北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】梅宮大社-観梅,京都と核の繋がり-伊58潜水艦インディアナポリス撃沈と比叡山の観測所

2024-03-06 20:24:09 | 写真
■酒と核と梅花の神社
 国際報道の現実に目を向ければ背けたくなる羅列ばかりが並びます故に情報の解釈咀嚼はこうした静かな場所にて平穏と共に一幕置きたい。

 梅宮大社、この名前を聞いてどういった連想を広げるでしょうか。最近は難しいところで現代は多様性の時代というのですが、信仰と崇敬の多様化を感じる際にここ梅宮大社ほどのところというのはないのかもしれません、なにせ潜水艦さえ浮かぶのだから。

 潜水艦なのだから浮かぶのは当たり前だろう、と思われるかもしれませんが歴史を深く知る方にとり、梅宮大社という名前を聞きますと橋本以行艦長が退官後に宮司を務められた神社、と思い浮かべられるのかもしれません。いや平成中期までご存命でした。

 伊58艦長として重巡洋艦インディアナポリスを撃沈した艦長さんです。巡洋艦を撃沈して人命を奪うなんて、と京都にお住まいのサヨクさんやシンポ的なチチキジンさんは思われるかもしれませんが、この巡洋艦が原爆を輸送していたと聞きますとどうでしょう。

 インディアナポリスを撃沈、テニアン島へ広島原爆を輸送したアメリカ海軍の巡洋艦ですが、その帰路、機密保護のために護衛を伴わず航行していた為に伊58に捕捉され、魚雷攻撃を受け撃沈されました。撃沈が数日早ければ、広島原爆投下は無かったともいう。

 京都は原爆攻撃の標的であった。別にインディアナリス撃沈が京都核攻撃からの回避に繋がった訳ではないのですが、核兵器と京都、というつながりを見せますと、伊58潜水艦の行動というものは、いろいろと考えさせられるものです。京都原爆攻撃は実際に。

 荒勝文策博士、日本原子核物理学の始祖的存在で1941年に京都帝国大学時代、帝国海軍より核分裂兵器の開発を依頼されています、同時期に理研の仁科芳雄博士は陸軍から同様の研究を依頼されていて、いや一本化しろよ、とは思うものの研究はあった。

 比叡山の山頂に観測所をつくった、荒勝文策博士は広島核攻撃を受け、調査団として8月10日に広島入り、当時爆発物の正体は不明でしたが核分裂兵器の完成を確信していた博士は土壌の放射線測定を実施し、ベータ線を検出、次の攻撃地を考えました。

 京都が攻撃目標として適地ではないのか、あらゆる地形と共に核攻撃をするうえでの必要な定義に威力を確認するためにほとんど空襲が行われていない地域として京都が攻撃されるであろうとの予測を立て、その様子を徹底的に観測研究する施設を比叡山に置く。

 新潟などでは次の攻撃目標と考えた市長の独断で避難命令が出され、駆逐艦響が治安維持と防空へ舞鶴から緊急出動する騒ぎがありましたが、荒勝文策博士には核分裂への興味の方が、つまり学究の価値が、市民の安全などよりも優先度が高かったといえる。

 湯川秀樹博士は当時荒勝文策博士の助手であり、反核運動への参画などで知られている湯川博士の倫理観には当時の荒勝文策博士への反発が含まれていたのかもしれません。実際当時の京都は鉄道輸送の一大拠点、本土決戦前の大規模攻撃は予定されていました。

 核兵器と京都、という簡単には扱えない命題ではあるのですが、核兵器と広島にはある程度のかかわりを持つ宮司さんの社殿、ということでどうしても印象深くなってしまうのです。もっとも、インディアナポリスは艦長の名誉回復というもう一つの話題もあるが。

 香りたかい梅花とともに春の訪れを思い出しつつ、しかし報道に目を向ければロシアが再度、何度目か、NATOを核兵器で脅す報道が二月にも続いています。複雑な歴史をすべて織り込めたような春の景色と歴史の社殿と神苑を、こう散策した訳なのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】梅宮大社-観梅,奈良時代橘氏氏神の社は檀林皇后橘嘉智子の手で京都へ遷座した歴史ある社殿

2024-03-06 20:00:22 | 写真
■梅花咲く酒造の神社
 熱い冬とさえ言われた暖冬を越えて立春の先に来ましたのは寒い春でしたがそんな最中に梅宮大社さんへ散策に行った話題をひとつ。

 四条通といえば京都の中心部を通るところではあるのですが、その四条通は延々と嵐山の方まで伸びています、その先に至るのは松尾大社という、阪急嵐山線の松尾大社前駅の隣なのですが、四条通の中心部は阪急河原町駅などがあり、ちょっと不思議に思う。

 梅宮大社は、そう四条通を延々と西へ進みまして、しかし桂川の手前あたりに鎮座している社殿です。もちろんその歴史は阪急は勿論鉄道技術さえ完成する遥か前の交通手段の主流が徒歩か牛車であった時代までさかのぼる連綿とした歴史を湛えています。

 右京区梅津フケノ川町、創建は奈良時代とされているのですが社殿ではなく歴史研究の視座からは平安時代初期とも伝えられている、すくなくとも千数百年の歴史を有します社殿が、四条通から鳥居をのぞかせていまして、その北に向けて静謐な神域を湛える。

 梅花の季節、というものですからその名を冠しました梅宮大社へは歩み進むところです。いや若干早かったか、と思うのは嵐山と保津川の冷涼な空気が開花時期を北野天満宮程は止めなかった故でしょうか、しかしもう見ごろと言える風景が迎えてくれました。

