■太平洋に向う海上自衛隊
自衛隊観艦式、太平洋に向かう観艦式参加部隊は写真を観返しても磯風が海風に移ろい凉波の沖波への穏やかな潮を思い出します。
ヘリコプター搭載護衛艦くらま、しらね型護衛艦二番艦ですが当方は2006年、2009年、2012年と観艦式を撮影する機会に恵まれまして、毎回旗艦を努めていました。そして2015年観艦式では、遂に護衛艦くらま艦上で撮影する事となり私には、くらま、こそ主役です。
横須賀を出港する観艦式参加部隊、何か前回と重なる情景ですが二重掲載ではありません、現在はEOS-7DmarkⅡを主軸として撮影していますが、当時はEOS-7DとEOS-50Dを併用していましたので、撮影番号が混成してしまいました。別々の器材で撮影したもの。
海上自衛隊観艦式の歴史を、東京湾の風景と共に紹介しましょう。旧海軍の観艦式は非常に規模が大きなものでした。海上自衛隊は1954年に海上警備隊を改編し創設されましたが、初の観艦式を行えたのは昭和32年、即ち1957年まで三年間もの準備期間が必要でした。
昭和32年観艦式、海上自衛隊初の観艦式は岸信介総理を観閲官として観閲艦ゆきかぜ、東京湾にて艦艇32隻と航空機49機が参加しました。昭和35年観艦式は江崎真澄防衛庁長官を観閲艦として東京湾にて挙行、停泊式観艦式ですが艦艇43隻と航空機49機が参加です。
昭和36年観艦式は藤枝泉介長官を観閲艦とし東京湾で挙行、観閲艦あきづき以下32隻と航空機29機が参加し部分的な移動式観艦式を行った。昭和37年観艦式は初の大阪湾挙行となり生田宏一防衛政務次官が観閲官、観閲艦あきづき以下48隻と航空機31機が参加と。
昭和39年観艦式は小泉純也防衛庁長官と東京湾で挙行し観閲艦てるづき以下52隻と航空機31機が参加です。昭和40年観艦式は松野頼三長官を大阪湾へ招き挙行され、新鋭ミサイル護衛艦あまつかぜ、を観閲艦とし艦艇49隻と航空機51機が参加、二年連続の挙行だ。
昭和41年観艦式は初の博多湾での実施となり、上林山栄吉長官を観閲官とし、あまつかぜ以下37隻と56機が参加、初の航空自衛隊機参加となった。昭和42年観艦式は伊勢湾、増田甲子七長官が観閲官を務め新鋭たかつき以下艦艇43隻と航空機75機が参加しています。
昭和43年観艦式は佐藤栄作総理、内閣総理大臣が久々に観閲し、護衛艦たかつき以下艦艇44隻と航空機47機が参加しています。昭和44年観艦式は大阪湾にて挙行され、護衛艦きくづき以下艦艇50隻と航空機50機が参加、有田喜一防衛庁長官が観閲官を務めました。
昭和45年観艦式は後の首相となる中曽根康弘長官が観閲、もちづき以下45隻と航空機48機が参加し、東京湾から相模湾へ会場を移しました。昭和46年観艦式は初の佐世保沖で挙行、西村直己長官が観閲官を務め護衛艦きくづき以下艦艇50隻と航空機65機が参加です。
昭和47年観艦式は参加艦艇で米軍供与艦が全て国産艦に代わり、増原惠吉長官が観閲官ながつき以下51隻と61機を観閲しました。昭和48年観艦式は若狭湾で実施、山中貞則長官が、たかつき以下39隻と48機を観閲しましたが、同年に世界に石油危機が発生しました。
昭和56年観艦式、石油危機以来久々の挙行となり、会場を相模湾に鈴木善幸総理が観閲官を務め、しらね観閲艦として艦艇45隻と航空機55機が参加しました。昭和59年観艦式は自衛隊創設30周年記念、加藤紘一長官が艦艇53隻と51機を、しらね艦上から観閲です。
昭和62年観艦式は中曽根総理が、しらね艦上より相模湾で艦艇54隻と航空機49機を観閲しました。平成元年観艦式は相模湾にて、海部俊樹総理を観閲官とし、しらね以下艦艇55隻と航空機51機が参加です。なお、石油危機後の観艦式は全て相模湾で行われている。
海上自衛隊創設40周年記念観艦式として平成4年は宮澤喜一総理を招き、しらね以下52隻と54機が参加。防衛庁創設40周年記念観艦式として平成6年に村山富市総理を招きしらね以下45隻と52機が参加しています。この次から観艦式は、自衛隊記念日行事となる。
