北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】法金剛院,毎月第三水曜日のみ開かれる鑑真が日本につたえた律宗寺院は関西花の寺二十五霊場

2023-05-10 20:22:44 | 写真
■さくらの法金剛院
 法金剛院が開いているではないかと驚いたのは何も調べず散策し興味赴くままに拝観参拝という当方には在れ今日はその日だったかなと困惑したほどです。

 法金剛院。花園駅を降りましてさて昼食はどうしようかと思いましたところに多くの老若男女、いや高齢者の方が圧倒的に多かったか、法金剛院の方へ向かってゆきます。へえっ開けているのかあ、実に新鮮な驚きがありまして、昼食の予定は取りやめるとする。

 律宗寺院である法金剛院、かの鑑真が日本につたえた、戒律の研究と実践を宗旨とする宗派で、奈良の唐招提寺を総本山とし、五条の壬生寺を大本山としています。ちょうど桜咲く季節、いや偶然といいますか人の流れには意味があるものでちょっと嬉しいですね。

 右京区花園扇野町、こう書くと何処やらわかりにくくなるのですが、京都駅から東舞鶴駅へ向かう山陰線、正確には福知山駅方面へ向かう路線ですが、嵐山の峰々が近くなりますもののまだ街中を高架路線が走るあたりに花園駅があります、遠くに仁和寺も見える。

 COVID-19の時代、開けていることに驚きましたのはここ法金剛院は、最も厳格なコロナ対策を行っていたという印象があるためです、いや完全に山門を閉ざしてしまった寺院もありますので、ここと比べれば限定的であっても法金剛院は開いている寺院なのだが。

 第三水曜日のみの公開、法金剛院は一か月間に一日のみの公開となっていまして、いや第二木曜日だったか、いや金曜日だったような気もするなあ、と調べていても、時間の空いているときに山門が開いていない、という状況で二年ほど眺めるだけの寺院でした。

 関西花の寺二十五霊場、さて開いていないならば入らなければよいではないかとおもわれるかもしれません、もちろんわたしだって閉ざされている山門を超えたりはしないのですが、ここ法金剛院は関西花の寺二十五霊場の一つとなっていまして、是非拝観したい。

 金剛院という、舞鶴の美しい三重塔が印象的な寺院は普通に山門を開いているのですから、とは思うのですが。なるほど感染対策に慎重にならなければならないほど、それほど広くはない寺院が駅前、密集状態の三密を懸念するのはある意味で納得は出来るのですね。

 双ヶ丘という、昔は普通に入ることができたようにも思う小高い丘といいますか小山が山陰線に迫ってくるのですが、法金剛院はその手前の、いや双ヶ丘も寺域に含まれるのですけれども、文字通り駅前にあります寺院です、前の通りは丸太町通、妙心寺が近い。

 丸太町通り沿いの寺院、しかし創建は天長7年こと西暦830年と平安遷都から間もないころの歴史ある寺院で、清原夏野という、桓武天皇時代の皇族であり右大臣を務めた公卿の別荘が置かれていた場所です。確かに山陰線の降下から見る山谷の風景は素晴らしい。

 双岡大臣、双ヶ丘に山荘を構えて優美な生活を楽しんだことから清原夏野はこう呼ばれたのですが、池泉式庭園のかたちをとります法金剛院は双岡大臣さんの山荘時代から木々と池泉の庭園が知られたようで、淳和天皇や嵯峨上皇も行幸しているほどの庭園という。

 嵯峨上皇も行幸した庭園は、清原夏野の没後にそのまま山谷に還すのはと惜しむ声があったのでしょう、双丘寺という寺となりまして、これが千年を超える法金剛院の始まり。文徳天皇の発願により天安2年こと西暦858年には伽藍が整備され定額寺となりました。

 阿弥陀如来をご本尊として奉じています。木造阿弥陀如来坐像は平安時代後期の彫像といい、2020年に国宝指定を受けることとなりました。仏師院覚の作ということですが、坐像ながら2mを超える大きな仏像で、鉄筋コンクリートの仏殿に安置、拝観ができます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】水火天満宮,醍醐天皇勅願の社殿は日本最初天満宮-堀川通沿道を静かに飾る春色の枝垂桜

2023-05-10 20:00:24 | 写真
■静かに咲く枝垂桜を見上げ
 青空というものは色々なものを鮮やかに引き立てるものですが目の前に在るのが咲き誇る枝垂桜となりますとまた格別ではないか。

 水火天満宮、此処は枝垂桜が美しい。上京区堀川通上御霊前上ル扇町の堀川通は天神公園前バス停にほぼ隣接している社殿です。水火の天神さんと親しまれている公園に隣接しました神社、主祭神には菅原道真を祀りまして、菅公の御髭が奉納されている神社という。

 枝垂桜とともに、ほのかな甘みを暖かさと共に愉しめます飴湯でもこう一杯湯呑みで欲しいものだなあと少し思うのですが手元には御茶があるので良しとしましょう。この桜の季節には落ち着いて観桜できるよう整備されていて、丁度お天気も良く寒さも和らいでいる。

 上京区、若いちからは凄いなあと実感するのは、この数年間に上京区には観光地は無いけれども歴史は溢れている、ということで学生と町内会が力を合わせて上京区の魅力は深夜ライトアップなども熱心に行っている、嵐山や東山で花灯路が終わったのとは大違いです。

