イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

逆回心と回心。

2007-10-14 | 第九章「愛」

 先日から、宗教心理学で有名な、W・ジェイムズ著 「宗教的経験の諸相」 岩波文庫を細々と読み進めている。1902年の著作であるが、当時の様々な事例も豊富で興味深い。

 その中で、逆回心という聞きなれない言葉を知った。回心はキリスト教であれば、日本語のことわざまで影響を与えたという、眼にうろこのパウロが有名である。別にキリスト教の専売特許ではなく、仏教その他でも同じような経験は大切にされているようだ。

 こころの中心が、大きくシフトし自分中心から神仏がこころを大きく占めるようになることだ。

 そして、逆回心とはやはり、宗教心理学で有名なスターバック教授が命名したそうであるが、正統宗教から不信仰に移る現象を言うそうである。

 この本の中では、いくつかの逆回心の事例があり興味をひく。

 私個人の拙い経験を振り返ると、カトリックの幼児洗礼を受けたが、高校生の時に逆回心の経験があった。運よく40歳代に回心の経験もあり、双方向を経験しているようである。

 高校2年の秋、家の茶の間で何処まで分かって読んでいたか不明だが、ニーチェの「ツラツーストラはかく語りき」を読んでいたときであった。

 ものすごい虚無感が突然襲い、こんな気分なら死んだほうがましたとその時強く思ったのを覚えている。窓から隣の家の庭が見え、黒いこずえのシルエットが不気味であった。

 幼児洗礼を受け中学生ごろまで、教会に通っていた私であったが、高校で倫理社会を勉強する中で様々な哲学に触れ、そして信じていたキリスト教に何となく違和感を感じてしまい。そして逆回心したのかも知れない。

 今から思えば、逆回心はまさに、暗い感情との真正面からの出会いだったようである。回心が信じられないような明るい感情との出会いであることの対極である。

 逆回心、回心は人生を大きく変えるように思う。そして、日本では殆ど話題にされないが、宗教心理学の分野は大切な研究分野であると思う。

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