北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】勧修寺-観梅,観音堂と梅花の幻想的な情景とともに考える次の季節

2024-03-20 20:24:45 | 写真
■梅花そして桜花
 京都市でも山科区は梅花の開花が遅い方なのですが今年は異常な早咲きと云えました、けれどもそれに続く桜花の開花はまだ先か。

 勧修寺、梅花の名所、と明記されているわけではなくこのあたりでは隨心院の梅林が有名となっています。梅林を眺めるならば隨心院、なのかもしれませんが、隨心院さんの梅林は三月中旬まで非公開となっていて、しかし梅花開花は待ってくれません。

 隨心院で梅林を昨年は眺められたものの、今年の梅花は開花が早く、しかし寒の戻り、特に寒さが戻るとともにかなりの風雨が定期的に梅林を洗い流してしまいましたから、思ったのはこれ、隨心院さんが梅林を公開するころはもう梅花、散っているだろうなあ。

 氷室池のまわりに梅花が咲き誇っていましたのは、嬉しい誤算というべきでしょうか、これも西日が強く逆光のように白梅の真白さを強調してくれましたので、若干陽光がレンズに影響を及ぼしはしたものの、これは幻想的な情景、春を感じさせる一瞬と思う。

 応仁の乱により荒廃した寺院ですが、江戸時代に入りますと本格的に復興します。安土桃山時代の間には豊臣秀吉の街道整備により氷室池が半分以上埋め立てられるなど郊外に追い打ちを掛けられてしまいますが、江戸時代に本堂などが復興されることになって。

 本堂再建は寛文12年こと西暦1672年のことでして、霊元天皇仮内侍所が下賜されることとなり、本尊千手観世音菩薩立像を奉じています。ここ、春の特別公開では内部が御開帳となるのですが、この日は梅花の先にご本尊を思い浮かべこうべたれるのみ。

 観音堂と梅花、これが京都らしい情景と思うのですが、この観音堂は昭和初期の再建という。もっとも再建というからには初代があるはずなのですが、当地に観音堂が情景に溶け込んだ始まりの時代がいつなのかは、ちょっとしらべられるにはいたっていません。

 雪景色、そう雪は少なかった、というのは暦の上での冬には暖冬であって、これも異常気象だとかスキー場がたいへんとか、もう梅が咲いたというような、暖冬を印象づける話題が続いていて、三月中旬には桜が咲きそうな、そんな熱気がこもっていまして。

 熱い冬、なんて考えたものですが今度は寒い春が来ました。沈黙の春、レイチェルカーソンの大著ではないのですが寒すぎて立春の日には寒の戻りを痛感したものですが、一過性と思っていて桜花開花の季節も三月中旬を過ぎたあたり、と予想されていました。

 桜花を考えれば昨年こそ寒い冬の先に熱い春が来た、なにしろ平野神社の桜花祭のころには全て葉桜で観桜を当て込んだ観光業が二週間も外れてぎゃくに閑古鳥なんてCOVID-19から立ち直りつつある京都の景気にまた沁みて痛い一撃を加えたものでしたが。

 寒の戻り、しかし考えると開花の時期は一か月半は長く咲いていましたので、もちろん、満開の絶景、という期間は短く、特に早咲きと遅咲きの梅花満開の時機が大きく間が開いてしまいましたので、割いている様子は長く楽しめたが満開は中々愉しめなかった。

 春の訪れ、そういえば昨年は梅花から桜花への転換に合間が無かったようにもおもえるのですけれども、今年は、来週に開花という。すると見ごろは四月に入ったあたりか。異常気象異常気象と言っていたのは立春までで、桜花は例年通りという。不思議ですね。

 熱い冬と寒い春、さてこれから春本番となるのですが昨年は熱い春の先に灼熱の夏という表現でさえ甘いほどの40度越えの真夏がやってきました、気象庁の長期予報では例年より熱いという予報がでましたが、さてさて、異常気象が平常となるのか気懸りです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】勧修寺-観梅,山科は千年超える歴史と梅花包む真言宗山階派門跡寺院

2024-03-20 20:00:45 | 写真
■熱い冬と寒い春
 本日は異常な暖冬と云われた冬を越えた春分の日の割にはみぞれ交じりの雨が降っていたようにみえましてまだまだ春は遠いようにおもえます。

 勧修寺、今年の冬は、変だ、と立春の後にも春分の日にも思ってしまうのです、要するにもう暦の上ではとっくの昔に春のはずなのですが、冬の嵐が続いている。いや、冬は暖かかった、暖冬だ。実際問題冬らしい雪景色はなかなか撮影できなかったものです。

 梅花は。そう暖冬であったゆえにもう一月から開花が始まっていまして、これはもう風流を愉しむほかないと少々嘆息しつつカメラを片手に愉しもうと開き直ったものです。勧修寺は、その京都に在って最後に梅花が鮮やかに咲き誇る山科界隈の門跡寺院だ。

