■早春の京都-舞鶴基地は快晴
はるな。護衛艦はるな、です。Weblog北大路機関草創期は回線制限や容量上限が厳しく中々にお伝えできなかった懐かしい基地や艦艇の日常風景を紹介しましょう。
はるな、みょうこう、はるな艦砲の背負い式配置の奥に、みょうこう艦橋という構図から。昨今、戦艦榛名が人気を集めていまして、金剛型戦艦にあって太平洋戦争を最後まで戦い抜いた事が注目されているようですが、北大路機関にとり、はるな、とはこの護衛艦です。
自衛艦旗がマストに翻る。旅行、北大路機関のカテゴリでは旅行記と重複するものの、旅行カテゴリはOCNからGOOブログへ移行した際の標準仕様でしたので活用できていませんでした、しかし、旅行、軍隊用語では基地や軍艦や艦艇の中を案内する事を示します。
はるな自衛艦旗を目一杯拡大して。旅行ということで少々古い写真ではありますが、護衛艦はるな、練習艦かしま、をおなじ日に撮影しました際の思い出はなしなどを。旅行と言うことですので、案内する基地はここ舞鶴基地、京都の日本海側にあります基地という。
はるな、みょうこう、はるな艦砲の奥に、みょうこうSPY-1レーダー。第一世代ヘリコプター搭載護衛艦の鏑矢となりました護衛艦は2009年に除籍されまして、文字通り歴史の中に去っていきました故にこの在りし日の舞鶴の情景を今日から想像するには想像力が要る。
はるな艦首旗の奥に、みょうこうSPY-1レーダー。舞鶴基地といえば帝国海軍の時代には舞鶴軍港、日本でもっとも駆逐艦を量産した軍港として知られる要衝で戦後も長らく駆逐艦の名を冠した護衛艦と軽巡洋艦名でも駆逐艦なみの大きさの小型護衛艦の基地でした。
5インチ単装砲の奥に、みょうこうSPY-1レーダー。転機となりましたのは1996年のイージス艦みょうこう舞鶴配備、そして1998年、長崎県佐世保基地から第三護衛隊群直轄艦はるな、舞鶴へ転籍することとなったもので凄く大きな護衛艦が舞鶴へ、と地元では話題に。
はるなマストに第三護衛隊群司令旗が。はるな、第一世代ヘリコプター搭載護衛艦はヘリコプター巡洋艦型船体を採用しており、なるほど群司令旗が掲げられているのは、艦容に重なるものと今でも懐かしく思うところです。かしま、までもう少し散策を続けましょう。
BEST GUNNURY TEAM OF ESCORT FLEET,はるな艦砲に記されている。5インチ単装砲は有人砲塔で、展示訓練などで空包射撃を実施するさいには小宴とともに砲手が出入りし、その後の砲塔内見学などでこれこそ艦砲、という強い印象をもたされたものでした。
すずなみ、その奥に補給艦ましゅう。舞鶴基地はよほどのことがなければ毎週土曜日日曜日に一般公開を行っていまして、この長い岸壁いっぱいに多数の護衛艦が停泊しています、今では巨大な護衛艦ひゅうが、が接岸していますが昔は小型で、しかし数が多かったです。
あぶくま、はるな、すずなみ、ましゅう。舞鶴の長い岸壁、自衛隊基地としてはもっとも長大な岸壁となっていまして、行き来しますとその長さを実感します、護衛艦が多いという印象の背景には一つの岸壁に護衛艦とミサイル艇などが固まっているため、でしょうか。
あぶくま、はるな、すずなみ、ましゅう。舞鶴基地の長大な岸壁に多数が停泊している様子を重ねて印象づけるのはもう一つ、2000年代前半は平和であり、今のようにミサイル防衛や南西諸島警備に護衛艦を多数出航させ基地が空く、状況が無かったためともいえる。
司令旗が護衛艦あぶくまマストに。あぶくま、現在は呉へ転籍していますが、この撮影の9年前、日本海工作船浸透事案に際しては、はるな、みょうこう、あぶくま、とともに自衛隊史上初の海上警備行動命令発令を受け、北朝鮮近くまで追い回した事もありましたね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
はるな。護衛艦はるな、です。Weblog北大路機関草創期は回線制限や容量上限が厳しく中々にお伝えできなかった懐かしい基地や艦艇の日常風景を紹介しましょう。
はるな、みょうこう、はるな艦砲の背負い式配置の奥に、みょうこう艦橋という構図から。昨今、戦艦榛名が人気を集めていまして、金剛型戦艦にあって太平洋戦争を最後まで戦い抜いた事が注目されているようですが、北大路機関にとり、はるな、とはこの護衛艦です。
