■霞ヶ城の名で親しまれる城址
国道を福井から側道に入り暫く後に昭和の街並みを抜けたところでこの古城を見つけ出したときには、ほう、という感嘆の声が自然と湧きます。
丸岡城、北陸本線沿線に日本では12現存天守と呼ばれる城郭の一つがありまして、北陸本線を京阪神と金沢を白い俊速で結ぶ特急サンダーバードにて金沢駅へ向かう途中、平野のただ中に緑がこんもりと集まる一角に小さいが印象的な城郭を見つけることができます。
霞ヶ城の名でも親しまれる城址は、独立式望楼型二重三階の天守閣、寛永年間に造営された歴史ある天守閣を備えていまして、北陸地方では唯一の現存天守閣となっています。長らく慶長年間造営の天守閣と信じられており、日本最古の天守閣とも呼ばれていました。
福井県坂井市丸岡町霞。天守は重要文化財に指定されています。2017年には坂出市に丸岡城国宝化推進事業丸岡城国宝化推進室が置かれ、丸岡城天守を国宝にする市民の会、なんてものも設立しているのですが、天守閣がある、というわけで一つ歩みを進めてみました。
城郭それほど大きくはない、しかし、明治維新の動乱も太平洋戦争の戦災も免れた城郭は貴重です。坂井市、丸岡城の立地は坂井市丸岡町で最寄り駅は北陸本線丸岡駅、有名な福井空港もその近くなのですが、直線距離で4kmほどありまして、歩くには若干遠い距離で。
福井駅で特急を降りた先に鈍行に乗り換えて駅からはタクシーを利用するかと考えていましたらば福井駅からバスがでているという。そのバスは国道8号線沿いに若干時間がかかりまして、方角は違いますが福井駅からの距離はあの有名な永平寺と同じくらいとも。
北陸本線は特急の他に快速電車などは無く普通列車、新快速に慣れた身には鈍行は時間の有効活用には寂しいかなと思えばバスが福井駅から出ていたのは幸い。しかし、国道8号線は良いのですが側道に入りますと狭い道成に小さな神社や古民家が行儀良く並んでいる。
令和ではいかないか平成初期の趣ある住宅の佇まいとともに並びまして、そして不思議と曲がりくねる道路の立地が、ここは城下町としての風情をまもっているのだなあ、こう考えさせられます。丸岡城は観光会館の隣に天守閣がそびえているもので近くから見上げる。
観光会館と一言にいってしまえばそれまでですが、会館のあたりはもともと水手櫓という外郭がありまして、バスの駐車場付近は内堀であったという。水に浮く城郭であった、いまでは丸岡城は小さな城郭という印象は拭えないものですけれども、間近で見上げると。
天守閣というものは偉大だなあと思い見上げるのですが、これを古地図などに遡りますと実際に非常に大きな城郭であったことがわかる、もっとも日本の城郭全般にいえることですが、まわりが民有地となったいまの城郭も不思議に近くでみれば雄大さを感じるのです。
丸岡城は明治維新とともに破却されることになり、城郭は売りに出されることとなるのですが、その前の城郭は幅100mという水堀に守られた城郭であり、この掘割をいっそ水源や農業用池にでも役立ててくれればと思うのは明治維新の混乱を知らない身の上故の考え。
江戸時代の城郭、その内堀は五角形、天守閣はいまとおなじ小山の上、城郭では南側に立地し本丸を構成、内堀に浮かぶ城郭は本丸と二の丸と東の丸が切り込みのはいる銀杏の葉が如く構成されていたといいまして、いまの小城という印象とはだいぶことなります。
不思議なのは城郭の周囲を巡りますと、戦国乱世とか江戸時代ではなく、個人商店の軒先に自販機が置かれて、バス停に幼稚園に小学校と小さな喫茶店、バイパス道路は遠くなにかこう観光地然としていない、長閑な雰囲気が流れている点が、歩いていて楽しいのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
