■専守防衛変容とその背景
観艦式の写真を紹介すると共にアーカイブを作成しタンカーと護衛艦や都市部と護衛艦という写真をまとめているのですが。

日本の安全保障体制、戦後レジームからの脱却を掲げた安倍総理大臣時代は、結局憲法改正まで到達する事はできませんでしたが、結局のところ戦後秩序というもの、東西冷戦と二つの超大国という関係性の中にあって唯一日本国憲法は担保されていたといえます。

アメリカの同盟国としての日本ですが、冷戦時代に在ってはフィンランドのような重武装中立という選択肢をとっていたならば、日本の中立性というものはもう少し変わったのかもしれない、フィンランドと日本は同じ枢軸国であったのですから。しかし実際は。

第二次世界大戦における決定的な敗戦から、重武装の武装中立国家を目指す、という選択肢はそもそも中た訳ですし、国土が広く人口の少ないフィンランドに対して、四方を海に囲まれる日本はエネルギー源一つとって中立政策を行える程自給自足の目処はありません。

エネルギー問題は、そもそも日本が第二次世界大戦において南方へ進駐した最大の要因でもある訳で、結局、殻に閉じこもるかたちでの重武装中立ではなく、シーレーンに依存する国際公序とともに生きてゆくほかなかった、という条件下での平和憲法が出来上がる。

転換期を迎えている事は理解しているのですが、一方で安全保障環境の転換期とともに、今の日本国憲法が成立つ前提を維持する為の努力が、見方を変えれば憲法に抵触する、政治の領域を超える段階まで進んでしまっているようで、解釈改憲の範疇を超えていないか。

2012年の観艦式、これこそ平和国家の専守防衛を経済大国が具現化した姿、といいえたのですが。防衛力を2012年の水準、これは、くらま現役に戻せとかF-4ファントムを再生しろというわけではなく、防衛力と防衛力整備指針の内容そのものが変容していまして。

反撃能力のような射程の長い装備の大量整備とか、MLRSを全廃するという政治決定や戦闘ヘリコプターを廃止するという指針が示され、専守防衛型の防衛力をそのまま廃止して、そのリソースで反撃能力を整備しようとする今の指針は、大丈夫なのかと危惧するのです。

2012年と2023年では周辺情勢の緊迫化も進んでいるために、装備の種類ではなく数で、と但し書きをつける必要はあるのですけれども、まず、装備の数を2012年の段階、対戦車ヘリコプター、多用途ヘリコプターも戦車も火砲も戻してみてはどうか、と思うのですね。

専守防衛の装備が充分あって、そこで初めて有事に際して、限定戦争を仕掛けられた場合には専守防衛の防衛力を駆使して撃退しつつ、相手が全面戦争に打って出ようとする状況を反撃能力という抑止力が、牽制する形で相手が全面戦争という選択肢を封じる、という。

前よりは潜水艦は多くなった、けれども哨戒機も掃海艇も削減された、そして全体として余裕がなくなっている。専守防衛が事足りて初めて反撃能力を考えるべきであり、そして反撃能力ではなく元々的基地攻撃能力という呼称を用いていたのだから、なにかちがう。

もっぱら相手本土を、壊滅的打撃に用いる装備ではないのだけれども保有するならば、所謂防衛戦闘における逆襲部隊と混同させるような名称を用いるべきではないのでは、とも思うのです。政治は理解しているのか、国民は理解しているのか、金額だけ見ていないか。

戦車凄いとか護衛艦かっこいい、という段階の関心事でも、長く見ていますと防衛力というものの在り方はおぼろげでも見えてくるものですので、予算が増える、という話を聞きますと、どうしてもこう考えるのです。関心を持てば調べる公開情報はいくらでもある。

反撃能力、一方で将来の台湾海峡有事における日本の立ち位置、中立という事はみじんも考えることができない実情に立ち至れば、相応の覚悟というものが求められます。中立が難しいのは第一に在日米軍基地が攻撃されるということ、特に日米共用基地が、です。

佐世保基地や鹿屋航空基地に新田原基地と共用施設が多いために確実に自衛隊も攻撃されるためです、不随被害も出るでしょうし、沖縄本島などはかなり基地周辺の着弾だけではなく、浮流機雷の漂着による船舶被害や人的被害を見込まなければならないかもしれない。

そして、台湾海峡有事においてそもそも警戒しなければならないのは、東南アジアと日本を結ぶ海上交通路を台湾の喪失は、太平洋戦争における沖縄の失陥と同じ結果をもたらし、シーレーンという視点で完全に孤立してしまうのではないか、という危惧があります。

日本国家は最早以前のような自由主義陣営として、つまり個人の自由と価値観を個人の尊厳により決定するという立ち位置で居続けることは出来なくなる、こうした認識が必要です。それもありではないか、と思われる方は、そういった生活に慣れていないからです。

