北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】金戒光明寺観桜拝観-憲法記念日に思う日本と金戒光明寺の歴史と現在の世界と今日の京都

2023-05-03 20:22:06 | 写真
さくらと巡る京都
 ゴールデンウィークの始まりは憲法記念日です。

 金戒光明寺、京都に桜の季節がまた訪れた頃に修学旅行生が金閣寺や新京極へ、外国人観光客が清水寺や嵐山に溢れているとの報道をテレビや新聞で耳目に接しまして、しかし、どうしてこの金戒光明寺には観光客が少ないのだろう、と思った事がありました。

 さくらの季節などはとっくにおわりまして、いまは新緑が夏に向けて緑の色彩を色濃く日々鮮やかさを増しているところなのですけれども、敢えて今年も数多寺院や社殿を拝観し参拝したものですから、いますこしこの特集にて春の気分を味わいたいとおもう。

 ゴールデンウィークということで、BS12などは、キングコング対ゴジラにメカゴジラの逆襲とゴジラvsビオランテ、いまはゴジラvsデストロイアを放映していますが、日本では自衛隊と云えば、怪獣退治が伝統、と云われた時代もありましたが、今はだいぶんちがう。

 法然さんの金戒光明寺、ちょうど今の頃合いですと京都市役所や三条河原町や京都駅前、散策していますとどうしてもアジテーションでウクライナ戦争反対のがなり立てがきこえてくるのです、いや反戦デモを否定しているのではないのですが、問題は内容なのだ。

 アジテーションが昔の安倍政権安保法制反対の叫び方と同じでして、もう少し、防衛の努力を怠り抑止力が破綻すると戦争が起こる、という現状を無視した事を反省して欲しい、なにも総括して主張したものをリンチしろという訳ではない、でも学んでほしいのです。

 左京区黒谷町、金戒光明寺がありますこの一角は静かで、こうした騒音は届いてこないのですけれども、法然さんを慕った人たち、そして浄土宗鎮西派の人たちは信仰を守るためには命を賭して戦った、これが親鸞さんの浄土真宗では一向一揆となってゆくのですね。

 一向俊聖さん、一向宗というのは鎌倉時代に天道念佛と踊念仏を掲げて諸国を遊行回国しました僧侶です。そして本日は憲法記念日、ここまで示しました戦争反対といいますとどうしても憲法論議と重なるところです、ただ、これは信仰なのか理念なのかカルトか、と。

 反戦運動を否定するものではありませんが、理念を守るために命を懸けた一向一揆をこなった衆民のような覚悟があるのか、どうしても気になるのです。単に考えるのが面倒で議論を省くために叫んでいるのではないか、学ぶまで至っていないのではないのか、という。

 命がけで反戦運動、聞こえはいいですが、一向一揆の時代は火縄銃はじめ最先端の火器を保有する事が出来た、しかし今、市民が正規軍にたいし武器を手に立ち揚がるには、基本的に成層圏を飛ぶ爆撃機や数十km先からの砲兵火力に太刀打ちする事はできません。

 憲法を愛するならば、その憲法を外国軍隊により軍事的に占領され破壊されぬように、国家の防衛力を論じるべきではないのか、特に日本の護憲運動にみられる非武装論などは、もしかして憲法を愛していないのではないのか、こういう懸念というか疑問があるのだ。

 自衛隊という防衛力を否定して憲法を守ろうとしている方々は、外国軍隊により憲法の体制そのものが危機に曝された時には、覚悟はあるのか、いや覚悟はあるというのは簡単なのだけれども、それならばその手段を現実的に検証し準備しているのか、と問いたい。

 金戒光明寺は、浄土宗寺院であるとともに、その歴史を紐解きますと所謂武力闘争も辞さない時代は江戸時代とともに、幕府の統治を支える事でその理想という欣求浄土を実現しようと転換していまして、ここから金戒光明寺は祈りの寺院へと転換しているのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】大垣城-観桜,決して大きくは無い城郭を撮影する決して大きくは無いカメラ

