空機であり、打撃の対象は敵戦闘機にとどまることなくもう少し幅広い可能性を有しているように思う。
敵の優勢に資するものを根本から無力化することに重点を置いた航空機です、これは結果として日本の伝統的な専守防衛政策と合致するものではありません。専守防衛政策、しかしこの議論が形骸化しているといいますか、平和を現実的に議論していないよう危惧する。
リアリズムに依拠した平和論争というものが我が国では成り立たず、防衛力を認めるか認めないかというゼロサム論点にとどまっていることで専守防衛に伴う弊害をリスクとしてどこまで負担するのかという視点に昇華していません、平和の空白、これは不思議に思う。
そして統合打撃戦闘機という理念を、これは代替案を理解せずに導入したことは不思議にも、こういうよりも専守防衛を実際の政策に盛り込むものなのかを疑問符として突きつけたように思う。多少取得費夜が高くともF-22戦闘機の方が良かったのではないか、とね。
憲法問題、この視点は防衛という、軍事という、科学的な命題に相容れるのかという視点はあるのですが軍事機構というものは結局行政機構でもありますので、この論争は避けることは出来ません。ただ、自衛隊は憲法違反ではない、こうした主張が最近増えている。
憲法改正へ自民党が現実的な制度枠組みを構築しようとする段階において、自衛隊が憲法違反であるとしていた野党連合が一部転向したような認識を示す点に疑問符がつくものでして、自衛隊が合憲であるという視点で与野党、で自衛隊は合憲という主張が最近目立つ。
野党といいましても旧民主党系政党の一部ですが、こうした合致が出来るとして、2010年代に既成事実化している構図の防衛政策全般についても合憲であるので改憲の必要はない、として認識を一致させることはできるのでしょうか。出来るならば、良い事なのですが。
自衛隊が合憲と云うならば自衛隊法に基づく平和安全法制も武力攻撃事態法も含めて合憲と考えているのか、よくわからないが自衛隊は有るので合憲、というのか、ここで議論は判れてしまうのですが。有るので合憲という視点ですと、国土防衛が違憲の可能性が残る。
JSF統合打撃戦闘機としてのF-35能力を最大限発揮させることについて、これが自衛隊のF-35導入の背景であり現実なのですが、この部分まで踏み込んで与野党、野党すべてではなく結局共産党は反対するでしょうし連立与党でも公明党は難色を示すのでしょうが。
策源地攻撃を含めて合憲であると合意できるのであれば、ある意味で改憲の必要はないのかもしれません。もっともここまで踏み込んだ議論を行っていないよう思う。例えばシーレーンを絶たれるだけで日本は崩壊します、第二次大戦でも沖縄戦だけで降伏した背景だ。
JASSM,F-35戦闘機には航空自衛隊がF-15戦闘機に搭載する計画があり、しかしボーイング社の見積もりの甘さから開発費が高騰し導入を断念したスタンドオフミサイルの運用能力があります、要するにこの種の装備を相応に整備する事が合憲なのかという視点が要る。
そしてF-35は敵勢力圏内に深く浸透して指揮通信や作戦中枢を破砕する能力を有しており、そのためのステルス性や大量の装備を搭載するビーストモードなどを有しています。ビーストモードはF-35がステルス性を脱ぎ捨てて大量のミサイルを主翼等に搭載する方式です。
ビーストモードのF-35はミサイルのデパートと云うべき存在で、攻撃能力はF-2戦闘機と比較しても極めて高いものが、対艦能力は別として評価すべき水準となっています。対艦攻撃能力についてはF-35開発時で日本のFS-Xのような対艦攻撃の必要性が低かったため。
F-35戦闘機の能力を最大限活用する、これは専守防衛に関する伝統的な枠組みからははずれることとはなりますが、憲法との整合性を考えるならば、専守防衛は他国への攻撃能力を根本から否定するものと限定解釈することなく、発揮する事は問題はないのでしょうか。
