■青空と護衛艦と掃海艇の舞鶴
舞鶴基地一般公開はCOVID-19により長らく中止となったままですがいつ再開となるのかは未定という。
はるな。さて、ここは舞鶴基地で舞鶴警備管区の一丁目一番地というところですが、今回の特集は、はるな、かしま。かしま撮影を考えますと、ヘリコプター搭載護衛艦の隣にてあまりゆっくりする時間の余裕もないのは残念ですが、移動を考え急がねばなりません。
すずなみ、そして護衛艦はるな艦首。実はこの写真を撮影している最中にも横浜市のIHIでは最新鋭の画期的な全通飛行甲板を備えたヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが建造が進んでおり、この一年後には竣工、はるな除籍も同日というところで、時間も迫っていました。
ヘリコプター搭載護衛艦の世代交代。はるな型はヘリコプター巡洋艦型であり、ひゅうが型護衛艦は全通飛行甲板型、満載排水量で6800tと19000tという、1973年に最大の護衛艦と2009年に最大の護衛艦というものではここまで違うのか、という印象で進んでゆく。
イージス艦も、みょうこう、の護衛艦こんごう型は満載排水量で9500tといよいよ護衛艦もこの大きさに至ったか、とは今から考えますと遥か昔ながらおぼろげに思い出すのですが、ひゅうが竣工前では基準排水量で最大の艦は砕氷艦しらせ、補給艦ましゅう、という。
すずなみ。護衛艦も大きくなったものだ、という認識はこの汎用護衛艦が満載排水量で6300tと、はるな満載排水量に迫ってきた為でして、続く護衛艦あきづき型からはヘリコプター搭載護衛艦と並ぶ大きさとなりました。これこそ、時代の変化というものなのですね。
護衛艦の大型化は、元々海上自衛隊が冷戦時代に想定していたのは日本沿岸部と太平洋を結ぶシーレーンを防衛し産業を維持すると共に北海道正面においてソ連軍の着上陸を阻止するというものでした。しかし、ポスト冷戦では中国の台頭を念頭としていた転換へ、と。
むらさめ型護衛艦から始まる第二世代汎用護衛艦、第一世代の護衛艦はつゆき型よりも大型化したものは基本的な船体配置を護衛艦はるな型に範を採り設計に余裕を持たせたためでもあります。すると汎用護衛艦の大型化にも何か納得できる設計を不思議に思うのです。
はるな型とは汎用護衛艦は蒸気タービンかガスタービンか等根本から異なりますが船体上に上部構造物と更に一体化した格納庫に大きな飛行甲板、という設計で共通します。2020年代に回顧しますと2000年代の護衛艦の転換期は、懐かしく、しかし興味深く思い出す。
あわしま、とびしま、ながしま。舞鶴地方隊第44掃海隊の掃海艇です、この頃は掃海艇の数が多く、舞鶴地方隊は一個掃海隊のみですが二個掃海隊を隷下に置く地方隊もありました。この頃、掃海艇は文字通り掃海艇の時代、現在の機雷掃討艇というべきものは少ない。
とびしま、艦番号678。あわしま、艦番号670。あわしま、は掃海艇うわじま型で、とびしま、は掃海艇うわじま型です。文字通り掃海器具を曳航し掃海する用途です。後継の掃海艇すがしま型とはまったく形状が異なりますが、これは機雷掃討を重視した為というもの。
ながしま、一番奥に停泊する。あわしま、うわじま型22番艇です。機雷掃討ではなく掃海を重視する掃海艇は建造費が安価で数を揃えられましたが、湾岸戦争後の掃海任務を経て機雷掃討能力の重要度が認識、転換したのですが建造費が高過ぎ、数を揃えられなくなる。
艦首旗と飛行船。そう、飛行船です。さて。舞鶴にこんな飛行船が居るのでしょうか、そして微妙に青空の色彩が違うよう、そうです。舞鶴基地から練習艦かしま撮影へと撮影位置を転換したのですね。撮影の舞台は舞鶴警備管区から、そう、呉警備管区へと進みます。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