平成9年観艦式は橋本龍太郎総理を観閲官に、しらね以下46隻と48機が参加、平成12年観艦式は森喜朗総理を観閲官に、しらね以下63隻と38機が参加しました。平成9年以降陸海空が自衛隊記念日行事を持ち回り実施する事とし海上観閲式へ改名も検討されている。
海上自衛隊創設50周年記念国際観艦式は観艦式実施年度ではありませんが、東京湾に久々の停泊式にて小泉純一郎総理と11か国の艦艇17隻を含む65隻が参加しています。翌平成15年観艦式は相模湾にて小泉総理が、しらね以下52隻と航空機53機を観閲しています。
平成18年観艦式は当方が初めて見た観艦式、安倍晋三総理大臣が観閲し、初の観閲艦くらま以下艦艇48隻と50機が参加、そしてこの今回特集の観艦式は、観閲艦くらま以下艦艇40隻と航空機31機が参加しています。平成21年観艦式、参加艦艇の詳細は以下の通り。
観閲部隊の編成は先導艦-護衛艦いなづま(DD-105第4護衛隊群第8護衛隊),観閲艦-護衛艦くらま(DDH-144第2護衛隊群第2護衛隊),随伴艦-護衛艦こんごう(DDG-173第1護衛隊群第5護衛隊),随伴艦-護衛艦あぶくま(DE-229護衛艦隊直轄第14護衛隊),という陣容だ。
観閲付属部隊,護衛艦まきなみ(DD-112第3護衛隊群-第3護衛隊),掃海母艦うらが(MST-463掃海隊群),潜水艦救難艦ちはや(ASR-403第1潜水隊群直轄)艦),試験艦あすか(ASE-6102開発隊群直轄艦),訓練支援艦てんりゅう(ATS-4203護衛艦隊直轄-第1海上訓練支援隊)という。
受閲艦艇部隊は旗艦-護衛艦あしがら(DDG-178第2護衛隊群-第2護衛隊)を先頭に進みます。受閲艦艇部隊第1群護衛艦はたかぜ(DDG-171第4護衛隊群-第4護衛隊)と護衛艦さわかぜ(DDG-170護衛艦隊直轄艦)、イージス艦とターター艦が三世代に渡り揃う陣容ですね。
受閲艦艇部隊第2群の編成は護衛艦ひゅうが(DDH-181第1護衛隊群-第1護衛隊)と護衛艦さざなみ(DD-113第4護衛隊群-第8護衛隊)、二隻のみという編成ですが事とし就役したばかりの海上自衛隊最新鋭、初の全通飛行甲板型護衛艦である、ヘリコプター搭載護衛艦が。
受閲艦艇部隊第3群は護衛艦ゆうばり(DE-227護衛艦隊直轄-第15護衛隊)と護衛艦ゆうべつ(DE-228護衛艦隊直轄-第15護衛隊)、冷戦時代後半に北方海域の防衛を担った小型護衛艦です。実はこの時点で既に退役予定が発表されていまして、最後の観艦式となりました。
受閲艦艇部隊は第4群潜水艦そうりゅう(SS-501第1潜水隊群-第5潜水隊)と潜水艦わかしお(SS-587第2潜水隊群-第4潜水隊)に潜水艦なつしお(SS-584第1潜水隊群-第5潜水隊)という潜水艦部隊です。画期的AIP潜水艦である、そうりゅう型が初めて参加しました。
受閲艦艇部隊第5群は掃海母艦ぶんご(MST-464掃海隊群直轄艦)と掃海艦やえやま(MSO-301掃海隊群第51掃海隊)と掃海艇あいしま(MSC-688掃海隊群-第1掃海隊)という掃海艇部隊です。三隻ですが掃海母艦と掃海艦と掃海艇という三類型がこう揃っています。
受閲艦艇部隊第6群は補給艦ましゅう(AOE-425護衛艦隊直轄-第1海上補給隊)、輸送艦おおすみ(LST-4001護衛艦隊直轄-第1輸送隊)エアクッション艇1号とエアクッション艇2号(LCAC-2102護衛艦隊直轄第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)という陣容で参加しました。
受閲艦艇部隊第7群はミサイル艇くまたか(PG-827余市防備隊-第1ミサイル艇隊)とミサイル艇おおたか(PG-826佐世保警備隊-第3ミサイル艇隊)、哨戒部隊というべきミサイル艇二隻です。観艦式本番は重ねて海上保安庁巡視船やしま、が受閲艦艇部隊第8群に加わる。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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自衛隊観艦式、太平洋に向かう観艦式参加部隊は写真を観返しても磯風が海風に移ろい凉波の沖波への穏やかな潮を思い出します。
