イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

魂のあいさつ!(明るい解釈は何故いいか 3/10)

2016-06-29 | 第五章「和解と平和」

 気持ちの良い人間関係はあいさつを抜きに考えられない。家庭でも職場でも、知らない人との関係でも・・・それは、そうなのだが、この2-3日縄文時代の祖先はいったいどのような挨拶をしていたのか、あれこれ考える中、現代の私も含めた人たちが忘れがちな挨拶の本質について考えさせられた。

 今でも、日本人は宗教を信じなくても魂を信じている人は多い。これは、恐らく縄文時代からの文化の影響と私は考えている。そして、縄文時代の宗教を考えたり、その伝統を受け着いた可能性の高いアイヌ文化の宗教や生活を研究したりしていると、魂(永遠性)を持つ人に対する、あいさつとか礼法について驚いてしまう。

 日本人のお辞儀や優しい礼儀は知れ渡っているが、アイヌの挨拶や礼法については知識は皆無であった。しかし、ジョン・バッチェラーの「アイヌの暮らしと伝承」を読んだり、ネットで調べたりすると、その挨拶や礼法は、それこそ神に似た魂をもつ人という考えを実に的確に反映しているようだ。

 男性の挨拶(優雅に手を擦り合わしたり、声を上げたり、いろいろある身体的な挨拶のほか、寅さん映画ではないが、初対面では出自等をしっかり話したり、再会時の抱きあったりの熱い挨拶・・・)。女性に関しても、作法は違うが優雅そのもの。口を手で覆ったり、右手を垂らした左腕の真ん中からなぞるように顔の口の上までなぞる仕草は優雅そのもの。時に再会時などはその挨拶が1時間を超えることもあるという。しかし、それを当たり前と考える社会は何だろうか。

 今の世の中、基本的人権とか人間としての尊厳という言葉はよく聞くが、その奥に隠れた、本当に人を大事に思えるか・・という問題についてはどうだろうか。愛する人なら、簡単かもしれないが、見ず知らずの人や利害が対立したり、嫌いな人に対してはどうだろうか。アイヌの社会では昔、刑事事件等を起こした場合厳しい刑罰はあったそうだが、死刑は無かったそうだ。このあたりも、実に魂との関係で興味のあることだ。

 「生き甲斐の心理学」では人間観をとても大事にしているが、それは、どんな状況でも明るく解釈しようとする基盤になるのだと思う。

明るい解釈は何故いいか 3/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています