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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

モノ造りもマーケティングも信仰も原型は縄文!(魂で感じる ③ 6/10)

2014-12-05 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今日のマッサンは鴨居社長のマーケティングのセンスとマッサンのモノ造りが山崎選定で不思議な一致。めでたしめでたしだが、今は頭が日本の原郷、縄文なので、どうしても縄文のことを考えてしまう。

 とかく縄文に土器とか製造技術・芸術の原型を見出す人は多いが、マーケティングの原型を見出す人は実に少ない。しかし、調べてみると黒曜石や貝等の製造販売、アスファルト、瑪瑙、ヒスイの日本各地の流通が証明されている。黒曜石など、例えば神津島の原石が伊豆半島東岸に船で運ばれ、基地で加工されて、各地に流通していたことが判っている。

 ということは、デザイン・製造だけでなくサプライチェーンを意識した立派なマーケティング活動が新石器時代に立派にあったということだ。縄文時代から、〇〇姫ご用達のヒスイとかで宣伝もあったかもしれない。

 まあ、新石器文化からケルト文化、そしてスコットランド。その中から生まれたウィスキーを日本で作れたのは、酒造りの伝統だけでなくマーケティングのノウハウがこれまた新石器文化、弥生、有史時代と受けつがれてきた日本文化があったからなのだろう。

 そんなことで、今朝も元気に妄想逞しくしているが、次は信仰の原型について。

 先日の新宿、正受院の奪衣婆像(綿のおばば)の強烈な印象が縄文と繋がっているのでは?という疑問であるが、やはり立派な研究がすでにあって昨日それを偶然見つけてしまった。

 柳田國男さんの「日本の伝説」の中の「咳のおばば様」である。縄文時代からのミシャグチ、宿神の系列に水辺に置くような男女2体の石像があったようだ。どうも、東日本に多く咳のおばば様が信仰の対象となっている事実があるようなのだ。それが仏教的には、閻魔様、奪衣婆像と解釈され、水辺という意味では千手観音の信仰と結びついたり変容したようだ。咳も関というか境界を意味する境や坂から間違って解釈された可能性もありそうだ。奪衣婆像を観て単純に仏教に結びつけてしまうのではなく、その古層の神様にも思いを寄せてみることも大事なようだ。子供の健康を祈ったり、幸福を祈った私たちの祖先。その伝統が今でも行き続いている。

 写真は夏に鎌倉の長谷寺で撮った奪衣婆像。綺麗な池のそばで優しく子供を守っている奪衣婆像。日本人の優しい信仰心の原型なのだろう。

魂で感じる ③ 6/10

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