これは内閣法制局の政府統一見解として1970年代から堅持されているものだけれども、相手国国土を根本から破壊するものは装備できない、当時A-5ビジランシティ攻撃機から核爆弾を運用していた攻撃型空母、水爆運搬などに用いられていた戦略爆撃機、挙げられた。
こうした過去の流れを記しているのですが、一方で実はこの詳報として写真キャプションを作成していた際、てっきりこの航空祭を2011年に撮影したものと勘違いして二万字ほど書いてからよくみれば2012年、つまり東日本大震災の同年ではなく翌年と気づきました。
イーグル&ファントムの時代という百里基地航空祭、十年一昔とは言うけれども、なるほど覚えているつもりでもこうして情報を整理しておかなければ、記憶と云うのは曖昧になるものなのだなあ、と再認識しつつ、次の百里航空祭はいつだろうと思い返す次第です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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日曜の夜と云う事で、十年一昔といいますので一つ此処は昔話としての百里航空祭の話題を少し記してみましょう。
ファントム、岐阜基地でほぼ一年前の3月17日にラストフライトを迎えた戦闘機です、そしてそのファントムが日本で最初に配備されたのが百里基地でした。様々な背景があるのですが、一時は全ての飛行隊にイーグルが配備された百里は最後ファントムに戻ってゆく。
百里基地、十年一昔と云いますので文字通り一昔の話題とはなりますが、今回から百里基地航空祭の懐かしい写真を思い出話や備忘録と共にお伝えしようと思います。日曜特集、二系統を各隔週で掲載していますが、一つは第七師団、もう一つが、百里の第七航空団だ。
初めて撮影へ展開する基地というのは緊張します、それはどこから撮影すればよいのかわからない、そして概ね遠出した基地ほど初めて撮影するということが多いものですから、さてどの位置から撮影すればよいか、五里霧中ではないが百里霧中という感じでしょうか。
撮影、いや五里霧中は比喩の表現です、百里霧中では飛行展示ができませんからね。もちろん抜群の事前情報収集とか、007みたく衛星写真で撮影位置を、とか、ランボーみたく地元案内人を、という選択肢もあるのですが、どうもわたしは直感で撮影している印象だ。
カメラは重い、そして事前情報収集といいましても、どの程度混雑しているのかは実際進出しなければわからないものですし、晴天なのか曇天なのか、シャトルバスの発着位置さえ、撮影適所というものを左右します、遠い場所に着く頃は満員御礼の可能性もあるのだ。
百里基地航空祭、そういう視点で考えれば、まあ良い撮影位置、順光で撮影でき、百里基地らしさを写真に収められる、そして航空機の写真として眺めても充分合点がゆく構図には、できたと思います。しかしこれは自己採点、皆さんにも採点に写真を見てもらいたい。
ファントムが航空自衛隊から引退したのがちょうど一年前でしたか。実際問題としてよく、ラストフライト撮影、これに間に合ったものです。同じ2021年は護衛艦はつゆき型最後の一隻が自衛艦旗を返納し除籍、防衛力の世代交代はまさに転換点といえるものでした。
岐阜基地に響いていましたファントムのエンジン音は、かかりの枚数を撮影しましたので、ふと、まだどこかに響いているような気がします。いや実際にJ-79エンジン音が聞こえるならば近くにF-4ではなく古いU-2偵察機でも飛行しているのかもしれませんが。
百里基地航空祭。今回は2012年の百里基地航空祭の様子をお伝えしましょう。考えてみますとCOVID-19新型コロナウィルスの影響により航空祭はもちろん、自衛隊行事が総崩れとなっていますので、なにかそうとうな昔のように見えるのですが、2011年の航空祭です。