 かじゅうじ。勧修寺と記しましてこう読むのです。どうしても教養の限界といいますか学校漢字学習の影響で“かんしゅうじ”“かんじゅじ”と読んでいるのですけれども、“かじゅうじ”と正しくは読むのだという。このあたりの地名は、かんしゅうじ、いやはや。

 貴船神社は“きふねじんじゃ”で地名の貴船は濁点の“きぶね”と読むのと同じようなものなのだろうなあ、と思いつつ、ここ勧修寺の庭園は、まあ真冬には雪化粧が欲しいところですが春夏秋冬の春夏秋には鮮やかな、いや艶やかなというような木々が彩り。

 真言宗山階派門跡寺院の勧修寺です。その創建は昌泰3年こと西暦900年、京都には数多ある千年以上の歴史を紡ぐ寺院の一つです。その庭園は壮大な池泉、いまはかなり狭まったといわれてもまだ広い池泉を浄土式庭園というより寝殿造を思い浮かべる趣き。

 醍醐天皇が生母藤原胤子の追善を願い右大臣藤原定方に命じ造営したという寺院です。藤原定方さんは藤原胤子さんの異母兄弟ということで、この際に仏縁をもとめまして祖父藤原高藤の諡号を冠し寺院をこの勧修寺としたという。山号が難しいわけですね。

 承俊律師、藤原定方は東大寺の承俊律師を開山に招きまして、あの醍醐天皇の時代ですので天皇からは曽祖父、外戚ではあるのですがこの血筋に当たる宮道弥益の邸宅跡をそのまま寺院にとなりまして、そうこの門跡寺院として壮大な寺域が確保されたという。

 宮道弥益の邸宅、といいますが宮道弥益さんは山城国宇治郡の郡司でもありましたので、当地の邸宅もその通りの規模がありまして、そう、歴史を辿ればここは寝殿造りの邸宅を延長線上に造営された寺院であるという事は分かり、納得するものなのですけれど。

 氷室池、勧修寺が寝殿造りの遺構のようだなあと感じる背景にはこの氷室池という存在がありまして、もちろんここは近世にかけてかなり小さくなってしまったというのですが、池泉周囲に自生します木々は大樹のようになりまして、主のような鳥さんがいる。

 池泉回遊式、というには護岸の関係で池の周りは一部が公開されているだけなのですが、主のような鳥さんと、主の様な鯉さんが、ちょっと浅くなった水位を背鰭まで潜水艦の洋上航行のように示しましてゆったりと泳いでいて、そのまわりを梅花が包んでいて。

 寺領などは建武の新政が執り行われました建武年間がその最盛期といいまして、加賀や三河と備前などに広がりまして、当時の当地はどのようであったのかは流石に古地図まで探して調べることは出来ず、なにより古地図を扱っていた古書店が無くなってしまった。

 建武年間、その最盛期の頃が来たとは前述の通りでして、残念ながら文明年間には応仁の乱の戦果がここまで及びました。これにより現存する建物は中世よりは近世のものなのですけれども、なぜか少ない拝観者のなかを、風情と静けさは祈りをつつんでいます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-広島・江田島,牡蠣だ焼き牡蠣だ練習艦隊だ!行こう瀬戸内海!

2024-03-20 14:19:26 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 春は曙、とマイラブリーエンジェルぼのたんを慕う声があるようですけれども北大路機関といえば2012年以来春と云えば江田島だ。

 練習艦隊江田島出航、ヘリコプター搭載護衛艦くらま撮影という目的から始まった艦隊出航の撮影ですが、わたしの拙い写真でも喜んでいただける方や、なにより江田島の方々との交流が毎年の楽しみとなっていまして、もう三月となりますと日程発表が待ち遠しい。

 美味しい、という経験といい体験は遠くに行った、という曖昧な記憶を大きくそして長く記憶させるものです。そして、江田島では自分で調理する、更に京都や大阪などで同じものを頂くよりも非常に手頃で、つまり色々気にせず、おいしいものと時を過ごせるのだ。

 牡蠣、そして江田島と云えばもう一つ楽しみなものが有りまして、呉市と江田島市の二つの街だけで日本全国の牡蠣養殖において実に三割を生産しているという。練習艦隊出航を眺めつつ低速で曳航されている牡蠣筏は、まさに海の恵みというかまたはミルクというか。

 山岡水産さんという牡蠣養殖業者さんが産直といいますか、牡蠣小屋を営業していてくれまして、ガスの焼き台の上で今まさに江田島の江田内にて水揚げしたばかりの牡蠣を、いったん生理食塩水などで新鮮な状態にしたものを、目のまえで焼き上げていただけるのだ。