 醍醐天皇の勅願にて延長元年こと西暦923年創建されたという神社の歴史は、かの昌泰4年即ち西暦901年に起きました昌泰の変、つまり菅原道真の大宰府左遷から22年後の事となります。その創建も延暦寺は尊意僧正へ勅命を以て執り行うという大規模なものでした。

 日本最初の天満宮とも言われまして、かの北野天満宮よりも歴史は連綿と続いています。しかしその歴史の入り口、創建からわずか七年後、延長8年こと西暦930年に有名な清涼殿落雷事件が起きる事となります。醍醐天皇の心痛は大きく、三カ月後に崩御してしまう。

 天満宮は、しかし残りました。菅公は学問の神様となり、孝学堂という寺子屋が江戸時代にはここ水火天満宮の宮司自ら営まれまして、全国高校生駅伝がこの直ぐ北側を走る様子も、菅公は見守られているのでしょうか。なお創建当初は上京区上天神町あたりに在った。

 上御霊前上ル扇町、当地に遷座したのは意外と新しく昭和時代は1952年、堀川通りの拡幅工事の際に遷座されたとのこと。戦災に在った訳でもないのに安直に移動してしまうのか、と少し不思議に思うのですが戦後、二条城前の堀川通は米軍の簡易飛行場であったという歴史も。

 香る梅花ではなく枝垂桜なのか、天満宮と云えば梅と云う印象がありますのでふとそんな事も思うのですが、しかし存在感ある枝垂桜と透けて見上げる花々に青空という情景に感じ入ってみますと、春が来たのだなあと実感します。堀川通の多い交通量も適度な音響だ。

 桜花というものは不思議な空間を醸成します、それは実際に歩み進めれば毎年でも一年前の記憶を呼び覚ますようにこうであったねえと思い返すのですが、それでも不思議というものは毎年のように新鮮さを失いません。まず大路に面していても何故か静かなのですね。

 不思議な静寂、勝手に理解しているのですが、恐らく満々と広がる花々が左右前後上下、散りました花々の花弁さえも音を吸収しているのではないでしょうか、自動車の音も聞こえてこないのです。もっとも所謂花見の宴の場となりますと別の雑音が加わるのだけれど。

 妙醸す音、これは梅花でも当てはまるのですが無数の蜜蜂の羽音で満ちているのですね。蜂と云いますと刺してくる印象があるのかもしれませんが、それは巣を攻撃された際の行動でして、満開花々を巡る蜜蜂はまさに書き入れ時、見上げるわたしたちには構いません。

 梅花と桜花は、学術的には云々と比較するまえに、梅花の場合は独特の果実香が漂うところが、特に花梨のような林檎のような、風情がありまして、桜花か梅花か、休みの中心をどの季節にとり花見を嗜むのかというところで、また価値観が分れるのかもしれませんね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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スーダン政変-アメリカ政府の自国民放置に批判,特殊部隊による大使館員だけの退避とESG遠征打撃群の不在

2023-05-10 07:01:41 | 国際・政治
■臨時情報-スーダン情勢
 自国民救出はグレナダ侵攻やパナマ侵攻などアメリカの得意とする事と考えていたのですが30年以上前の認識なのでしょうか。

 スーダン政変について、アメリカ国内ではやはり、アメリカ市民救出に政府が対応しなかった事について大きな批判が集まっているようです。これはサウジアラビアのいち早い立ち上がりと共に遠い欧州からもドイツやフランスなどが空軍機を次々と送り、遥か10000km先から日本も航空自衛隊輸送機を派遣し自国民を救出した為です。

 大使館員引き上げは早かった、アメリカ政府はスーダン国内の大使館員を陸軍特殊部隊と空軍特殊部隊の協同によりいち早く退避させました、この手際の良さをバイデン大統領は絶賛したのですが、このままアメリカ市民救出作戦に移行するのではなく、文字通り引き上げてしまった、領事業務をエジプト国内に移し自国民へエジプト退避を勧告しました。

 ESG遠征打撃群が近傍に居なかった。今回問題視されたのはこうした状況に際してアメリカが投入する作戦部隊として、ESG遠征打撃群というワスプ級かアメリカ級強襲揚陸艦を中心にドック型揚陸艦と輸送揚陸艦の3隻、それにミサイル巡洋艦とミサイル駆逐艦の3隻からなる水陸両用作戦部隊が展開していなかった為、という事情があったようです。

 MEU海兵遠征群、このESGには海兵大隊を中心とした大隊戦闘群に海兵航空部隊と兵站部隊を連合させた即応部隊が乗艦していて、M-1戦車さえ装備している。例えばスーダン国内に安全圏を構築する事や、港湾付近に展開して退避する車列を誘導する、CH-53重輸送ヘリコプターとMV-22可動翼機により空港まで救出に向かう、という選択肢もあります。

 しかし、近傍にESGが居ないのでは対応できません。海兵危機対応特別任務部隊という、もう少し小規模な部隊が有りますが、この部隊はMV-22を4機程度とKC-130空中給油輸送機を装備するだけであり1万6000名というアメリカ市民を救出するには現実的に不可能で、C-17輸送機を派遣した場合でもアフガニスタンのような状況を危惧したのでしょうか。

 中国重視、しかしもう一つ問題視されているのは、現在アメリカは海兵隊を緊急展開部隊からミサイル中心の島嶼部防衛部隊へ転換するフォースデザイン2030を推進中です。これは戦車全廃などかなり踏み込んだものなのですが、これにより海兵隊の即応能力自体が低下しているのではないか、現実の危機に対応できていない、という指摘もあるようです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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