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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

富士山を見て湧き立つ感情!(富士山 1/10)

2014-12-30 | 第一章「意識と知覚」

 縄文時代はせいぜい1万6千年前からの時代。日本にホモサピエンス(現世人類)が住み着つき始めたのも3-4万年前の話だ。ところが、日本の富士山の歴史は40万年前に遡る。箱根山、愛鷹山の火山活動の開始である。4つのプレートが衝突する複雑な地点に富士山があり、約10万年まえから活動を開始している。小御岳が形成された後に、古富士の火山活動が開始される。2万年前に山体が大崩落し、その後新富士の時代となる。

 祖先たちも富士山の活動に様々な形で影響されたようだ。縄文時代も4500年前から7500年前は火山活動が低調だったためか富士眉月弧文化圏(諏訪、甲府盆地、多摩ニュータウンなど)は活発だった、それを過ぎると祖先はいろいろ営業を受けたようである。

 美しい富士山。小学校のころは休火山だと教えられ、時々見える富士山は平安感の象徴といってもよかった。東海道線に乗ったりしたときに見る富士山は神秘的で、両親も誰もかれもが幸福を分かち合うようで不思議であった。ネガティブな感情は微塵も浮かばなかった。ただ、最近は2000年ころから低周波の振動が観測されたり、東海地震との関係も昔の宝永大爆発の関係から不安視する人もいて、前よりは不安感を募らせるようになったようだ。

 しかし、実際富士山を眺めているときは、いつ起こるか判らない不安よりは、今ここの富士山とそれにより湧き起こる感情が支配する。雲に隠れていたり靄で見えなかったときは、何となくがっかりする。逆に観えれば、その時の光や風や雲に左右され、そして自分の状況により、いろいろな感情が湧くものだ。

 感情は、自分の中の何かに対する期待と現実認識の差異から起こるのだろうから、富士山を見て湧き起こる感情には様々な意味が隠れているはずだ。しかも、富士山自体を見ることで、瞬間的に自分の中のこころの鎧兜である防衛機制はかなり外れているので、感情がストレートに湧くのがわかることが多い。

 数年前に、U先生とその仲間たちによって実現された奈良旅行。その時に、U先生にアースフィーリングの意味を何となく教えていただいた。有名な遺跡や由緒ある神社仏閣で湧く感情。天の香具山で太極拳を経験したときの感情。元薬師寺の遺跡の感情。畝傍山の登山口近くの神社での感情。思い出は尽きないが、観光の意味をその時に深く知ったようだ。

 単に、某所に行った経験があるというアリバイ作りではなく、その地の歴史や意味をある程度理解してから、現地に立つ。光を観るのだ。自分自身の中に湧き起こる様々感情を観る。

 観光により、平安感、幸福感、統御感、親密さ・・・様々なポジティブな感情が、ちらっと見えたり、大いに観えたりするが、反対に何か不安感とか、・・・ネガティブな感情も起こる。それを、のんびりと味わいつつ、その意味を考えることはとても大事だ。

 さらにつっこんで感情の仔細をノートに書き、後で振り返ってみる。その重要性も教えていただいた。感情は、どんな感情が湧いても、それを抱いた自分を決して責めることはない。その意味を考え行動に繋げたりすることが大事なのだ。泥棒が侵入したのを、センサーが感知し犯人を取り押さえる。こうした時にセンサーを悪者扱いにするのは筋違いと同じだ。感情は不思議なセンサーでそれ自体は尊いものだと思う。

 この年末年始は、ちょっと縄文スイッチをオフにして、できるだけリアルな富士山を観て、富士山のことを考えていきたい。ちょうど10日には勉強会もあるので、一年の計を富士山のように高所大所から立ててみることも。

 富士山! 1/10

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