昨晩は久し振りにNHKテレビの「菜の花畑の笑顔と銃弾 」をじっくり観た。アフガニスタンの荒地に現地の方と水路を通し、農業支援をしてきたNGO職員の伊藤和也さんが、昨年8月に殺害されるまでのドキュメンタリーである。
荒野に水路を通し、そして信じられないような美しい菜の花畑で、子供たちの笑顔を撮った写真が印象的であった。荒地が一面黄色の菜の花畑になり、そこで子供たちと至福の時をもつ。よかったなと胸が熱くなった。復興支援とは、こういう喜びがあるのかと思った。
アフガニスタンで、復興に尽力する人々がいる一方、実に自己否定・他者否定を絵にかいたような犯罪者もいる。そしてそのような人を生みだす、政治的状況。伊藤和也氏もそのような犯罪者に殺害されたのだろうか。
最近史記を読んでいるが、その史記を見ても、40万人を生き埋めにしたとか、一族郎党が処刑されたとか、焚書坑儒で儒者が沢山殺害されたなど、沢山の人の死が描かれている。
イラクや9.11などの悲惨な最近の事件や戦争を思い浮かべても、この世は昔も今も涙の谷なんだとあらためて実感してしまう。
自分のことを振り返っても、自己肯定・他者肯定の世界にいられる時は意外と少ないようである。ちょっとしたきっかけで、簡単に自己否定や他者否定の世界にいってしまうし、場合により絶望してしまうことも。
さて、NHKのタイトル「菜の花畑の笑顔と銃弾 」は、とても印象深い対比である。「銃弾」というこの世の悲惨が溢れていても、菜の花畑の至福の時もあるということなのだろう。
身近なところには、至福の時の可能性がある。ほんのちょっとした今という時。
世の中絶望することはない。どんな時でも、至福の時の可能性は残されている。
<自己否定・他者否定 5/6>
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