縄文小説を書くとなると、関係するものには何でも興味をもつようになる。ムササビやタヌキ、イノシシ、オオカミの生態はとなると動物園に(多摩動物公園が近いのが幸い)。どんな衣服を着、どんな糸を使っていたのか・・・などとなると埋蔵文化センターの講座を受けたくなる。
どんな言葉を使っていたとなると、日本語やアイヌ語、さらに近くの地名なども見過ごせなくなる。5-6年前のなんとなく停滞しているという感じは全くない。すべてが今は新鮮に見え、興味が湧く。
役割ということをずっと考えてきたが、この役割についても、さまざまな観点を持つことは大事なことかもしれない。父はこうあるべきだ・・・という考えがもしあるとすると、世間の常識や両親や祖父母の影響をずいぶん受けているかもしれない。しかし、5000年前の祖先は、どう考えたのだろうとかを想うと、役割そのものに対する見方が結構変わり、楽になったりもする。
かつて、若かりし頃、初めのコンピュータの営業で苦労したことがあったが、そのときの先輩の助言がよかった。「まさか、殺されることはない・・そんな風に考えてみたら」
生き甲斐の心理学でもフォーカシングという日本でも有名な手法を学ぶが、その中に悩んでいるときに、最悪のケースと最善のケースを考えるということがある。実際は、その中間に落ち着くという着地点を意識することが大事だということだ。その先輩は、特に心理学を勉強していなかったが、生活の知恵ということなのだろう。
役割を考える 10/10