国道を福井から側道に入り暫く後に昭和の街並みを抜けたところでこの古城を見つけ出したときには、ほう、という感嘆の声が自然と湧きます。
丸岡城、北陸本線沿線に日本では12現存天守と呼ばれる城郭の一つがありまして、北陸本線を京阪神と金沢を白い俊速で結ぶ特急サンダーバードにて金沢駅へ向かう途中、平野のただ中に緑がこんもりと集まる一角に小さいが印象的な城郭を見つけることができます。
霞ヶ城の名でも親しまれる城址は、独立式望楼型二重三階の天守閣、寛永年間に造営された歴史ある天守閣を備えていまして、北陸地方では唯一の現存天守閣となっています。長らく慶長年間造営の天守閣と信じられており、日本最古の天守閣とも呼ばれていました。
福井県坂井市丸岡町霞。天守は重要文化財に指定されています。2017年には坂出市に丸岡城国宝化推進事業丸岡城国宝化推進室が置かれ、丸岡城天守を国宝にする市民の会、なんてものも設立しているのですが、天守閣がある、というわけで一つ歩みを進めてみました。
城郭それほど大きくはない、しかし、明治維新の動乱も太平洋戦争の戦災も免れた城郭は貴重です。坂井市、丸岡城の立地は坂井市丸岡町で最寄り駅は北陸本線丸岡駅、有名な福井空港もその近くなのですが、直線距離で4kmほどありまして、歩くには若干遠い距離で。
福井駅で特急を降りた先に鈍行に乗り換えて駅からはタクシーを利用するかと考えていましたらば福井駅からバスがでているという。そのバスは国道8号線沿いに若干時間がかかりまして、方角は違いますが福井駅からの距離はあの有名な永平寺と同じくらいとも。
北陸本線は特急の他に快速電車などは無く普通列車、新快速に慣れた身には鈍行は時間の有効活用には寂しいかなと思えばバスが福井駅から出ていたのは幸い。しかし、国道8号線は良いのですが側道に入りますと狭い道成に小さな神社や古民家が行儀良く並んでいる。
令和ではいかないか平成初期の趣ある住宅の佇まいとともに並びまして、そして不思議と曲がりくねる道路の立地が、ここは城下町としての風情をまもっているのだなあ、こう考えさせられます。丸岡城は観光会館の隣に天守閣がそびえているもので近くから見上げる。
観光会館と一言にいってしまえばそれまでですが、会館のあたりはもともと水手櫓という外郭がありまして、バスの駐車場付近は内堀であったという。水に浮く城郭であった、いまでは丸岡城は小さな城郭という印象は拭えないものですけれども、間近で見上げると。
天守閣というものは偉大だなあと思い見上げるのですが、これを古地図などに遡りますと実際に非常に大きな城郭であったことがわかる、もっとも日本の城郭全般にいえることですが、まわりが民有地となったいまの城郭も不思議に近くでみれば雄大さを感じるのです。
丸岡城は明治維新とともに破却されることになり、城郭は売りに出されることとなるのですが、その前の城郭は幅100mという水堀に守られた城郭であり、この掘割をいっそ水源や農業用池にでも役立ててくれればと思うのは明治維新の混乱を知らない身の上故の考え。
江戸時代の城郭、その内堀は五角形、天守閣はいまとおなじ小山の上、城郭では南側に立地し本丸を構成、内堀に浮かぶ城郭は本丸と二の丸と東の丸が切り込みのはいる銀杏の葉が如く構成されていたといいまして、いまの小城という印象とはだいぶことなります。
不思議なのは城郭の周囲を巡りますと、戦国乱世とか江戸時代ではなく、個人商店の軒先に自販機が置かれて、バス停に幼稚園に小学校と小さな喫茶店、バイパス道路は遠くなにかこう観光地然としていない、長閑な雰囲気が流れている点が、歩いていて楽しいのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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