2011年はほんとうに日本史にとって大きな転換点となりました。10年一昔とはいうのですが、ここで改めて翌年の百里基地航空祭、その様子を紹介しましょう。そう、2011年、東日本大震災のあった年の翌年ですね。あの福島第一原発事故の記憶、当時は現在進行形だ。
東日本大震災、当時国会答弁では外国人献金問題が議論され、仕事場でもTVで国会中継を点けたままにしていましたが、突然の緊急地震速報に驚かされまして、しかし震源は東北地方沖、距離としては非常に離れていることは確かですが直感したのはべつのもの。
宮城県沖地震、最悪の場合はマグニチュード8クラスの巨大地震となり数m規模の津波を引き起こすと、当時から周期的に発生しており防災行政上課題として警戒されていました、宮城県沖地震がやってきたのか、こう身構えたものですが、NHK国会中継は無音のまま。
国会議事堂内が揺れている、中継では連動して南関東でも地震が発生したのかと考えていまして、しかし、これは東北地方の地震が東京へも影響しているというものではないのか、そうした嫌な予感がどす黒く染み出してきましたのを、やはり11年を経ても忘れられない。
こちらまで揺れが始まったのは、その少し後でした。不思議な揺れというもので、浮き桟橋の上でゆったりと揺れているような、しかし確実に大地に振られていることを認識しまして、いや震源は1000km先だろう、頭では理解していても感性が追いつかない違和感だ。
阪神大震災、個人的に震源から離れていましたが巨大地震の揺れは経験しているものでして、それこそ地震は揺れるものだけれども、揺れるにしても1000kmはなれていて揺れるものか。NHKは遠の昔に国会議事堂内から仙台駅前、そして東京撮ってと叫び声が響いて。
津波とコンビナート火災に、そして福島第一原発、これは歴史に残るだろうという認識はありましたが、実際歴史的災害となりました。ただ、忘れてはならないのですが、この百里基地航空祭はその翌年の開催なのですね、日常の回帰、日本の底力を知った気持ち。
航空祭のファントムかっこいい、こう思われるでしょうが。石岡駅からバスが運行、一年以上を経ても東日本大震災の影響を考えさせられる情景は広がっていました、屋根瓦が、大半の住宅で破損し、ブルーシートで覆っているのですね、阪神大震災の時のように。
茨城県は隠れた被災地、こう呼ばれていたのですが、そんな生やさしいものではない、此処単体でも激甚災害というような被害がでています、津波もかなりの高さに及んだというではありませんか。聞けば瓦の価格が高騰しており、修理は瓦供給の様子見とのこと。
F-4EJ改ファントムの後継として航空自衛隊はF-35戦闘機を選定しました。難産ではあったが素晴らしい戦闘機として完成した戦闘機です。F-35戦闘機を航空自衛隊はどのように運用するのか、この部分が未知数です。ただ危惧していたような単なる戦闘機ではない。
JSF計画統合打撃戦闘機として開発されたF-35戦闘機は制空権確保や邀撃戦闘能力も相応に高いのですが、統合打撃戦闘機の名の通り、戦域優勢をつかみ取るための航空機であり、打撃の対象は敵戦闘機にとどまることなくもう少し幅広い可能性を有しているように思う。
敵の優勢に資するものを根本から無力化することに重点を置いた航空機です、これは結果として日本の伝統的な専守防衛政策と合致するものではありません。専守防衛政策、しかしこの議論が形骸化しているといいますか、平和を現実的に議論していないよう危惧する。
リアリズムに依拠した平和論争というものが我が国では成り立たず、防衛力を認めるか認めないかというゼロサム論点にとどまっていることで専守防衛に伴う弊害をリスクとしてどこまで負担するのかという視点に昇華していません、平和の空白、これは不思議に思う。
そして統合打撃戦闘機という理念を、これは代替案を理解せずに導入したことは不思議にも、こういうよりも専守防衛を実際の政策に盛り込むものなのかを疑問符として突きつけたように思う。多少取得費夜が高くともF-22戦闘機の方が良かったのではないか、とね。