ヘリコプター搭載護衛艦くらま、しらね型護衛艦二番艦ですが当方は2006年、2009年、2012年と観艦式を撮影する機会に恵まれまして、毎回旗艦を努めていました。そして2015年観艦式では、遂に護衛艦くらま艦上で撮影する事となり私には、くらま、こそ主役です。
横須賀を出港する観艦式参加部隊、何か前回と重なる情景ですが二重掲載ではありません、現在はEOS-7DmarkⅡを主軸として撮影していますが、当時はEOS-7DとEOS-50Dを併用していましたので、撮影番号が混成してしまいました。別々の器材で撮影したもの。
海上自衛隊観艦式の歴史を、東京湾の風景と共に紹介しましょう。旧海軍の観艦式は非常に規模が大きなものでした。海上自衛隊は1954年に海上警備隊を改編し創設されましたが、初の観艦式を行えたのは昭和32年、即ち1957年まで三年間もの準備期間が必要でした。
昭和32年観艦式、海上自衛隊初の観艦式は岸信介総理を観閲官として観閲艦ゆきかぜ、東京湾にて艦艇32隻と航空機49機が参加しました。昭和35年観艦式は江崎真澄防衛庁長官を観閲艦として東京湾にて挙行、停泊式観艦式ですが艦艇43隻と航空機49機が参加です。
昭和36年観艦式は藤枝泉介長官を観閲艦とし東京湾で挙行、観閲艦あきづき以下32隻と航空機29機が参加し部分的な移動式観艦式を行った。昭和37年観艦式は初の大阪湾挙行となり生田宏一防衛政務次官が観閲官、観閲艦あきづき以下48隻と航空機31機が参加と。
昭和39年観艦式は小泉純也防衛庁長官と東京湾で挙行し観閲艦てるづき以下52隻と航空機31機が参加です。昭和40年観艦式は松野頼三長官を大阪湾へ招き挙行され、新鋭ミサイル護衛艦あまつかぜ、を観閲艦とし艦艇49隻と航空機51機が参加、二年連続の挙行だ。
昭和41年観艦式は初の博多湾での実施となり、上林山栄吉長官を観閲官とし、あまつかぜ以下37隻と56機が参加、初の航空自衛隊機参加となった。昭和42年観艦式は伊勢湾、増田甲子七長官が観閲官を務め新鋭たかつき以下艦艇43隻と航空機75機が参加しています。
昭和43年観艦式は佐藤栄作総理、内閣総理大臣が久々に観閲し、護衛艦たかつき以下艦艇44隻と航空機47機が参加しています。昭和44年観艦式は大阪湾にて挙行され、護衛艦きくづき以下艦艇50隻と航空機50機が参加、有田喜一防衛庁長官が観閲官を務めました。
昭和45年観艦式は後の首相となる中曽根康弘長官が観閲、もちづき以下45隻と航空機48機が参加し、東京湾から相模湾へ会場を移しました。昭和46年観艦式は初の佐世保沖で挙行、西村直己長官が観閲官を務め護衛艦きくづき以下艦艇50隻と航空機65機が参加です。
昭和47年観艦式は参加艦艇で米軍供与艦が全て国産艦に代わり、増原惠吉長官が観閲官ながつき以下51隻と61機を観閲しました。昭和48年観艦式は若狭湾で実施、山中貞則長官が、たかつき以下39隻と48機を観閲しましたが、同年に世界に石油危機が発生しました。
昭和56年観艦式、石油危機以来久々の挙行となり、会場を相模湾に鈴木善幸総理が観閲官を務め、しらね観閲艦として艦艇45隻と航空機55機が参加しました。昭和59年観艦式は自衛隊創設30周年記念、加藤紘一長官が艦艇53隻と51機を、しらね艦上から観閲です。
昭和62年観艦式は中曽根総理が、しらね艦上より相模湾で艦艇54隻と航空機49機を観閲しました。平成元年観艦式は相模湾にて、海部俊樹総理を観閲官とし、しらね以下艦艇55隻と航空機51機が参加です。なお、石油危機後の観艦式は全て相模湾で行われている。
海上自衛隊創設40周年記念観艦式として平成4年は宮澤喜一総理を招き、しらね以下52隻と54機が参加。防衛庁創設40周年記念観艦式として平成6年に村山富市総理を招きしらね以下45隻と52機が参加しています。この次から観艦式は、自衛隊記念日行事となる。
