北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】百里基地航空祭二〇一二【02】RF-4戦術偵察機離陸とRQ-4グローバルホーク(2012-10-20)

2022-03-27 20:00:23 | 航空自衛隊 装備名鑑
■F-4EJ改エンジン音轟々と
 エンジンの音轟々とファントムは往く航空祭の空へ。順光と青空を背景に次々と戦闘機が離陸してゆく情景を前にまさにこの構図を撮りたかったとカメラの構え方にも気合が入るものだ。

 百里基地航空祭、茨城県の航空自衛隊基地で首都防空に当る第七航空団が展開しています。ここは航空自衛隊ファントム発祥の地であり、そしてF-15が配備開始されますと首都防空を担うべく二つの飛行隊がイーグル飛行隊に機種転換しましたが、21世紀は色々ある。

 第七航空団は21世紀に入り顕在化した中国による南西方面での軍事圧力増大を背景に、沖縄の那覇基地に配備されていましたファントム飛行隊をイーグル飛行隊へ機種転換する必要が生じました、しかし既にイーグルは生産終了となっており新規生産などはできません。

 北海道の第二航空団はロシア圧力を考えればイーグル二個飛行隊は引抜けません、小松の第六航空団も日本海の対岸が北朝鮮ですので引抜けません、九州の第八航空団も朝鮮半島最寄りの基地ですしイーグル飛行隊は一個だけですので無理、そこで首都防空が、という。

 首都防空は重要ですが、東京はペトリオットミサイルや03式中距離地対空誘導弾システムにより幾重にも防空が確保されていますし、東京に長躯接近するのは鈍重な、中には俊敏な機種も居ますが、相手は爆撃機です、そこでファントムでもなんとかなるだろう、と。

 ファントム飛行隊はこうして、一個飛行隊が那覇と交代しまして、イーグルとファントムの飛行隊となったのがこの航空祭を撮影した2012年でした。もっとも、このあともう一個の飛行隊も引抜かれまして、なんと二つともファントム飛行隊になるとか、想像できない。

 航空祭を撮影した写真、百里基地航空祭へ初めて歩み進めたのは2012年という東日本大震災の直後だったのですが、考えてみますと痛感するのはカメラ性能の向上ですね。いやカメラ撮影が長くなりレンズを新型に切り替えたのも大きいのかもしれませんけれどもね。

 SIGMA120-400OSを当時は愛用していました、150-500というものもあったのですが500mmはカメラがCANONでしたので将来にCANON純正への切り替えを考えますとCANON純正の500mmは単焦点になり手に負えません、それも色々な意味で凄いものだ。

 CANON純正の500mmともなりますと、カメラレンズ、こうひとくくりにするにはちょっとテレビや冷蔵庫と比べるには厳しいものがあります。カールグスタフ並の重さと軽自動車の値段がする。いや重さだけならば冷蔵庫や大型テレビの方が凄いのですけれども。

 ピントがなあ、とは思うところなのですが、まあ撮影できていないわけではないので。しかしこの頃はEOS-50DとEOS-7Dという二台のカメラを抱えて一方に広角ズーム、もう一つは望遠ズームという、レンズ交換の間を惜しんで撮影していたのですね。理由がある。

 18-200mmIS、CANONがなぜか絶版にしてしまいましたが、これが実は望遠のSIGMA120-400mmよりも航空機撮影に威力を発揮しました、18-200mmは絶版になり18-135mmに切り替わっているのですが、CANONの技術的な問題もあったのでしょうか。

 SIGMA120-400mmと並べて撮影すると望遠がたりないことは確かなのですがトリミングしますと使える構図と仕上がりはこちらのほうが多かったのですね。もっともこの18-200mmISについては老朽化しますとAFモーターが作動性に不確かなものがでますが。

 航空機を撮影するには可能な限り18-200mmで追いかけ、射程外に出た際のみ120-400mmを使うという。ただ、試しにCANONの純正で所謂"白レンズ"、おもしろいと思って300mmF2.8ISを購入しますと、これが凄かった。いや、技術は必要なのです、それこそ。

 300mmF2.8ISは撮影に技術が必要と云うのは、ピントが凄いですから、と実感するところが大きい。サンニッパと呼ばれるレンズ、油断すると戦闘機の誘導路を進む様子を撮影していても、気付けばターミナルにピントが正確に合っていたりしますので油断できません。

 サンニッパ、これを一眼レフに装着しますとバッテリー込の重さと云うのが4.4kgと懐かしい64式小銃並となる、しかし、解像度が素晴らしいのですよね、飛行する機体のコックピットにピントを合わせればパイロットの表情はもちろん、名札まで読める解像度でした。