2023-05-03 20:00:44 | 旅行記
■観桜と拝観と探訪
 大垣城の写真と共にカメラで悩んでいる話題を。

 CANONの意図は読みにくいのですがG5Xの後継機種となるG5XmarkⅡは、なんとG7XmarkⅡに非常によく似た形状となっていたのですね、グリップ部分と全体のフォルムそのものが。一方で、偉大なるデカブツというべきG1Xの最新型がG5Xにそっくり。

 G1Xは大きなセンサーを搭載した、おそらく一眼レフが壊れたらこれを即座にバッグから取り出して使うとか、一眼レフをカメラバッグに仕舞いこんで散策している途中はカメラを出す時間が無い時にはストラップで下げているこれを使うんだ、というような仕様です。

 APS-Cのセンサーを搭載したG1Xシリーズ、ある程度ズームが利きますのですこしお散歩カメラにも考えたのですが、持ち歩くには大き過ぎ断念した事が有りました、そしてG7Xの後継機種を考える場合には、ちょっとこちらも大き過ぎることにかわりありません。

 G7XmarkⅢが発表されているのですが、こちらで重視されているのは動画撮影機能で、動画をそれほど重視していない、というよりも紙焼きできない動画は基本的に撮影しない当方としては、ほぼ無価値という機能でして、動画性能のぶんを価格に上乗せされてもなあ。

 G16,もともとG7XmarkⅡを購入するに至ったのはPowerShotGシリーズのG16を愛用していて、この後継機種が出されずにG16で打ち止めになったため、という事情がありました、そして当時はG7Xが発売されていたのですが、G7Xはちょっと毛色が違ったのだ。

 S-120,ミサイルみたいな名前ですがPowerShotS-120というコンパクトな機種がかつてありまして、Gシリーズよりも格下の、いやライトユーザー向けの機種という区分でした。こちらにセンサーと画像エンジンを改良し、価格帯が高くなった分Gシリーズとした。

 G7XとG16の違いは、レリーズの使用はG7Xには無理であり、一眼レフに併せて予備カメラとして撮影出来ないものとなっていまして、しかも光学ファインダーのあったG16に対してファインダーそのものが省かれていたのも、ちょっと残念に思ったものです。

 G5XmarkⅡがG7XmarkⅡの後継になり得るのではないか、こう考えさせられたのはG5Xと比べてG5XmarkⅡはかなり小型化されているとともに、G16を思い出させるレリーズの運用性能が標準装備され、しかも電子式ではあるがファインダーも装着されていたため。

 G-16と比較すると、しかしコンパクト機種は高価なものとなりました、概ね十万円前後、昔は機種が新しくなれば飛びついていたものですが、それはその分安価であった為です、そして毎年のように新機種が出ましたので、G12とG16と買い替える事が出来ましたが。

 CANONさん、浮気性すぎないか、と思うところも機種選定を悩ませている背景の一つなのです。PowerShotG1XがG5Xとそっくりの形状となったのは、おそらくG1Xシリーズの仕様とデザインコンセプトや運用が一貫していなかった為なのだとかんがえています。

 カメラ、メーカーが思うほど簡単に壊れるものではありません、落とせばG7Xは確実に破損しますし、修理料金は定額制の高価なものとなっているのですが、落とさなければ五年七年は使える、一眼レフは十年以上、毎日使っても正常に機能するものなのですし。

 撮影する側としてはカメラに併せて各種器材や撮影方法と支援器材を準備しますので、コンセプトを変えられるのと、そしてそれと同じくらい形式消滅というものは困るものなのですね。カメラの選定は毎回のようにどうするべきか問う事で隔靴掻痒が続くのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】東寺-観桜拝観,恵果和尚と空海-新しいものと古い基礎の価値観を考えさせられる寺院

2023-05-03 18:21:44 | 写真
■観桜と拝観と探訪
 昔のデジタル写真、デジカメで撮影している以上太古の昔ではないのだけれどもこの季節は未だ御室桜がみられたのだよなあ世の中かわるのだ、と思いつつ。

 講堂、その一段高い須弥壇の中央を見ますと大日如来を中心に如来像が五仏報じられています、これを五智如来といいますが、その須弥壇から東方をみますとそこには金剛波羅密多菩薩を中心に五大菩薩、須弥壇西方には不動明王を中心に明王像の五大明王が。