舞鶴基地一般公開はCOVID-19により長らく中止となったままですがいつ再開となるのかは未定という。
はるな。さて、ここは舞鶴基地で舞鶴警備管区の一丁目一番地というところですが、今回の特集は、はるな、かしま。かしま撮影を考えますと、ヘリコプター搭載護衛艦の隣にてあまりゆっくりする時間の余裕もないのは残念ですが、移動を考え急がねばなりません。
すずなみ、そして護衛艦はるな艦首。実はこの写真を撮影している最中にも横浜市のIHIでは最新鋭の画期的な全通飛行甲板を備えたヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが建造が進んでおり、この一年後には竣工、はるな除籍も同日というところで、時間も迫っていました。
ヘリコプター搭載護衛艦の世代交代。はるな型はヘリコプター巡洋艦型であり、ひゅうが型護衛艦は全通飛行甲板型、満載排水量で6800tと19000tという、1973年に最大の護衛艦と2009年に最大の護衛艦というものではここまで違うのか、という印象で進んでゆく。
イージス艦も、みょうこう、の護衛艦こんごう型は満載排水量で9500tといよいよ護衛艦もこの大きさに至ったか、とは今から考えますと遥か昔ながらおぼろげに思い出すのですが、ひゅうが竣工前では基準排水量で最大の艦は砕氷艦しらせ、補給艦ましゅう、という。
すずなみ。護衛艦も大きくなったものだ、という認識はこの汎用護衛艦が満載排水量で6300tと、はるな満載排水量に迫ってきた為でして、続く護衛艦あきづき型からはヘリコプター搭載護衛艦と並ぶ大きさとなりました。これこそ、時代の変化というものなのですね。
護衛艦の大型化は、元々海上自衛隊が冷戦時代に想定していたのは日本沿岸部と太平洋を結ぶシーレーンを防衛し産業を維持すると共に北海道正面においてソ連軍の着上陸を阻止するというものでした。しかし、ポスト冷戦では中国の台頭を念頭としていた転換へ、と。
むらさめ型護衛艦から始まる第二世代汎用護衛艦、第一世代の護衛艦はつゆき型よりも大型化したものは基本的な船体配置を護衛艦はるな型に範を採り設計に余裕を持たせたためでもあります。すると汎用護衛艦の大型化にも何か納得できる設計を不思議に思うのです。
はるな型とは汎用護衛艦は蒸気タービンかガスタービンか等根本から異なりますが船体上に上部構造物と更に一体化した格納庫に大きな飛行甲板、という設計で共通します。2020年代に回顧しますと2000年代の護衛艦の転換期は、懐かしく、しかし興味深く思い出す。
あわしま、とびしま、ながしま。舞鶴地方隊第44掃海隊の掃海艇です、この頃は掃海艇の数が多く、舞鶴地方隊は一個掃海隊のみですが二個掃海隊を隷下に置く地方隊もありました。この頃、掃海艇は文字通り掃海艇の時代、現在の機雷掃討艇というべきものは少ない。
とびしま、艦番号678。あわしま、艦番号670。あわしま、は掃海艇うわじま型で、とびしま、は掃海艇うわじま型です。文字通り掃海器具を曳航し掃海する用途です。後継の掃海艇すがしま型とはまったく形状が異なりますが、これは機雷掃討を重視した為というもの。
ながしま、一番奥に停泊する。あわしま、うわじま型22番艇です。機雷掃討ではなく掃海を重視する掃海艇は建造費が安価で数を揃えられましたが、湾岸戦争後の掃海任務を経て機雷掃討能力の重要度が認識、転換したのですが建造費が高過ぎ、数を揃えられなくなる。
艦首旗と飛行船。そう、飛行船です。さて。舞鶴にこんな飛行船が居るのでしょうか、そして微妙に青空の色彩が違うよう、そうです。舞鶴基地から練習艦かしま撮影へと撮影位置を転換したのですね。撮影の舞台は舞鶴警備管区から、そう、呉警備管区へと進みます。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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