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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大震災から見えて来た悲劇の構造!(コミュニケーション 2/10)

2011-05-03 | 第九章「愛」

 東日本大震災からもうすぐ2カ月たつ。それにもかかわらず、その傷痕はまだ深い。私も、詳細は避けるが、東京にあってその影響により日常生活が一変した。理不尽さに、昨日一昨日と怒りを覚えている。

 そんな中、昨日は府中の大国魂神社周辺を友人と散策した。本来であれば創立1900年を祝いながら、にぎわう暗闇祭りが開催されるところであったが、大震災の影響で残念ながら中止となった。しかし、この地は古来から関東の中心、多くの政治機能が集中していたところで、大国魂神社も、創立当時は多摩川沿いの風光明媚なところに聳えていたのだろう。

 有名な欅並木は、排気ガスの影響等で随分枯れたりしているが、神社の裏の欅は元気で、ちょっとした森のようである。大国魂神社の裏(南方面)はお寺があり、そこを散策し、そして友人と一緒に地元では知る人ぞ知るといった某喫茶店に入った。

 友人とは、以前から福祉関係のボランティアを一緒にやっていて、東日本大震災の死者・行方不明が3万人を越え、どのくらいになるのだろうかと話した。その時に、友人が言った言葉が忘れられない。≪日本の自殺者は毎年、年間30,000人を越える。実は東日本大震災と同じような規模なんだ。≫

 今回の東日本大震災は、平安時代にしっかりと記録されている地震と津波の記録を大切にしていればかなり防げただろう。原子力発電所の問題も、薬害エイズ事件の構造に酷似している。公共性のある大事のことで、きちっとしたコミュニケーションが成立していれば、このような悲劇はなかっただろう。

 世界中で車の生産が止まるような優秀な部品を作る同じ日本が、原発での想像を絶するお粗末な実態をさらけ出す。これは、何かがとてもへんなのだ。

 何で、大切なことがもみ消され、悲劇を繰り返すのだろう。恐らく、これは政治の問題以前の基本問題なのだろう。世界大戦やアウシュビッツの悲劇から学んだ戦後の哲学者であるハーバーマスの勉強もしてみたくなった。

 さて、コミュニケーション周辺の問題は、生き甲斐の心理学の理論からもいろいろ考えられる。昨日から10日間考え続けてみたい。特に基本的なことがら、人格形成理論は、こうしたコミュニケーションの問題を語る上でも大切だと思う。私個人の今の怒りも、大人の対応の仕方があると思う。

コミュニケーション 2/10

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