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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

年をとってからの役割と宗教 (役割を考える 6/10)

2016-06-05 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 10年前なら余り考えないことも、前期高齢者となると考えることもある(笑)。家族の一員として、職場の一員として、あるいはある仲間の一員として・・の役割。以前若いころは、「これから、まだまだやらねばならぬ」と気が重くなったりしたが、最近は「いつまで、できるだろうか?」に変わり、やや投げやりな気分になったりもする。

 それは、感情生活でいうと、大なり小なり絶望感と関わりが深いのだろう。やはり、人生の終点である死が近くに感じられるようになってきたのだろう。

 この問題は、回答が基本的にないので、先延ばしにしがちであるが、それも問題のようだ。対応策が全くないようであるが、臨床心理学的には自我統合性あたりをしっかり考えることを教えられる。つまり、宗教・哲学の世界をおろそかにせず真面目に考えるということだ。その中で、役割が新たに意味を持ってくるようだ。

 ところで、この数日、縄文小説の影響もあるが、縄文時代の宗教についていろいろ考えている。ちょっと前に入手した梅原猛氏の「日本冒険」は、以前途中まで読んで放棄した本であるが、魂や霊魂に対する日本人の思想という観点でとても新しく、今真面目に読んでいる。

 仏教では輪廻転生ということが言われるが、縄文時代は輪廻はあるが転生はなく、人は死んであの世に、そして、またこの世に人として誕生するということを繰り返す 熊は熊として繰り返し、貝は貝として繰り返す・・・そんな思想のようだ。このエコが重視される時代にあっては意外に斬新な思想だ。

 キリスト教では永遠の命であり、動物に転生したりすることもなく縄文の宗教に似ているところも多いが、動物の魂や生き物の輪廻などは語られていないと思う

 縄文の時代の宗教の興味は尽きないが、数千年、1万年・・・といったレンジでの祖先も、死を乗り越える思想を真面目に考えていたと考えると胸が熱くなる。いま改めて、宗教や哲学の重要さを再認識してしまう。

役割を考える 6/10

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