 体力だなあ、と撮影を終えた後の疲れを想うのですが、昔はEOS-Kiss-Nに18-55mmと70-300mmISという軽量装備、それこそ小さなカメラバックに入る機材で適当に撮影していたものを、流石にサンニッパレンズだけで昔の機材より重いのだから疲れは当然と知る。

 28-300mmIS、ああこれをレンズ沼というのだなあと実感しつつレンズをも一つ、18-200mmの望遠版のようなものを調達しまして、初めて使ったのは確か千葉の下志津でしたけれども、これも凄かった。なによりも撮影する全ての焦点領域をほぼカバーする。

 白レンズの一翼を担う28-300mmISを本格的に運用しますと、あっというまにSIGMAは、いいレンズですよ、予備機種となる。28-300mmISと120-400mmOSでは400mmの方が望遠は利くのですが、なにしろ使える構図の比率となりますと白レンズはやはりすごいや。

 100-400mmIS2、しかし驚くのはこののちに発表された新型レンズで、ズームレンズですのでサンニッパと比べれば軽量なのですが、性能がサンニッパに迫る、八割くらいか、描写力がありまして、これがEOS-7Dmark2と相性抜群だったのですよね。買ってよかった。

 思い起こせば、過去の幾つかの行事に際して、この性能のレンズやカメラがあればなあ、そう思い返すこともあります。もっともそれは思い返す土台となる過去の写真があるからこそ。やっぱり写真というものは思い出を長く新鮮なままとできる、良いものなのですね。

 偵察航空隊。RF-4の離陸です、大災害となりますとこのRF-4が緊急発進し写真偵察を行い、政府や自衛隊災害派遣部隊の情報収集に役立てる、というものはある時期では定番で、例えば映画の日本沈没や平成ガメラシリーズなどでも描かれていた描写であったのですね。

 RQ-4グローバルホーク、ようやく2022年3月に日本へ到着しました後継機ですが、この偵察航空隊は2020年3月に廃止されていまして、いやはや、この2020年から2022年にかけて、東日本大震災のような大災害が起きなくて本当に良かった、冷冷やしていました。

 RF-4戦術偵察機の前にはRF-86という第一世代戦闘機であるF-86戦闘機の派生型を配備していたのですが、このRF-86を運用する部隊として1961年に第501飛行隊が創設されていまして、1962年に基地を入間基地へ移動しています。移動には偵察機の特性があった。

 戦術偵察機、この機体には航空祭を撮影するカメラの親分のような巨大なカメラと、こんなフィルムを使ってみたいという撮影者の夢と自分で現像しないからだよという事業者の視点のようなフィルムが搭載されている、これで目標を撮影し、画像情報を得る訳ですね。

 松島基地で創設された背景には、当時F-86戦闘機の教育訓練部隊が置かれていた為なのですが、当時も今も、今と云うのは撮影時点のRF-4があった時代、フィルムを撮影しましたらば現像せねばなりません、そして現像した画像を送るまでが第一段階となるのですが。

 入間基地へ移転した背景には、松島基地を基点に運用し、そして偵察機舞台に現像処理施設があるのですから現像も松島で行う必要がありますが、その現像した画像を伊達正宗公に見せるならば宮城県内ですが、東京の安倍総理大臣(当時)に見せるには少々距離が遠い。

 東京に送るには入間基地が最適です。府中基地の方が近いといわれるかもしれませんが、滑走路が無い。FAXを使うべきと指摘されるかもしれませんが、この戦術偵察機の巨大なフィルムで撮影した画像はあまりに高精細で、FAXでは難しい。今の光ファイバーならば。

 写真偵察は航空祭でも展示飛行を行うのですが、なんと驚く事に二回に渡り上空を航過飛行し、その後で現像し格納庫で展示するというものなのですが、航空祭に来場していた、恐らく五万六万の観衆、私も含めカメラバックまで判別可能なほどに写っていたのですね。

 偵察画像、今の光ファイバーならばデジタル化して送信できるのかもしれませんが、まあ1961年の技術では感熱紙を使って送る伝送技術では無理と云わざるを得ません。そこで松島基地から入間基地へ移転されたのですが、その後にやや離れた此処百里基地へ移転した。

 茨城県で遠くなったのではないか、こう指摘されるかもしれませんが残念な現実が。当時入間基地の滑走路はF-86戦闘機の発着には対応していたものの、F-4戦闘機の重量や最大装備の発着距離も、不充分という状況があったのでした。仕方なく1972年に移動します。

 第501飛行隊は百里に移転しましてRF-4戦術偵察機を運用するのですが、これはRF-86とは段違いの高性能で速度も生存性の高さも凄かったのですが、なにより夜間偵察が可能になったのが大きかったようです。一方、偵察航空隊分遣隊としてRF-86も暫く残った。