考えてみてください、あなたのスマートフォンのなかみを検閲されるのを手始めに、自宅も公共の場所であり、令状のない創作、自宅とは国家のものであり個人の行動はすべて国家が統制する、そしてどう思おうが幸せであるとして政治を支持しなければならない。

大陸の手法では、それができない人間を不適格者として再教育させる、再教育の施設は日本の今の刑務所とよく似ているが、自発的に入っているといい、どのようなことを思おうと地震の意志で入り満足しているという言葉しか外部には許されない社会となる構図だ。

COVID-19の中国における対策を見ていますと、個人の尊厳に対して政治が無制限の公共の福祉のためのあらゆる措置を付託された国家権力が暴走した場合の不自然さは見えています、いや、逆にこれがあるからこそ、個人の尊厳、財産などではなく生命が問われる。

台湾などは安全保障と防衛への危機感をあらわにしている。結果的に、東南アジアとのシーレーンを遮断され、太平洋への権威主義への防波堤となっていた台湾が基地となれば、太平洋上での中東からの石油シーレーンさえも脅かされることとなる、ということです。

つまり中立でいるには、核兵器でも保有して本当の意味で中国の軍事圧力にモノを言える国となるのか、軍事圧力とは核攻撃の恫喝も含めてですよ、もしくは覚悟を決めてアメリカとともに台湾有事を起こさせないための圧力、実力で戦争をさせない覚悟が必要という。

権威主義国家の政権はある日突然倒れる、これは民主主義国家の政権が選挙により後退するものとは正反対のものなのですが、これ故に例えば実際に戦争というものが始まった場合、権威主義国家は簡単に引く事ができません、それはロシアウクライナ戦争を見る通り。

覚悟を以て戦争の始まりを防ぐ事が出来れば、始らない戦争で緊張関係を維持することは冷戦の様で厳しい国際関係が続く事を意味しますが、戦争が始まってしまい出口戦略を権威主義国家へ用意する事よりも遥かに容易いといいますか、被害者がすくなくなります。

歴史を見ますと回避できる危機を譲歩という形で丸く収めようとして結果的に大戦争となったのが第二次世界大戦です、これを繰り返してはなりませんが回避できる危機を力押しで封じ込めようとして起ったのが第一次世界大戦、こちらも繰り返してはならないのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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観艦式の写真を紹介すると共にアーカイブを作成しタンカーと護衛艦や都市部と護衛艦という写真をまとめているのですが。

日本の安全保障体制、戦後レジームからの脱却を掲げた安倍総理大臣時代は、結局憲法改正まで到達する事はできませんでしたが、結局のところ戦後秩序というもの、東西冷戦と二つの超大国という関係性の中にあって唯一日本国憲法は担保されていたといえます。

アメリカの同盟国としての日本ですが、冷戦時代に在ってはフィンランドのような重武装中立という選択肢をとっていたならば、日本の中立性というものはもう少し変わったのかもしれない、フィンランドと日本は同じ枢軸国であったのですから。しかし実際は。

第二次世界大戦における決定的な敗戦から、重武装の武装中立国家を目指す、という選択肢はそもそも中た訳ですし、国土が広く人口の少ないフィンランドに対して、四方を海に囲まれる日本はエネルギー源一つとって中立政策を行える程自給自足の目処はありません。

エネルギー問題は、そもそも日本が第二次世界大戦において南方へ進駐した最大の要因でもある訳で、結局、殻に閉じこもるかたちでの重武装中立ではなく、シーレーンに依存する国際公序とともに生きてゆくほかなかった、という条件下での平和憲法が出来上がる。

転換期を迎えている事は理解しているのですが、一方で安全保障環境の転換期とともに、今の日本国憲法が成立つ前提を維持する為の努力が、見方を変えれば憲法に抵触する、政治の領域を超える段階まで進んでしまっているようで、解釈改憲の範疇を超えていないか。

2012年の観艦式、これこそ平和国家の専守防衛を経済大国が具現化した姿、といいえたのですが。防衛力を2012年の水準、これは、くらま現役に戻せとかF-4ファントムを再生しろというわけではなく、防衛力と防衛力整備指針の内容そのものが変容していまして。

反撃能力のような射程の長い装備の大量整備とか、MLRSを全廃するという政治決定や戦闘ヘリコプターを廃止するという指針が示され、専守防衛型の防衛力をそのまま廃止して、そのリソースで反撃能力を整備しようとする今の指針は、大丈夫なのかと危惧するのです。

2012年と2023年では周辺情勢の緊迫化も進んでいるために、装備の種類ではなく数で、と但し書きをつける必要はあるのですけれども、まず、装備の数を2012年の段階、対戦車ヘリコプター、多用途ヘリコプターも戦車も火砲も戻してみてはどうか、と思うのですね。

