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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

どんな時でも幸福になれるか?

2009-02-05 | 第四章「愛とゆるし」

 大企業を辞めてから5年以上になるが、その中で始めの3年はさまざまな資格を取った。福祉の仕事をするために必要な資格などである。

 目標を決めて、必要な受験勉強をし試験をクリアする。計画好きの私の性にあっていたか、殆どうまくいった。ただ、既に3年たつが、ある試験にパスしたとき。嬉しくもあったが、何か空しかった。

 その空しさの意味を、その時考えて、自分の生き方が変わったように思う。暗い感情を熟慮する価値は、ものすごくあると実感した。

 人生の目標を立て、計画をし、クリアする。幸福の条件だてをして、それが実現すれば幸福になれるはずなのにそうでもない。こうした経験は意外とあるようだ。自分だけでなく、例えば受験生が入学して五月病になるということもあり、多くの人も経験することのようでもある。

 たまたま、ふと思い出し、学生時代に読んだ、フランクルの「夜と霧」(みすず書房)をパラパラとめくってみた。その中でいくつか再認識したこと、発見したことがあった。

 アウシュビッツの収容所で、1944年のクリスマスから新年にかけて、沢山の人が亡くなったという記録がある。クリスマスには帰れるだろうという、希望が壊れ、落胆して多くの人が亡くなったようである。希望の持つ怖さでもある。

 そんな記載の他に、若い女性の死が描かれている(170P~171P)。彼女は自分が死ぬことを知っていたが快活であったそうだ。そして自分を内的に成長させて運命に感謝し、バラックの外の一本のカスタニエンの樹の話をする。「あの樹はこう申しましたの。私はここにいるー私はーここにーいる。私はいるのだ。永遠のいのちだ・・・」。

 計画好きの私は、幸福の条件を幸福感と混濁しがちであるようだ。決して長くない人生、本当に大事なことをしていきたい。

<幸福感 2/4>

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