平成9年観艦式は橋本龍太郎総理を観閲官に、しらね以下46隻と48機が参加、平成12年観艦式は森喜朗総理を観閲官に、しらね以下63隻と38機が参加しました。平成9年以降陸海空が自衛隊記念日行事を持ち回り実施する事とし海上観閲式へ改名も検討されている。
海上自衛隊創設50周年記念国際観艦式は観艦式実施年度ではありませんが、東京湾に久々の停泊式にて小泉純一郎総理と11か国の艦艇17隻を含む65隻が参加しています。翌平成15年観艦式は相模湾にて小泉総理が、しらね以下52隻と航空機53機を観閲しています。
平成18年観艦式は当方が初めて見た観艦式、安倍晋三総理大臣が観閲し、初の観閲艦くらま以下艦艇48隻と50機が参加、そしてこの今回特集の観艦式は、観閲艦くらま以下艦艇40隻と航空機31機が参加しています。平成21年観艦式、参加艦艇の詳細は以下の通り。
観閲部隊の編成は先導艦-護衛艦いなづま(DD-105第4護衛隊群第8護衛隊),観閲艦-護衛艦くらま(DDH-144第2護衛隊群第2護衛隊),随伴艦-護衛艦こんごう(DDG-173第1護衛隊群第5護衛隊),随伴艦-護衛艦あぶくま(DE-229護衛艦隊直轄第14護衛隊),という陣容だ。
観閲付属部隊,護衛艦まきなみ(DD-112第3護衛隊群-第3護衛隊),掃海母艦うらが(MST-463掃海隊群),潜水艦救難艦ちはや(ASR-403第1潜水隊群直轄)艦),試験艦あすか(ASE-6102開発隊群直轄艦),訓練支援艦てんりゅう(ATS-4203護衛艦隊直轄-第1海上訓練支援隊)という。
受閲艦艇部隊は旗艦-護衛艦あしがら(DDG-178第2護衛隊群-第2護衛隊)を先頭に進みます。受閲艦艇部隊第1群護衛艦はたかぜ(DDG-171第4護衛隊群-第4護衛隊)と護衛艦さわかぜ(DDG-170護衛艦隊直轄艦)、イージス艦とターター艦が三世代に渡り揃う陣容ですね。
受閲艦艇部隊第2群の編成は護衛艦ひゅうが(DDH-181第1護衛隊群-第1護衛隊)と護衛艦さざなみ(DD-113第4護衛隊群-第8護衛隊)、二隻のみという編成ですが事とし就役したばかりの海上自衛隊最新鋭、初の全通飛行甲板型護衛艦である、ヘリコプター搭載護衛艦が。
受閲艦艇部隊第3群は護衛艦ゆうばり(DE-227護衛艦隊直轄-第15護衛隊)と護衛艦ゆうべつ(DE-228護衛艦隊直轄-第15護衛隊)、冷戦時代後半に北方海域の防衛を担った小型護衛艦です。実はこの時点で既に退役予定が発表されていまして、最後の観艦式となりました。
受閲艦艇部隊は第4群潜水艦そうりゅう(SS-501第1潜水隊群-第5潜水隊)と潜水艦わかしお(SS-587第2潜水隊群-第4潜水隊)に潜水艦なつしお(SS-584第1潜水隊群-第5潜水隊)という潜水艦部隊です。画期的AIP潜水艦である、そうりゅう型が初めて参加しました。
受閲艦艇部隊第5群は掃海母艦ぶんご(MST-464掃海隊群直轄艦)と掃海艦やえやま(MSO-301掃海隊群第51掃海隊)と掃海艇あいしま(MSC-688掃海隊群-第1掃海隊)という掃海艇部隊です。三隻ですが掃海母艦と掃海艦と掃海艇という三類型がこう揃っています。
受閲艦艇部隊第6群は補給艦ましゅう(AOE-425護衛艦隊直轄-第1海上補給隊)、輸送艦おおすみ(LST-4001護衛艦隊直轄-第1輸送隊)エアクッション艇1号とエアクッション艇2号(LCAC-2102護衛艦隊直轄第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)という陣容で参加しました。
受閲艦艇部隊第7群はミサイル艇くまたか(PG-827余市防備隊-第1ミサイル艇隊)とミサイル艇おおたか(PG-826佐世保警備隊-第3ミサイル艇隊)、哨戒部隊というべきミサイル艇二隻です。観艦式本番は重ねて海上保安庁巡視船やしま、が受閲艦艇部隊第8群に加わる。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)