イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ターミナルケア

2009-02-11 | 第四章「愛とゆるし」

 電話でAさんと話していたら、病院で終末期を迎えたBさんのお話になった。一生懸命尽くされる奥様が、無神経な医師の発言に腹を立てたことなど、御家族や本人のお気持ちを察し暗澹とした気分になってしまった。

 ターミナルケア・・・・終末期のご本人へのケアは、身体だけのケアでは成り立たない。こころのケア、魂のケア(これは宗教家の世界)のバランス良い協調が本来必要なのだ。また、大切な御家族を亡くされた方へのこころのケアも続く。

 さて、源氏物語の最初の巻、「桐壷」の中で、時代は変わるがこうした終末期に関わる描写がある。桐壷の更衣が病が重篤になり、桐壷帝の居る宮中を退出し実家に戻る。そして霊験あらたなる僧による祈祷を受ける。

 僧がひたすら悪霊封じをしていたのか、更衣に宗教家として優しい言葉がけもしたのかは記述がなく、よく分からないが、日本にも終末期に、宗教家が関わる伝統があったようだ。

 「桐壷」では、また、弘黴殿(こきでん)の女御が桐壷の更衣を死に追いやる激しいいじめが描かれ。桐壷の更衣の悲しみ、桐壷帝や桐壷の更衣の母の嘆きや、亡くなってからの深い悲しみが切実に描かれている。

 「尋ねゆく幻もがなつてにても 魂のありかをそこと知るべく」

 桐壷帝の詩であるが、更衣の魂魄の行方を知りたいという、深い愛情と悲しみがにじみでている。そんな、桐壷帝のお気持ちを理解することができない、弘黴殿の女御は、月見をしながら管弦の遊びに興じ、桐壷帝も余りのことに、あっけにとられる。何時の世も、こうしたKY(空気が読めない)があるのだろう。

<自己肯定、他者否定 4/6>

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