 偵察航空隊分遣隊というかたちで入間基地に一定数のRF-86が配備され、RF-4とともに二機種運用が行われていました。そんな時代も在った事を考えると、後継機が配備される前に偵察航空隊が廃止され、その後数年間に渡り綱渡りを行った、背筋が寒くなるよう思う。

 F-2戦闘機あたりを暫定的な戦術偵察機に応用できなかったのか、個人的にはこう思います。なにしろ支援戦闘機として開発されたF-2には目標情報が不可欠なのですからF-2をRF-2というような専用機に改造しなくとも、既存のF-2に偵察ポッドを装着するだけでも良い。

 MS-110広領域空中偵察システム。我が国では東芝がRF-15偵察機用偵察ポッドの開発を試み、そして失敗し偵察機は一時なかった事になりました、空幕広報の方も一時期偵察機を話題にすると笑顔を曇らせましたほど。しかし世界にはMS-110のような既製品がある。

 東芝もこうした技術に果敢に挑んだのは評価しますが、東芝はガソリン車や旅客機に手を出さない様に、未経験の分野にいどむには、例えばM&Aで経験ある海外企業を子会社化するとか、航空技術事業部を立ち上げて充分研究する、この手間を省いて、防衛が危機に。

 MS-110広領域空中偵察システムはF-16戦闘機用のポッドでレイセオン社が開発しました、戦術偵察機はRQ-4と比較しますと、広域防空ミサイルの脅威状況下でも敵戦闘機が接近する状況でも偵察が可能です、RQ-4で対応出来るならば戦闘機でなくとも空中戦が出来る。

 有事はいつ起きるか分らない、それは東日本大震災のような形で在るかもしれないしロシア軍ウクライナ侵攻のような状況が北海道周辺で起こるかもしれない、だからこそ何とかなるだろうと考える事は安全保障の基本以前を理解していない事になる、そう思いました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-広島,江田島練習艦隊出航待つ広島港にてインドのカレー料理

2022-03-27 18:18:42 | グルメ
■榛名さんの総監部グルメ日誌
 広島県と云えば呉市は呉基地に呉地方総監部の置かれるまさに総監部の御膝元ですし、江田島には海軍兵学校を受け継ぐ幹部候補生学校が置かれている。

 練習艦隊江田島出航。近海練習航海部隊と外洋練習航海部隊という二つの部隊が堂々と江田内を出航する毎年の行事です。あの東日本大震災の直後にも粛々と行われ、いまのCOVID-19新型コロナウィルス拡大下においても連綿と海上防衛の基礎を固めているもの。

 広島港。毎年江田島の練習艦隊出航に際してこの広島港を基点に江田島へ向かうのですが、ここには不思議な港情緒がありまして、広島市電よりも運行間隔が長いものですから待ち時間というのはちょっとした息抜きができる、この忙中有閑が港情緒なのだとおもう。

 ガネーシュ。広島湾を一望する好立地でカレーを頂けるということで昨年も紹介しまして、いや実は今年の練習艦隊出航では広島県まん延防止等重点措置解除ということで楽しみにして広島港ビルのエスカレータを早足で登ったものなのですよ、久しぶりだなあ、とね。

 まん延防止等重点措置、現実は厳しかった。門扉には延々と営業自粛の期間が張り紙に張り紙を重ねる様に貼られていまして、そして内装品の撤去作業が開始されていました、それは明らかに廃業した事を意味します。肩の力が抜けたというか、あと漫画喫茶できてた。

 ヒヨコマメ、インドと云えば豆のカレーだというのを、草創期の北大路機関の会合所に汚点紫という謎の店が北大路通り沿いにありまして、そこで豆のカレーをお教えいただいて以来、一つの定番となっています。汚点紫、円町近くに移転し、そして、そこはまあ、ね。

 波止場で一杯、これは旅に出かけた雰囲気が増しますが何より此処は呉の入り口、いや広島市なのですけれども、呉軍港への入り口にてカレーを頂けるのですから。こう、インドのシンハービールを注いで、時計をふと見て連絡線まであと何分、ビールを口へはこぶ。

 カレーナンコツ。海を渡った先こと20分先に在る江田島でも牡蠣という美味しい目的がありますので、ここで満腹というものも考えてみますと三時間後の未来を塞いでしまいますので、慎重に。歯応えが面白いのですが、年配の友人知人は歯に来るという、若者向けか。

 シンハービールも良いけれども、アサヒビールも広島だから良いよなあ、インドのみんなごめんね、両方とも美味しい。そしてジョッキのビールと少し少しと注ぐ瓶ビールはそれぞれの良さがあるように思う。考えてみるとスパイスの利いた料理とビールが相性いい。

 タンドリーチキンが香りと音と共に来た、高速船の時間と調理の時間を考えて、一番のお楽しみはやはりというかタンドリーチキン、美味しさは確実なのだけれども、スパイスが指につくと延々とタンドリーチキンを主張するという、食べ方に注意しなければならない。