 如来さんというのは仏陀さんのことをしめしまして、講堂を拝観、さすがに撮影禁止なのですが、巡りますと菩薩さんは悟りのさなかであるゆえに起座の蓮の花は五分咲きの開花途上、しかし如来さんは悟りを経て満開の蓮の花の上に導いているという意匠です。

 金剛波羅密多菩薩と不動明王とともに須弥壇を守り奉じるようにその東西端に梵天と帝釈天像、そして須弥壇の四隅には四天王像が安置されています。立体曼荼羅という、いわば真言密教絵画の世界をそのまま立体化したという、当時としては画期的な試みでした。

 大日如来を中心としました配置は密教のものであり、東寺のご本尊である薬師如来さんとは当時の空海さんに下賜されたという歴史を反映しているものなのでしょうが、密教という、調べてみますと中国では定着することなく、インドでは失われた教義だという。

 密教は、唐の時代、インドから金剛智と善無畏と不空金剛という3名の僧侶が中国に伝えたとされる。この僧侶たちはサンスクリット語の大日経などを中国語に翻訳、このなかで最も若かった不空金剛はのちに玄宗皇帝、粛宗皇帝、大宗皇帝に仕える事となります。

 不空金剛は玄宗皇帝を仏弟子として迎えるとともに、その弟子が青龍寺の恵果和尚、空海に密教を伝えた僧侶です。密教が難しいとされたのはバラモン印度哲学とサンスクリット語を理解しなければ一種の哲学であるゆえに形式的な部分しか学べないとされている。

 空海は、虚空蔵求聞持法という、これは一つの様式を百万回集中して唱えるとほかの連関する記憶力が大きく高まるという修業を行っていたといい、ここで儒教と道教と仏教の深い理解とともに遣唐使船に乗っています、密教の知識はなくとも裾野知識が広かった。

 恵果和尚は、優れた仏教の弟子を数多く育てていますが、失礼な言い方ですが専門特化の方が多かったのでしょう、空海が恵果和尚と出会った際の弟子は千人を超えていたといいますが、両部灌頂、すべてを教え終えた灌頂を授けたのは空海ともう一人だけという。

 義円さんという、恵果和尚から両部灌頂を受けた高僧が居ましたが残念ながら若くして旅立っており、要するにインドから伝わった密教を正確に継承できたのは日本からの空海だけだった、恵果和尚は自分の命の先を悟り多くの経文や仏具を空海に委ねています。

 嵯峨天皇は、空海の唐からの帰国、実は20年の予定の留学を切り上げて帰国したために官僚的な摩擦が相当あったのですが、密教寺院を日本に、ということで空海へこの東寺を下賜しています。そして空海はこの東寺を、いまにも伝わる名称、教王護国寺としました。

 密教と日本、政教分離が制度上徹底している現代国家ではありますが、価値観や世界観については実のところ相当空海の影響は大きいようおもう。それには護国の名を奉じた通り、一種の哲学としての社会観を定着させ、また変な変容を避けたことが挙げられるのです。

 哲学や価値観、新しいものを取り入れることは重要ですが、価値基準をその都度変えていては一貫性がありません。空海さんの東寺は、そうした意味で実は日本の根の部分にある寺院なのだなあ、と遷りゆく季節とともに、改めて感慨深く見上げ帰路につきました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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五月三日は憲法記念日-二年目のロシアウクライナ戦争と日本に残る降伏すれば平和論,防衛と憲法の問題

2023-05-03 07:00:36 | 国際・政治
■憲法9条と防衛の問題
 ゴールデンウィークという連休の号砲となります本日五月三日は憲法記念日だ。

 本日は憲法記念日です。憲法問題、最大の関心事は防衛でしょう。環境権の問題や世界で唯一憲法に男女同権を明記している日本国憲法という先進性はあげられるのですが、一方で世界で唯一国家に陸海空軍の保持を禁止しているという点で特色があり、また憲法改正手続きがきわめて厳しく制限され容易に改正できない点も特記すべきでしょう。