専守防衛の装備が充分あって、そこで初めて有事に際して、限定戦争を仕掛けられた場合には専守防衛の防衛力を駆使して撃退しつつ、相手が全面戦争に打って出ようとする状況を反撃能力という抑止力が、牽制する形で相手が全面戦争という選択肢を封じる、という。

前よりは潜水艦は多くなった、けれども哨戒機も掃海艇も削減された、そして全体として余裕がなくなっている。専守防衛が事足りて初めて反撃能力を考えるべきであり、そして反撃能力ではなく元々的基地攻撃能力という呼称を用いていたのだから、なにかちがう。

もっぱら相手本土を、壊滅的打撃に用いる装備ではないのだけれども保有するならば、所謂防衛戦闘における逆襲部隊と混同させるような名称を用いるべきではないのでは、とも思うのです。政治は理解しているのか、国民は理解しているのか、金額だけ見ていないか。

戦車凄いとか護衛艦かっこいい、という段階の関心事でも、長く見ていますと防衛力というものの在り方はおぼろげでも見えてくるものですので、予算が増える、という話を聞きますと、どうしてもこう考えるのです。関心を持てば調べる公開情報はいくらでもある。

反撃能力、一方で将来の台湾海峡有事における日本の立ち位置、中立という事はみじんも考えることができない実情に立ち至れば、相応の覚悟というものが求められます。中立が難しいのは第一に在日米軍基地が攻撃されるということ、特に日米共用基地が、です。

佐世保基地や鹿屋航空基地に新田原基地と共用施設が多いために確実に自衛隊も攻撃されるためです、不随被害も出るでしょうし、沖縄本島などはかなり基地周辺の着弾だけではなく、浮流機雷の漂着による船舶被害や人的被害を見込まなければならないかもしれない。

そして、台湾海峡有事においてそもそも警戒しなければならないのは、東南アジアと日本を結ぶ海上交通路を台湾の喪失は、太平洋戦争における沖縄の失陥と同じ結果をもたらし、シーレーンという視点で完全に孤立してしまうのではないか、という危惧があります。

日本国家は最早以前のような自由主義陣営として、つまり個人の自由と価値観を個人の尊厳により決定するという立ち位置で居続けることは出来なくなる、こうした認識が必要です。それもありではないか、と思われる方は、そういった生活に慣れていないからです。

考えてみてください、あなたのスマートフォンのなかみを検閲されるのを手始めに、自宅も公共の場所であり、令状のない創作、自宅とは国家のものであり個人の行動はすべて国家が統制する、そしてどう思おうが幸せであるとして政治を支持しなければならない。

大陸の手法では、それができない人間を不適格者として再教育させる、再教育の施設は日本の今の刑務所とよく似ているが、自発的に入っているといい、どのようなことを思おうと地震の意志で入り満足しているという言葉しか外部には許されない社会となる構図だ。

COVID-19の中国における対策を見ていますと、個人の尊厳に対して政治が無制限の公共の福祉のためのあらゆる措置を付託された国家権力が暴走した場合の不自然さは見えています、いや、逆にこれがあるからこそ、個人の尊厳、財産などではなく生命が問われる。

台湾などは安全保障と防衛への危機感をあらわにしている。結果的に、東南アジアとのシーレーンを遮断され、太平洋への権威主義への防波堤となっていた台湾が基地となれば、太平洋上での中東からの石油シーレーンさえも脅かされることとなる、ということです。

つまり中立でいるには、核兵器でも保有して本当の意味で中国の軍事圧力にモノを言える国となるのか、軍事圧力とは核攻撃の恫喝も含めてですよ、もしくは覚悟を決めてアメリカとともに台湾有事を起こさせないための圧力、実力で戦争をさせない覚悟が必要という。

権威主義国家の政権はある日突然倒れる、これは民主主義国家の政権が選挙により後退するものとは正反対のものなのですが、これ故に例えば実際に戦争というものが始まった場合、権威主義国家は簡単に引く事ができません、それはロシアウクライナ戦争を見る通り。

覚悟を以て戦争の始まりを防ぐ事が出来れば、始らない戦争で緊張関係を維持することは冷戦の様で厳しい国際関係が続く事を意味しますが、戦争が始まってしまい出口戦略を権威主義国家へ用意する事よりも遥かに容易いといいますか、被害者がすくなくなります。

歴史を見ますと回避できる危機を譲歩という形で丸く収めようとして結果的に大戦争となったのが第二次世界大戦です、これを繰り返してはなりませんが回避できる危機を力押しで封じ込めようとして起ったのが第一次世界大戦、こちらも繰り返してはならないのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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