北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】仁和寺-御室桜,歴史舞台つつむはやかった京都観桜季節の大団円を飾る遅咲き桜の満開

2023-05-17 20:23:15 | 写真
■仁和寺-中世は政治舞台
 これが四月初旬の写真というから驚きなのですが京都の桜特集は今回の仁和寺が大団円となります。

 仁和寺、ここは衣笠山を見上げる京都市右京区御室大内、山手に、しかし意外なほどの規模を以て広がる寺院となっています。この仁和寺とともに衣笠山の山麓一帯は、きぬかけの路という歴史文化地区を形成していまして、東へ向かえば金閣寺へといたるのです。

 仁和寺は、京都の桜尾大団円を飾る委員といえるかもしれません、それほどに遅咲きの桜でして、周りのソメイヨシノが青葉となっている時節にそろそろかと訪れますと三分咲きであったりする、遠目には散っているように見えてまだ咲いていないおもはゆさがある。

 衣笠山と仁和寺、そう仁和寺です。随分前の話ですので恐縮ですが、山陰線の高架を列車にて進む際、ふと壮大な寺院が電車の車内からも見えたものでして、いや規模として妙心寺、山陰線の隣接する妙心寺の方が大きいはずなのですが、驚かされたことがありました。

 妙心寺は高架から近く、しかし仁和寺はやや山手と標高のある立地に鎮座していますし、そして伽藍も五重塔含めて大きいものですから、周りに比較する建物もなく、一角が広く寺院の寺域となっていることもあり、なるほど大きく見えたのだなあ、と。実際大きい。

 真言宗御室派の総本山、仁和寺は元々は天台宗寺院でしたが、その草創期に真言宗寺院となり今日に至ります。しかしその歴史は、といいますと京都への平安遷都から百年を経た頃という、それはそれは長い歴史を連綿と受け継いでいる、日本史の源流にちかいところ。

 古都京都の文化財の構成資産として世界遺産に登録されている寺院の一つなのですが、しかし桜の季節と紅葉の季節を除けば拝観料は庭園を拝観する際のみでして、数多時代劇で有名な五重塔の真下まで毎日通う事さえできるという、実は開かれた寺院という。

 光孝天皇の勅願により創建されることとなりましたお寺、時は仁和2年こと西暦886年、しかし光孝天皇は寺院完成を見ることなく翌年崩御し、宇多天皇によって仁和4年こと西暦888年に落成、今日に至る連綿たる歴史を紡いでいる京都の寺院の一つなのです。

 御室桜、とともにさて2023年桜花の季節を最後に巡る事としましたのは、一寸別のところで調べている研究対象に若干、この仁和寺というところが出てきまして、ここで気分転換とするならば行く先には仁和寺でゆったりし、きぬかけの路でパフェだろう、となった。

 護憲、という言葉が京都では良く響くところですが、人口100万規模の都市に対する大学の数というものが影響しているのか、仏教思想と平和というものが偶然にしても現行憲法と重なる為かというのは難しいところですが、四条で河原町で京都駅前で良く耳にする。

 憲法が有るからこそ護憲という概念が生まれるのだけれども、しかし民権という概念が今の憲法の原型である大日本帝国憲法制定の1889年という時代、その前にはどのように扱われていたのだろう、そもそも武家諸法度以外の全国的な法体系とは、と考えてしまう。

 仁和寺に来て憲法かよ、と思われるかもしれませんが、まあ憲法そのものには関係ない所ではあるものの、Constitutionという概念、和訳すると憲法と構造にしかならないこの概念が徐々に形成される一翼を担った寺院の一つに仁和寺が含まれることもまた事実です。

 Constitutionの概念、人権と共に統治機構の在り方を示しているものが憲法なのですが、多分に日本の明治憲法制定過程は文明国の末席でも宵から到達する為の理想論とともに、しかし国文学と史学とを織り交ぜた日本独自の価値観を盛り込もうとしたことは当然だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】法金剛院,天皇の親しんだ庭園は右大臣清原夏野と中宮待賢門院藤原璋子の紡いだ浄土式庭園

2023-05-17 20:00:36 | 写真
■千年の庭園をめぐる
 千年を超える寺院というものはそれだけ表記される歴史以上に情緒というものをたたえているものなのです。

 法金剛院は平安遷都の頃の右大臣清原夏野邸宅、庭園は水木に溢れ天皇が幾度も行幸した邸宅をそのまま卿の没後に寺院としたことが起点であることは記しました。しかし当時の仏教もまた揺動期であり、宗派と信仰の寄る辺は変革がなければ必衰の時代でした。

 待賢門院藤原璋子、時代は平安朝末期の11世紀となりますが、法金剛院は歴史の彼方へ掠れ行こうと黄昏時を迎えつつある中、恰も水平線に陽炎の先の朝日のように中興を担う転機が訪れようとしていました、その人こそが時の中宮で皇后の待賢門院藤原璋子さん。

 鳥羽天皇皇后であらせられた待賢門院藤原璋子、NHK大河ドラマ新・平家物語、少し古い作品ですが久我美子さんが演じていまして再放送世代なのですが、美しかった。あの平田昭彦さんと結ばれた高貴な女優さん。実父は藤原公実ですが幼い頃に旅立たれている。

 白河法皇が天皇の時代に養父となりまして藤原璋子を育て、後に鳥羽天皇の皇后として迎えられた。白河天皇、そう白河天皇という名は日本の転換期の一人という、そして白河天皇は院政をはじめ白河法皇と上られましたが、同時代に平清盛や源頼朝が歩んでいた。