自衛艦旗がマストに翻る。旅行、北大路機関のカテゴリでは旅行記と重複するものの、旅行カテゴリはOCNからGOOブログへ移行した際の標準仕様でしたので活用できていませんでした、しかし、旅行、軍隊用語では基地や軍艦や艦艇の中を案内する事を示します。
はるな自衛艦旗を目一杯拡大して。旅行ということで少々古い写真ではありますが、護衛艦はるな、練習艦かしま、をおなじ日に撮影しました際の思い出はなしなどを。旅行と言うことですので、案内する基地はここ舞鶴基地、京都の日本海側にあります基地という。
はるな、みょうこう、はるな艦砲の奥に、みょうこうSPY-1レーダー。第一世代ヘリコプター搭載護衛艦の鏑矢となりました護衛艦は2009年に除籍されまして、文字通り歴史の中に去っていきました故にこの在りし日の舞鶴の情景を今日から想像するには想像力が要る。
はるな艦首旗の奥に、みょうこうSPY-1レーダー。舞鶴基地といえば帝国海軍の時代には舞鶴軍港、日本でもっとも駆逐艦を量産した軍港として知られる要衝で戦後も長らく駆逐艦の名を冠した護衛艦と軽巡洋艦名でも駆逐艦なみの大きさの小型護衛艦の基地でした。
5インチ単装砲の奥に、みょうこうSPY-1レーダー。転機となりましたのは1996年のイージス艦みょうこう舞鶴配備、そして1998年、長崎県佐世保基地から第三護衛隊群直轄艦はるな、舞鶴へ転籍することとなったもので凄く大きな護衛艦が舞鶴へ、と地元では話題に。
はるなマストに第三護衛隊群司令旗が。はるな、第一世代ヘリコプター搭載護衛艦はヘリコプター巡洋艦型船体を採用しており、なるほど群司令旗が掲げられているのは、艦容に重なるものと今でも懐かしく思うところです。かしま、までもう少し散策を続けましょう。
BEST GUNNURY TEAM OF ESCORT FLEET,はるな艦砲に記されている。5インチ単装砲は有人砲塔で、展示訓練などで空包射撃を実施するさいには小宴とともに砲手が出入りし、その後の砲塔内見学などでこれこそ艦砲、という強い印象をもたされたものでした。
すずなみ、その奥に補給艦ましゅう。舞鶴基地はよほどのことがなければ毎週土曜日日曜日に一般公開を行っていまして、この長い岸壁いっぱいに多数の護衛艦が停泊しています、今では巨大な護衛艦ひゅうが、が接岸していますが昔は小型で、しかし数が多かったです。
あぶくま、はるな、すずなみ、ましゅう。舞鶴の長い岸壁、自衛隊基地としてはもっとも長大な岸壁となっていまして、行き来しますとその長さを実感します、護衛艦が多いという印象の背景には一つの岸壁に護衛艦とミサイル艇などが固まっているため、でしょうか。
あぶくま、はるな、すずなみ、ましゅう。舞鶴基地の長大な岸壁に多数が停泊している様子を重ねて印象づけるのはもう一つ、2000年代前半は平和であり、今のようにミサイル防衛や南西諸島警備に護衛艦を多数出航させ基地が空く、状況が無かったためともいえる。
司令旗が護衛艦あぶくまマストに。あぶくま、現在は呉へ転籍していますが、この撮影の9年前、日本海工作船浸透事案に際しては、はるな、みょうこう、あぶくま、とともに自衛隊史上初の海上警備行動命令発令を受け、北朝鮮近くまで追い回した事もありましたね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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たまにスポーツの国際大会とかの観客席で旭日旗振り回す人がいますけど、国際大会とかで国旗じゃなく軍艦旗を振る、て慣習のある国、他にありましたっけ?冷静に考えればかなり妙ですね。
確かに昭和初期辺りだと日の丸と旭日旗を対で揚げたりしてますし、当時は第二国旗的な位置付けだったんですかね?(大日本帝国には国旗国歌に関する法令はなかったはず)さすがに日の丸が国旗(&商船旗)と定められた現在、日の丸の代わりに旭日旗を振るのは果たして応援に相応しいのか?考えた方がいいように思います。
(国旗国歌法の正当性に関しての議論は御容赦ください)