憲法問題、この視点は防衛という、軍事という、科学的な命題に相容れるのかという視点はあるのですが軍事機構というものは結局行政機構でもありますので、この論争は避けることは出来ません。ただ、自衛隊は憲法違反ではない、こうした主張が最近増えている。
憲法改正へ自民党が現実的な制度枠組みを構築しようとする段階において、自衛隊が憲法違反であるとしていた野党連合が一部転向したような認識を示す点に疑問符がつくものでして、自衛隊が合憲であるという視点で与野党、で自衛隊は合憲という主張が最近目立つ。
野党といいましても旧民主党系政党の一部ですが、こうした合致が出来るとして、2010年代に既成事実化している構図の防衛政策全般についても合憲であるので改憲の必要はない、として認識を一致させることはできるのでしょうか。出来るならば、良い事なのですが。
自衛隊が合憲と云うならば自衛隊法に基づく平和安全法制も武力攻撃事態法も含めて合憲と考えているのか、よくわからないが自衛隊は有るので合憲、というのか、ここで議論は判れてしまうのですが。有るので合憲という視点ですと、国土防衛が違憲の可能性が残る。
JSF統合打撃戦闘機としてのF-35能力を最大限発揮させることについて、これが自衛隊のF-35導入の背景であり現実なのですが、この部分まで踏み込んで与野党、野党すべてではなく結局共産党は反対するでしょうし連立与党でも公明党は難色を示すのでしょうが。
策源地攻撃を含めて合憲であると合意できるのであれば、ある意味で改憲の必要はないのかもしれません。もっともここまで踏み込んだ議論を行っていないよう思う。例えばシーレーンを絶たれるだけで日本は崩壊します、第二次大戦でも沖縄戦だけで降伏した背景だ。
JASSM,F-35戦闘機には航空自衛隊がF-15戦闘機に搭載する計画があり、しかしボーイング社の見積もりの甘さから開発費が高騰し導入を断念したスタンドオフミサイルの運用能力があります、要するにこの種の装備を相応に整備する事が合憲なのかという視点が要る。
そしてF-35は敵勢力圏内に深く浸透して指揮通信や作戦中枢を破砕する能力を有しており、そのためのステルス性や大量の装備を搭載するビーストモードなどを有しています。ビーストモードはF-35がステルス性を脱ぎ捨てて大量のミサイルを主翼等に搭載する方式です。
ビーストモードのF-35はミサイルのデパートと云うべき存在で、攻撃能力はF-2戦闘機と比較しても極めて高いものが、対艦能力は別として評価すべき水準となっています。対艦攻撃能力についてはF-35開発時で日本のFS-Xのような対艦攻撃の必要性が低かったため。
F-35戦闘機の能力を最大限活用する、これは専守防衛に関する伝統的な枠組みからははずれることとはなりますが、憲法との整合性を考えるならば、専守防衛は他国への攻撃能力を根本から否定するものと限定解釈することなく、発揮する事は問題はないのでしょうか。
これは内閣法制局の政府統一見解として1970年代から堅持されているものだけれども、相手国国土を根本から破壊するものは装備できない、当時A-5ビジランシティ攻撃機から核爆弾を運用していた攻撃型空母、水爆運搬などに用いられていた戦略爆撃機、挙げられた。
こうした過去の流れを記しているのですが、一方で実はこの詳報として写真キャプションを作成していた際、てっきりこの航空祭を2011年に撮影したものと勘違いして二万字ほど書いてからよくみれば2012年、つまり東日本大震災の同年ではなく翌年と気づきました。
イーグル&ファントムの時代という百里基地航空祭、十年一昔とは言うけれども、なるほど覚えているつもりでもこうして情報を整理しておかなければ、記憶と云うのは曖昧になるものなのだなあ、と再認識しつつ、次の百里航空祭はいつだろうと思い返す次第です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)