 平清盛や源頼朝、武家政治の時代の萌芽、というこちらのほうが時代の転換点でもあるよう思えるのですが、白河法皇の時代は日本における多極化の時代であり、一つはもちろん時代が示す武家政治が関連しているのですけれどももう一つは寺社勢力の再興という。

 石清水八幡宮、白河法皇が保安4年こと西暦1123年に石清水八幡宮へ、王法は如来の付属により国王興隆す、という告文を掲げていまして、つまり日本版の王権神授説のような、仏が国権を天皇に導いているという告文を示し、寺社勢力の取り込みを図っています。

 熊野詣や春日詣も盛んに行い、片や法勝寺や尊勝寺などの造営を盛んに行っています。院政は、天皇を守るためという題目ではありますが、例えば当時の熊野詣ではいまのように特急くろしお号で日帰りという訳にはいかず、二か月程度を要する一大行事でした。

 白河法皇は寺社勢力の取り込みを行い皇室の安定化を図るには、天皇へ権力を集中した場合には二か月間首都を空ける訳にはいかず、いわばこうした行政上の要求が、院政、という見方によっては二重権力時代を醸成したともいえる。待賢門はそんな時代のひと。

 天安寺、これまで法金剛院法金剛院と紹介していましたが、当時の山号は天安寺であり、これは9世紀中ごろに時の文徳天皇が定めたもの、待賢門さんは落飾に際しこのお寺に入られ、その際に名を今の法金剛院と改められたという、そして荒廃した寺院を再興へ。

 西御堂と九体阿弥陀堂、そして待賢門さんの御所を整備し、その上で浄土式庭園を整備した。庭園にある青女ノ滝はこの時に林賢というひとの技術で整備されたといい、人工滝としては日本最古のものであるとともに、いまも清冽な水の流れを奏で湛えています。

 浄土式庭園は、池泉回遊式庭園であるとともに、確かに周りに山陰線と丸太町通りは舗装されていますが、法金剛院の立地はいまと昔、そうかわらないという。待賢門さんは絶世の美女とされ、崇徳天皇や後白河天皇の実母である関係から当院へは天皇行幸も多い。

 円覚十万上人、さて現代にいたる法金剛院の歴史ですが弘安2年こと1279年に律宗寺院と改めまして開かれた寺院となり多くの人々共に今も歴史を紡いでいます。そして美しい桜と青女ノ滝の奥に花園西陵、法金剛院の直ぐ北に待賢門さんはいまも眠っています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢:イギリス政府のF-16ウクライナ配備計画とロシア領内セシャ空軍基地への無人機反撃

2023-05-17 07:00:15 | 防衛・安全保障
■臨時情報-ウクライナ情勢
 F-35戦闘機のNATO配備とともに置換えの対象となっているのがF-16戦闘機なのですが。

 イギリス政府は5月15日、ウクライナに対するF-16戦闘機供与をパートナー国との間で検討していることを公式発表しました。具体的にはイギリスが今夏にもウクライナ空軍パイロットに対してF-16戦闘機の訓練支援を開始するとしています。ただ、イギリス空軍にはF-16戦闘機は配備されておらず、パートナー国の詳細は明らかにされていない。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は日本時間5月15日にドイツを電撃訪問し、ショルツ首相と首脳会談を実施、戦車などの支援を受けるとともに別の装備についても議論中と共同声明にて発言しました、同じ15日にゼレンスキー大統領はフランスに到着しマクロン大統領と首脳会談に臨み、改めてウクライナ空軍への戦闘機供与を主題としました。

 ロシア軍の侵攻を圧しとどめるウクライナ軍に対して最大の課題は空軍力の不足で、特にNATO各国の装備は航空優勢確保を念頭とした装備が多く、一方でロシア軍の空対地攻撃は低調ですが、ロシアは空軍力を温存しているため。他方、各国が訓練が必要な戦闘機供与に及び腰である背景は、これほど戦争が長期化すると思わなかった点もあるでしょう。
■セシャ空軍基地
 キエフを攻撃していた無人機基地が逆に無人機で逆襲されました。

 ウクライナ軍がロシア領内のセシャ空軍基地に対して5月3日、大規模な無人機攻撃を加えたと、戦況を解析するイギリス国防省が発表しました。セシャ空軍基地はウクライナ国境から150㎞ほど内陸の輸送機部隊基地であり、VTAロシア軍事空輸司令部の重要拠点であるとともに、キエフを攻撃するイラン製無人機の基地であると分析されています。

 ウクライナ軍の攻撃では少なくともAn-124輸送機1機が破壊されたとのこと。この輸送機はイランからの無人機輸入に重要な役割を担うとともに、製造はウクライナのアントノフが冷戦時代に製造、ただ整備はロシアのウリヤノフスクにおいて行われている。内陸部の基地攻撃は攻撃一辺倒のロシア軍に本土防衛の重要性を突き付けることとなるでしょう。

 一方、5月13日に相次いで発生したロシア軍機撃墜事案は、今のところ原因が不明で、少なくともヘリコプターと戦闘機の合計4機が撃墜されていますが、ウクライナ軍防空砲兵部隊ではなく、ロシア軍のミサイルによる誤射の可能性が出てきました。これは無人機攻撃を受け、ロシア軍防空砲兵部隊が過度に緊張している証左といえるのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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