 赤城さんの鎮守府グルメ日記、という同人誌で有名ななぐもさんがイラストで紹介した事で有名になりまして、わたしはその前には高田、やながわ水産さんというところで牡蠣を頂いていたのですが、ここがお好み焼き屋を閉店した後に牡蠣難民となった後にここへ。

 五個、先ず注文です。驚くなかれ、この日は牡蠣が一個税込で110円、いま京都では牡蠣五個の値段で珈琲さえいただけないほど、嗚呼観光地価格、という状況なものですから。そして、身が大振りであるところも江田島の牡蠣を印象付けるものでして、実際すごい。

 江田島産の牡蠣は、それはもう京都でも錦市場などで頂けるのですけれども産地の方が遥かにお手頃でして、如何に牡蠣が運送に際して衛生管理などが大変なのかが分るというもの。これは鮟鱇を京都で頂くのと水戸で、いや、水戸と大洗で頂く際の値段差とおなじ。

 焼き台の上で、先ず平たい方を下にして三分、柱に常備されているタイマーで焼き上げまして、続いて樋廻で高温に注意しつつ今度は山形の方に裏返して、焼き台の上に蓋をして三分間、すると、当る、という概念を高熱で消去し、そこには旨味と満足感のみがのこる。

 熱い、しかし熱で自然に開いた貝殻から牡蠣の身を、備え付けの軍手や耐熱手袋で開いて、摘まむ。滋味、涵養、汐味、磯香、滋養、旨味、いろいろ表現が有るのですが、牡蠣に似た食べ物と云われればひとことしか言えない表現を挙げますと、そうだ牡蠣の味だ、と。

 三分間と裏返して三分間、その合計六分間の内にさきに焼きあがったものをほふほふとふうふうを繰り返しながら頂いてゆくのですが、牡蠣汁とともにどう表現しても、旨い、もしくは、美味しい、という感想だけなのですよね。焦り過ぎると、熱い、の感想を加え。

 焼き牡蠣、そう酢牡蠣とかグラタンとか天麩羅とかアヒージョとかソフトクリームのせとか夏季にはいろいろな食べ方が有るのですが、とれたての牡蠣というのは何もいらず、焼き上げるだけで本当のごちそうになるのだなあ、と一つまた一つとたいらげるのですね。

 山岡水産さん、ここは江田島高速船の中町港と高田港のちょうど中間あたりにあります。一方、やながわ水産さんはなんと直売は自動販売機で牡蠣を売っている様になりまして、こちらは高田港をもう少し三高港のほうへ海沿いを行ったところ、江田島といえば牡蠣だ。

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【京都発幕間旅情】さくら号N-700系7000番台,成るか?北陸新幹線新大阪開業後の東京乗り入れ直通運転

2024-03-20 07:01:41 | コラム
■さくら号鹿児島中央行
 ひかりは西へ。こういわれたのは山陽新幹線博多開業前でしたが新幹線ひかりレールスターを受け継ぐ新幹線さくら号は西を経て南の鹿児島中央へ向かう。

 北陸新幹線、京都や大阪から金沢や福井まで直通特急で行く事が出来なくなってしまったというマイナスのイメージばかりが印象に残ったのですが、忘れてはならないと思ったのは2011年の九州新幹線の熱気、直前に3.11がありましたが、九州がちかくはなった。

 さくら号、みずほ号、鹿児島中央と新大阪を結んでいまして、西九州新幹線部分開業の長崎とも何れは博多が結ばれる事となり、かもめ号、つばめ号と九州域内の移動もいまよりも、開通まで時間はかかりそうですが、必ず便利になるのだろう、ということはたしかだ。

 九州新幹線、そして遠くない将来の北陸新幹線新大阪開業はもう一つ、大きな意味を持つのではないかと考えています、それは九州新幹線および西九州新幹線の北陸新幹線乗り入れによる東京直通新幹線列車の運行です。現在は東海道新幹線にのりいれられていない。

 東海道新幹線は超過密ダイヤで5分間隔で270km/hの高速列車が上下線各線で運行されていて、混雑緩和の為に各列車編成は全て16両編成の1322座席、したがって6両編成や8両編成の新幹線車両は東海道新幹線に乗り入れられないという状況となっていますが。

 新大阪まで北陸新幹線が延伸した場合は、東海道新幹線のような過密ダイヤではない北陸新幹線、しかも編成も東海道新幹線ほど長くない北陸新幹線ならば、みずほ号、かもめ号、さくら号、そのまま北陸新幹線経由で昔のように九州から東京へ直通列車が運行できる。

 ブルートレインの時代から九州と東京は直通列車で結ばれていましたが、現在は博多以南まで東京から直通しません。北陸新幹線は敦賀から大阪まで45分から一時間程度で結ぶため鹿児島中央から新大阪まで三時間四十五分、東京と一日で乗り換えなし往復が可能です。

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