世の中には二通りのタイプがあるようだ。文豪だと漱石タイプと鷗外タイプ。小説に専念する漱石と、医者と小説家を兼務した鷗外。どちらが良いか悪いかは分からないが、私は明らかに鷗外タイプだと思う。
二つ以上の複数の世界で役割を担うのが調子よいタイプのようだ。今の仕事はまさしく多重的なのであるが、40歳、50歳台の働き盛りでもその傾向はあった。
今でも思い出すのは、Aという世界で非常に難儀していたとき、全く関係ないマンションの管理組合の理事をしたことだ。まあ、異質のBという世界で役割を持ったということだろう。そして、そのときはBの世界で随分活躍した。
心理学的に言えば、逃避とか補償といった防衛機制でこころの安定をとったということだが、忙しい中、ボランティア的な仕事で活躍することで、多分それ以上の何かがあったように思う。つまり、Aという世界でもBの世界が影響し頑張り通せたということだ。結果的にはすべてうまくいった。
自分のことで精いっぱいのときに、何もボランティア的な仕事で頑張らなくてもと叱られそうなのだが・・・
役割ということを深く考えてみるとなかなか面白い。自分の人生観の中で役割を捉えなおす。独りよがりではなく他者の存在も含めて考えてみる。役割を遂行するといっても、不足の場合もあれば、過剰の場合もある。限られた時間や資源の中でのことなので、過剰が一番問題なのかもしれない。
そして、自分の場合だが、役割を果たす上で、人の眼を気にした過剰はよくなかった。良い仕事になってない。反対に自分の根から養分を吸い取っての役割行動は自然体で的をつくように思える。
役割は受け身的なもののように考えがちだが、結構能動的に考えられるものだ。そして、そのほうが上手くいく。
こんな風に今朝は独り言を言っているが、皆さまもいかがでしょうか?
役割を考える 2/10