イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

バラを嗅ぐ紳士!

2008-12-26 | 第二章「五感と体感」

 先日、夕方の新宿御苑に立ち寄り、バラの写真を撮ろうとしていたら、熟年のカップルがバラの香りを一生懸命に嗅ぎ、紳士が「ああ、いいにおい!」とつぶやいていた。それを聴いて、私もバラの香りを嗅げばよかったのに、その日はいつも以上にシャイで、そのまま通り過ぎてしまった。

 五感と心理療法の結びつきについて、U先生から「生き甲斐の心理学」の勉強の中で教えていただいた。心の傷と五感の関わりの中で、五感を通じてしか癒せないこともあると伺った。確か、臭覚に関しては香道療法がある。残念ながら、その知識はほとんどなく、早速インターネットを通じて即席の勉強をしてみた。

 アロマセラピーという西欧からスタートした芳香療法もあるようであるが、1980年代からの歴史で、室町時代以前からの香道とは歴史がちがうようである。1000年前の源氏物語にも香を楽しむ話は沢山あり、日本の臭いに関する文化の歴史は相当古いようである。

 自分にとって思い出深いのは、20歳台後半(30年近く前)に、奈良の正倉院を見学したことがある。その時、日本の古代が、海外の文化にこれほど影響されていたのかと驚いた。その中で、大きな香木(調べると「黄熟香」と呼ばれるもののようだ)も見学し、この香木を小田信長も切り取り、お香を楽しんだことを知った。

 残虐非道な戦国時代を生き抜く中で、小田信長は香木をどのような心境で求め、そして香を楽しんだのだろうか?興味があるところである。

 今日は、香道研究まで行かないが、おいしいコーヒーの香りを嗅ぎ、できれば美しい花の香りを嗅ぐなどして、臭覚を楽しみたい。

<臭覚1/3>

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言語: 引き継ぐ不思議!

2008-12-25 | 第二章「五感と体感」

 7月に腰越で黄色いサボテンのお花を、Rさんから頂いた。花が終わってから、ひょっとしてと、サボテンの茎?を植えたら根付き、写真のように育った!来年の夏に花は咲くかもしれない。

 Rさん、今でもサボテン楽しんでいます。細かい棘と格闘してお持ちいただいたことに感謝!

 このサボテンではないが、人から人に伝わるものは不思議である。DNAによる身体の継承も不思議であるが、さまざまな引き継ぐもの(文化?)も不思議である。その最たるものは言語である。

 意識して、受験勉強などしたわけではないが、57歳の私は日本語を話したり書いたりすることができる。随分お金と時間を投資した英語などと比べても、2桁も3桁も違う上達ぶりである。

 言語は確実に親や社会から子に引き継がれる。

 ニコラス・ウェイド著「5万年前」(イースト・プレス 1785円)は最新のDNA研究などの知識をもとに書かれた本で、宗教・思想や文化を越えて人類は平和に共存できるかなどを考える上で極めて貴重な情報だ。勿論、新しい知識そのもので感動するが。

 その中に、言語のことも書かれている。現在の地球上には約6000の言語があるそうである。それが、5万年前は、どうも一つの言語だったそうだ。その仮説で祖語を探る研究もある。

 日本語とオーストロアジア系の言語の比較などで、日本語の中に5万年前の祖語が発見されたら楽しいと思う。例えば手(Te)が1を意味するなど。

 2000世代を越えて、引き継がれた祖語の重み、引き継ぐことの重みをじんわり教えてくれるようだ。

<聴覚4/4>

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静寂: クリスマスイブ!

2008-12-24 | 第二章「五感と体感」

 今日はクリスマスイブ。

 クリスマスというと、静寂のイメージがある。雪の日の朝のように、静寂なイメージである。小学生のころは母に連れられて、クリスマスの深夜ミサ(いつもと違い深夜で長ーい)に行き、深夜の静寂に触れたためなのだろうか?

 クリスマスイブの今朝、眼をつぶると、妻が朝の用意で、湯を沸かす音、洗濯機を回す音、朝のテレビのニュースの音、・・・が聞こえる。ちょっと雑然としているが、平和な朝なのだろう。

 聴覚情報は、視覚情報と異なり、眼では見えない物陰の情報が得られる、音波を媒体とする情報である。暗闇の中など、視覚情報が得られない場合は貴重である。

 さらに、身の危険など命との関わり方もなにか深い感じがする。実際、ゲルク派版「チベット死者の書」(学研M文庫、平岡宏一訳)では人が死に逝く中で、視覚より聴覚が後で消失するという興味ある記載がある。臭覚や味覚がさらに後であるのも興味があるが。最新の脳科学ではどうとらえているのだろうか?

