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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

多摩の生まれ変わりの物語・・・(役割を考える 7/10)

2016-06-06 | 第一章「意識と知覚」

 4-5年前に友人と近くの高幡不動で勝五郎のお墓に偶然寄ったのがきっかけで、世界的にも有名な生まれ変わりの物語を知った。その後、歴史やアースフィーリング、縄文に興味を持つようになって、あとから考えると、勝五郎にゆかりの場所は結構行っていたのには驚いた。藤蔵、勝五郎の現在の墓(高幡不動、永林寺)、熊野神社、愛宕神社など・・・。昨年末も中央大学で勝五郎の道が紹介されており寄った。

 そして、先日梅原猛氏の日本冒険を読んでいて、この生まれ変わりの話(江戸時代に程久保に住んでいた子供の藤蔵が亡くなり、近くの柚木村に勝五郎として生まれ変わる)は、時の学者、平田篤胤(エリアーデによると、カトリックの三位一体の思想等の影響があるとしている)によって詳細な記録として残され、一躍有名になったということだ。なお、梅原猛氏は、この話を縄文時代の死生観を紹介する中で取り上げている。

 私は、最近縄文小説を書くにあたり偶然、勝五郎の生まれ育った地域を偶然にも何回も足を運んでいて(縄文遺跡の関係から)、そこが縄文時代の雰囲気(道祖神や愛宕神社)をよくのこしていることもあり、とても好きな場所であった。勝五郎の背景の死生観を知り、ちょっと不思議な感じがする。

 詳しくは、日野市郷土資料館のホームページに関連情報が載っている。

 「役割」という意味では脱線気味だが、役割をいろいろ考えていると、その先に日本の家族の構造とか、日本語自体の問題などがでてくるし、当然ながら時代をさかのぼると縄文時代といった五千年前とか一万年前の世界を考えざるを得なくなる。先祖が使った縄文語や家族の構造(母系や父系ではなく双系と言われているが)はどんなものか。役割を哲学するととても深いところに行ってしまいそうだ。

梅雨に入ったそうだが、頭の中はもう夏のように熱くなっている。

役割を考える 7/10

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