 酒解神、酒解子神、大若子神、小若子神。ご祭神はその名の通り、もう呑むしかない、というほどにお酒の名前を冠していまして、しかし酒の名字や酒を冠した地名が全員呑兵衛というわけではないではないか、という注釈を差し置き、此処は酒造の神の社だ。

 橘が神紋となっていますので、ますます梅とは無関係に思われるのかもしれませんが、連綿たる歴史と共に古い社殿を包む鎮守の森には数多花々花木が植えられ整備、そうその神苑には梅林さえ整備されていまして、参道からして梅花が迎える春のおももち。

 山城国葛野郡梅宮社、六国史という日本の律令制度を記した国史にはこの梅宮大社は承和3年こと西暦836年に神階叙位を賜ったとされています、平安時代初期の記録ではあるのですが、ただ梅宮大社の記録は散逸しており確認が困難という。もとは氏神の社で。

 県犬養三千代、このひとは橘三千代とも呼ばれていました奈良時代の女官なのですが、橘三千代さんの呼びかけにより橘氏の氏神を祀る社殿を造営することになった、それは梅宮大社の始まりであるとともに神紋が橘の花を冠している背景ともなっています。

 綴喜郡井手町、ただこの橘三千代さんの呼びかけにより造営されました社殿は京都府南部の綴喜郡井手町あたりとなっていまして、ここには多賀という地名もあり、いやしかし有名な近江鉄道沿線の多賀大社とは別の地名なのですけれども歴史ある土地といい。

 檀林皇后橘嘉智子、橘氏の氏神が平安遷都を経て京都に遷座しましたのは平安時代初期、檀林皇后橘嘉智子さんの手によるものでした。興味深いのはその遷座の在り方で、具体的には神霊を井手寺から当時当地にあった円堤寺の境内に祀ったというものでして。

 仁明天皇の時代、この天皇さんは平安朝初期の頃の方なのですが、皇太后橘嘉智子さんが、円堤寺に祀られる神霊は一応は外戚神となったのに大幣大社として扱われていない事に立腹したということで、遷座した円堤寺に祀られる神霊を延喜式に列したのがはじまり。

 山城国葛野郡梅宮社の神階はこの際に賜れたとのことでして、なにかこう歴史だけ聞きますと神々の崇高なる神話以前の神話を構成する際の俗っぽさを感じるところなのですけれども、この社殿にはいつも活気と朗らかさと厳粛な機運が隣り合っているのですね。

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ウクライナ情勢-北朝鮮製砲弾輸送ルートと激増するロシア軍日間平均死傷者数,空軍Su-34相次ぐ損耗の影響

2024-03-06 07:01:56 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 これまで南シナ海や東シナ海を含めて行われた北朝鮮瀬どり監視任務など各国海軍の行動は無駄ではなかったもよう。

 イギリス国防省は北朝鮮からロシアへの弾薬補給路について、日本海のラジン港からロシア沿海州への海上輸送ルートが用いられていると調査結果を発表しました。海上輸送された弾薬はそのままシベリア鉄道を用いカスピ海からアゾフ海にかけての物資集積所に送られ、そのままウクライナにおける地上戦闘に用いられている、と分析します。

 北朝鮮とロシアはバラノフスキーハサン鉄道により結ばれていて、COVID-19新型コロナウィルス感染症拡大以前にはシベリア鉄道100Щ列車に連結する形で、概ね二週間間隔でモスクワ平壌間10267kmの直通列車が運行されていました。北朝鮮の砲弾供給路は鉄道を利用したものではなく船舶輸送を用いた意図については不明となっています。
■毎日983名が死傷
 この損耗は冗談抜きに一個普通科連隊が丸々毎日消えているような規模の損耗が続いているという訳なのです。

 2024年2月のロシア軍日間平均死傷者数は983名に上った、3月3日付のイギリス国防省ウクライナ戦況報告が発表しました。ちょうど一年前にもロシア軍は人的損耗を顧みずバフムト攻略に大量の人員を送り込んでいますが、一日平均983名という規模は昨年以上に大きく、開戦以来最大規模であるとイギリス国防省は分析しています。

 ロシア軍は大規模な消耗戦に傾倒し戦果を優先している代償が大きくなる一方、人命を顧みない攻撃は確かにアウディイフカでのウクライナ軍撤退とその後のロシア軍前進など、ウクライナ軍を強く圧迫しているとイギリス国防省は分析しました。なお、ロシア軍の2022年開戦以来の死傷者は35万5000名に達しているとされています。
■東部戦線南部戦線
 背景には航空支援と航空機損耗など。

 東部戦線南部戦線共に戦闘が続くが双方に前進は確認されていない、ISWアメリカ戦争研究所3月3日付ウクライナ戦況報告です。これによればウクライナ軍ホルティツイア軍集団イェヴラシュ報道官の発言としてロシア軍はクピャンスク方面での攻撃前進をいったん中断し陣地構築を進めているとしました。この兆候はほかの戦域でもみられる。

 ウクライナ軍タヴリスク群のリュホヴィイ報道官はアウディイフカ西方地域においてもロシア軍の攻撃が小康状態であり、その背景には3月2日のSu-34戦闘爆撃機2機の撃墜を受けロシア空軍がウクライナ東部での航空攻撃を停止している、ウクライナ空軍のオレシチュク司令官が指摘しています。ただ、この状況がいつまで継続かは不明という。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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