 さて、見渡すと24時間光に囲まれているような都会の生活がある。それとともに、暗闇、漆黒の暗闇などは生活の中では、殆ど縁が無くなったようである。闇の中の物音に耳を澄ますことなど、最近まったくない。

 ただ、こうした明るく、視覚中心の文化は、生命40億年の歴史の中ではほんのつい最近、一瞬のようである。今でも、地球では電灯のない生活をしている人も多くいる。電灯が作られたのもせいぜい130年の歴史しかない。源氏物語も闇夜での大きな間違いの物語まである!

 暗闇の物音で時に恐怖を感じたりすること、人間にとって時に必要なことなのかもしれない。恐怖の後の素敵な安堵感。そんな思いで深いこともあった。

 クリスマス・イブ、今日は獣のように深夜に耳を澄ませてみたい。その後の平安を得るために。

<聴覚3/4>

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自分のオト!

2008-12-23 | 第二章「五感と体感」
 生まれてきてから、大人になってからも、いくつかの謎というものがあった。

 何年か前に判ったことの一つは、内部閃光という生理現象であった。暗い所や眼を瞑っていると不思議な色と形が現れ消えたりする現象である。自分の幼いころにもあって、母に訊いたりしたが、納得いく回答が得られなかった。意外に宗教学などで研究されている。

 内部閃光ほど印象的ではないが、幼いころに出会う、自分のオト(音)の謎もあった。耳を手でふさいだりすると、自分の心臓の鼓動が聞こえる。生きている限り心臓は鼓動するものだと教えられ、ずっと聴いていたことがあった。

 ある時、その規則正しい鼓動が、一拍抜けたことがあった。健康なのに発生する不整脈だったのかもしれない。そのときは無知ゆえに吃驚したものである。

 自分のオトは、意識してみると意外にあるものである。あくびをする時の不思議な音、耳を塞いだときの自分の鼓動、静かにしていると自分の呼吸の音も聞こえる。ためいきも聞こえたりする。時として老化の為か耳鳴りもある。勿論話したり歌ったりすれば、自分の声も聞こえる。

 自分のオト以外にも、他人のオトも聞こえる。自然からの様々なオトもある。テレビ等のオトもある。

 オトに対し、不安になったり幸福になったりする。

 不安の原因をのんびり考え、明るく解釈を変えることができれば、楽になれることは「生き甲斐の心理学」で学んだ。オトで不安になることは、自分の場合結構多い。のんびり不安の意味を思索する余裕を持ちたいものだ。

<聴覚2/4>

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幼い頃に聴いた音楽!

2008-12-22 | 第二章「五感と体感」

 最近、仕事の関係から夜型になり、深夜にクラック音楽を聴いたりするようになった。最近は諏訪内晶子氏の弾くシベリウスのバイオリン協奏曲を聴いて感動した。

 音楽は不思議な芸術だとしみじみ想う。一定の時間、演奏者と時間を共有し、瞬間瞬間の音の流れから想起された、イメージや感情を楽しむ。それが、演奏時間の中で、様々に変化し、演奏が終了したときに、特別な経験を味わう。

 知的に思考したりする世界と異なり、何か感情の流れといったものの不思議な経験をする。特に、音楽を聴いて知的になったりするわけではないが、良い音楽を聴くと、人生にプラスになったような感動的な経験をすることもある。

 様々な芸術の中でも、音楽は古今東西の教育の中で大切にされているようである。

 私が幼稚園に通っていたときに聴いた、シューマンのトロイメライ、モーツアルトのトルコ行進曲など、心に残る音楽がいくつかある。クラシックでなくても、童謡もある。幼いころ聴いて美しいと想った音楽は、大人になってからも、潜在意識の中で愛の原型などに影響しているのかもしれない。

 高齢者施設で、懐かしい音楽を歌ったり聴いたりする機会があったが、私も含めて楽しいひと時であった。お顔が輝くのを感じたこともある。

<聴覚1/4>

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