過去に捉われることは、つまらないことだと最近になってはっきり思う。若い頃ほど過去に捉われていたが、最近では意識して過去への捉われを無くそうと思っている。考え方次第で、大半の過去への捉われは簡単に解消する。
簡単でない捉われは、自分の無意識の世界の中で、昔の傷をそのまま大事に保存しているかのようである。傷を大事にするというのは、どことなく変であるが、意外と大きな問題であるようだ。
自分の生き甲斐追及の道で、無意識に傷を避ける余り、ゆがみがでてしまう。そしてある時、何を避けてきたか、はたと気がつくことがある。
そして、はたとそうした自分に気付くのは、既にどこかで傷を克服しつつあり、大きな変化の前兆であるようにも思う。問題の一端が見え初めているのだから。ただ、いっきに克服することは無理なように思う。人間が直線的に成長するのではなく、螺旋的に少しずつ上昇するのが自然だと聴いたが、真理だと思う。
人間にとって、過去とは何なんだろう?
生きている限り、よりよく生きる可能性があり、その大きなヒントが過去の記憶に関係していると思う。幼虫が蝶にさなぎを通して変身するとき、素材は基本的に同じでも、幼虫は蝶に変われるのだ。
過去の記憶は同じでも、その解釈は意外と本人の自由であり、新しい解釈が人生の糧となる。
こころのどこかに定着している、過去のある場面。それは、意外と、過去のある出来事を、明日のために再解釈してくれと、叫んでいるのかもしれない。
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