 9条。九条と書きますと京都駅の南のような印象を受けますので9条と記しますが、憲法論の主軸はこの9条において陸海空軍の保持を否定しているところでしょう。すると自衛隊はこれに当たらないのか、自衛隊は軍隊ではないので保持しても憲法上問題はない、という意見は一部野党をふくめ存在するところではありますが、定義が不明確です。

 憲法を考える場合、日本は"手段として平和を用いる"ために陸海空軍を否定しているとしますが、"結果としての平和を担保する"ことが国民の幸福追求権や財産権と基本的人権に直結するものであり、憲法上ほかの条文をみた場合には、手段として平和を用いたことでの戦災など非平和的結果を公共の福祉として国民に強要する条文はありません。

 2003年、興味深いのは9条の問題について、憲法前文の精神を持ち出し、"結果としての平和"のほうが"手段としての平和よりも重要だ"といまから20年前に当時の小泉首相が提唱し、橋本内閣時代の日米新ガイドライン以降整備が進められていた、それまでの空隙にあたっていた有事法制整備へと大きく進んだ、20年後が2023年ということです。

 平和に関する視点は、特に2022年のロシア軍ウクライナ侵攻によるロシアウクライナ戦争勃発により浮き彫りとなりました。驚いたのは、いや驚くには値しないことが現行憲法から垣間見えるところなのですが、日本国内には"ウクライナがロシアに降伏することで平和が訪れる"という視点が、知識人含めすくなからず散見されたことでした。

 防衛と憲法の問題は、ウクライナが遠い東欧の国家ということと多少は関係しているのかもしれませんが、これは日本が"そのとき"を迎えてしまった将来においても、同様の論理がある程度の支持を集めるのではないでしょうか。この視座についての国内の合意形成が、政治議論を避ける風潮があるとはいえ、憲法の問題に深く根ざしている。

 降伏すれば平和論、しかし視点を変えてみると不自然さが際だちます。韓国は日本に併合されたことで文化的にも幸せになりました、こう仮にソウルやプサンの街角で主張してみるならば、激しい反発を招くでしょう。同じく、中国は日本軍に抵抗したために大変な被害がでたので反省すべきだ、こういう論理を示せば、論理破綻が明白でしょう。

 しかし、日本では"降伏すれば被害はない"という視点は、ある程度の支持を集め、もっとも自衛隊の防衛力整備を継続的に進めてきた政権が選挙において民意を集めているために、全体としては"降伏すれば平和になるわけではない"という実情を認識しているのでしょうが、しかし、防衛政策や外交政策まで踏み込んだ国内議論は乏しいのです。

 憲法は国の方向性を示すものであるから、現状で違憲状態はない、こう主張することもできるでしょう。憲法の番人である最高裁判所が統治行為論として政治問題なので行政府の領域であり司法の領域ではない、という判決を持って現状を問題ではないと理解することもできるでしょう。しかし、それは憲法の単なる形骸化でないのか、とも。

 自衛隊は合憲、という主張は、しかし同時に自衛隊の活動領域が周辺情勢の緊迫化と、邦人経済活動のグローバル化に併せて世界規模に広がり、また日本の軍事力は第二次大戦中における世界での地位と比較すればどうしても非常に小さいものとなっているために防衛協力を進める必要があります。なにしろ核兵器さえもっていない国なのだから。

 集団的自衛権公使や予防外交の実施、もう一つの課題は自衛隊が合憲だとして、では自衛隊を含めた防衛政策もすべて合憲と言い切ることが可能なのか、という問題です。これも統治行為論で説明することはできるのですが。繰り返すとおり、手段としての平和の視座から予防外交を怠れば、結果的に回避努力を制限し戦争を迎えることともなります。

 改憲、しかしこれには大変な労力が必要となります。他方で選挙投票率を見れば反映されているように、国民は政治関心か若しくは政治参加のための時間が足りません。憲法を根本から替えることまでを一つの政権に付託できるのか、という問題も生じるのですが、新憲法をどのように制定権力を醸成するかさえ、難しい。ただ、問題認識を共有するところから初めてはどうかとも思うのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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