 カレーまで行けるかな、とも考えたのですが高速船には時間の縛りがある、ただ、今考えてみれば、2022年に閉店してしまう事を考えれば、またあるさ、という考えよりは一期一会を認識しなければならないのが、COVID-19のウィズコロナという厳しい時代なのです。

 広島にはガネーシュの視点は閉店となってしまった広島港の宇品店だけではなく、沼田店、多分群馬の沼田ではない、本通り店、多分路面電車で知らずに通過してる、鷹野橋店があるという。今度は改めてこの視点の方で、ひっそりと乾杯してみようとおもっていますね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ドンバス重点攻略-ロシア軍ウクライナ侵攻長期化で転換か,撤退訓練は充分か-難しい撤退作戦と潰走の可能性

2022-03-27 07:00:54 | 国際・政治
■臨時情報-ウクライナ情勢
 キエフ北方のロシア軍を大きくウクライナ軍が圧し戻した事でウクライナ情勢は転換点を迎えつつあるようです。

 ロシア政府は25日の発表で、ロシア軍は今後の作戦重点として親ロシア系住民が多く居住する東部ドンバス地域に注力すると発表しました。これはロシア軍が首都キエフ攻略など大き過ぎる作戦計画を見直し、ウクライナ東部二州に限定して割譲を目指す方針へ転換したということでしょうか。開戦一ヶ月以上、ロシア軍攻勢は現在完全に停滞しています。

 ウクライナ軍は反撃を開始しており、ウクライナのゼレンスキー大統領は25日の声明で、的に強力な打撃を与えた、と発表しており、またキエフ北方でのロシア軍を大きく押し戻しています。今回のロシア軍行動は、参謀本部が立案したとは思えないほど、キエフ、ハリコフ、オデッサ、マリウポリへ戦力分散し進められ作戦が稚拙、各所で撃退されている。

 ロシアでは3月11日を最後にショイグ国防相が公式の場に姿を現しておらず、健康上の問題か更迭など様々な可能性が指摘されていますが、予想以上にウクライナ軍に対しロシア軍は苦戦し損害が増大している為、強固なキエフやハリコフとオデッサ攻略を断念し、東部地域に戦力を集中するよう切り替えたのかもしれません。しかし、ここで新たな問題が。

 撤退の訓練は行っているのだろうか。素朴な疑問です、撤退というものは単に兵力を曳きますと追撃を受けます、撤退計画と訓練を無に単純に戦線を離脱して後退を始めた場合は攻撃に対して無防備となっている状況に他なりませんので、撤退がそのまま潰走となってしまいます。この為に、先ず撤退に際しては全部隊の一割程度を殿に置く必要がある。

 殿は自殺任務にならない様に収容部隊として一定時間の防衛線維持の後に素早く後退する事が求められ、遺棄する重装備の破壊計画や鹵獲されないよう物資などの処分、撤退部隊の迅速な集結に収容部隊との離隔が大きくならないように調整、そして殿部隊が持久する時間と撤退に必要な時間を勘案してと、加えていわば攻撃作戦以上に撤退作戦は難しい。

 撤退が失敗し潰走となった場合は、この可能性を危惧する背景には今回ロシア軍のウクライナ侵攻は複数の軍事目標に中途半端な部隊を展開させ、緊要地形など無視し都市攻撃を行い失敗した場合は迂回するという手法を用いている為、戦線の縮小が簡単ではありません、そもそも撤退とは防衛線を一つ引くものなのですが、今回の作戦変更は距離が大きい。

 ルガンスクなど東部二州へ戦力を集中するといいますが、東部要衝ハリコフを迂回してキエフに向かった部隊などは400kmも移動していますので補給線が伸びきっていますし、中途半端に幹線道路沿いに進撃した為、ウクライナ軍歩兵部隊が幹線道路沿いを徒歩機動し、常に叩ける位置に展開している、歩兵はあらゆる地形と気象を克服する特性を活かして。

 ロシア軍の損害が増大している背景には無計画な戦線の拡大により幹線道路沿いに無人機と砲兵、歩兵と対戦車ミサイル、分散した戦車部隊が諸兵科連合を組んで臨機応変に集合分散し攻撃してウクライナ軍は戦果を挙げている、すると撤退計画を立案するよりは、現状、損害が増大しているので政治主導で戦線縮小を一方的に決めている様にも思えます。

 停戦が成立して撤退するならば、ウクライナ軍は追撃などを行わないのでしょうが、今回の撤退は単純に兵力不足をロシア軍が悟って東部二州に兵力を集中させるための転進なのですから、ウクライナ軍としては撤退中のロシア軍を叩かなければ東部二州がロシア軍の攻撃に曝されます、すると手元に対戦車火力がある現状で追撃しない理由はありません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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