イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

オバマ大統領の自叙伝を読みながら・・・

2009-02-18 | 第四章「愛とゆるし」

  バラク・オバマ自叙伝の「マイドリーム」を読んでいると、アフリカ系アメリカ人を父にもち、白人を母にもつ大変さについて実に考えさせられる。

 私も、7歳のとき(1950年代後半)に、一年弱両親とアラスカに暮らした。言語が違ったり、文化が違ったり(例えば子供観は、日本と米国で明らかに違う。)、その中で同じはずの自分が様々な影響を受けた経験だ。しかし、私の両親は同じ日本人であり、オバマ大統領とは比べようもない。

 オバマ大統領が、米国大統領にこの極めて重要な時期になったことに、自伝を読みながら感動を覚える。大統領就任式での演説で、あれほど多くの一般国民が泣いたのは理由があるのだと思う。

 日本人も、弥生時代から古代にかけて、大量の難民が日本に辿りつき、アメリカと同じような人種の坩堝の時代を経て統一されていく。私たちの祖先もオバマ大統領の苦しみを味わったかもしれない。

 自分の青春時代の暗い感情の基底に想いを寄せると、アラスカの経験の影響があるのかなと思うことがある。余り根拠のない自己否定的な気分である。6歳の頃の幼友達の交通事故死もあるが。

 世の中は、自己否定させるようなことに満ちているともいえる。その中にあっても、愛そのものの魂が自分の中のどこかにあると信じた方が、人生は豊になると思う。

<自己否定、他者肯定 5/6>

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物語の威力!(卒業を見ながら)

2009-02-17 | 第四章「愛とゆるし」

 昨晩、You Tubeで懐かしい映像や音楽を楽しんだ。ビートルズのYesterdayは、何とアクセス数が東京の人口に匹敵する、一千万件を超えていた!凄い盛況ぶりである。

 映像をいろいろ探したが、やはり、10代後半から20代にかけて日常の中で触れた、音楽や映画関係が多い。若い頃は、ナツメロを見たり聞いたりする、両親や祖父母の世代をクールに見ていたものだ。自分がナツメロを楽しむとは想像もしていなかった。

 しかし、きっとこれはDNAに刻まれた、奥深い人生の仕組みだと思いつつ、卑下しないようにしよう。

 高校生のころ、良く聴いたサイモンとガーファンクルの音楽。また、その音楽がバックに流れている、映画「卒業」。ダスティンホフマンやキャサリンロス。そんな映像を探し、感動しつつ見入った。

 最近、古今東西の各種物語や童話に凝っている。生き甲斐の心理学で得た知識や、深層心理のことを考えながら読むとさらに興味が湧く。

 世界的な名著とされているものは、本当に奥行きがあり感心してしまう。

 そんな、眼で、You Tubeの「卒業」の懐かしのラストシーンを見た。興味のある方はここを

 若いころに、この映画を見て、何か凄いものをを感じ取ったようである。映画は、視覚・聴覚など五感に訴えかけ、強烈な印象を残す。

 物語とは何であろうか?そんなとりとめのないことも考えてしまう。自分の人生ではないが、何か自分の人生にも近かったりで、とても参考になる未経験の経験を味わうのだろうか。

 このラストシーンは、当時若かった自分の結婚や職業、両親との関係、信仰などの問題に触れる何かだったように思う。

 何かというより、愛の問題だったのかもしれない。

<自己否定、他者肯定 4/6>

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子ブタマン!

2009-02-16 | 第四章「愛とゆるし」

 妻が買ってきた、子ブタマン(関東ではニクマンというが、関西ではブタマンという)。余りのかわいらしさに、家族で写真撮影会をしてしまった。

 その後で、少し罪悪感を感じつつ、子ブタマンを皆で食べてしまった。

 最近、史記やシェークスピアを読み、マクベス王の王妃の残虐非道と罪悪感を感じての自殺、籠城して食糧不足から自分の子供を交換して殺してしまい、罪悪感から決死隊に応募する逸話など、罪悪感に関することを考えていたので、子ブタマンは印象的であった。

 罪悪感は、自分の人生の中でも、ちょっと感じる程度のものから、強烈なものまであり、強烈なものは、人生を左右するほどだなと思う。光と影という言葉があるが、罪悪感の影が強烈なほど、何か人生に光をもたらすこともあると思う。

 考えようによっては、罪悪感はめぐみの第一段階かもしれない。勿論悪いことをすることを勧めるわけでは全くないが・・・

<自己否定、他者肯定 3/6>

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創造!

2009-02-15 | 第四章「愛とゆるし」

 1970年代前半の大学生時代。従兄から教えてもらった、当時同志社大教授の市川亀久弥教授の著作に熱中したことがある。創造工学という聞きなれない学問であった。

 等価変換理論や天才の事例研究など、時折発刊される本や雑誌を、貪るように読んだことが懐かしい。文学部の先輩の創造性に関する卒論を手伝ったり、少しでも近い勉強をしたいということで、工学部で実験心理学の分野の卒論研究をした。

 今から、考えると、何故そのようなことに熱中したのか不思議である。創造という、何か得体のしれないものの仕組みを知りたかったのだろうか。青春期の何となく暗い感情の毎日の中での、生き甲斐追及の一つであったようだ。

 さて、この10年近く「生き甲斐の心理学」を勉強してきたが、この創造工学の研究についても、再度関心が湧いている。その一つは、無意識の意識化、観点の変更(強いて言えば体験の解釈が変わること)が同じように重要なポイントであることだ。

 そして、もうひとつは当時はその意味を深く考えなかったが、創造ということの解釈が奥深いものであることがだんだん判ってきたこともある。

 「創造は、純粋な愛の行いであり、純粋な愛があふれ、ほとばしり出たものである。」(神のめぐみとは カトリック全書23 J・ドージャ 67ページ)

 本当の生き甲斐追及の旅、あるいは日々の個人の苦難のなかでの悟りに似た変化も、考えてみれば、創造の一つと言っても良いであろう。

 何か無意識の世界と触れあう、神秘的な世界からの贈り物でもある創造である。

<自己否定、他者肯定 2/6>

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イチゴが熟してきた!

2009-02-14 | 第四章「愛とゆるし」

 ベランダのイチゴも色づき、大きくなってきた。数少ない収穫を、妻や子供と、そして犬のノコと分かち合い食べる。次はいつごろか楽しみでもある。

 昨日は春一番も吹き、イチゴだけでなく、いよいよ春本番であるが、杉花粉も本格化している。天気予報も花粉情報を真っ先にみるようになる。インターネットはそこが便利である。花粉症の同志の方はこちらを

 さて、これから6回、自己否定、他者肯定について楽しんで考えていきたい。まずは、軽い自己否定と他者肯定の思い出から。

 小学校高学年になったころであったか、家の二階にあった、古い父の本棚を時々で覗いていた。大人の世界を覗くような感じであった。文学、哲学、建築関係の図書に他に分厚い、高木貞二著の「解析概論」という本があった。

 難しい、記号が散りばめられ、大人の世界を垣間見た思いがした。そして、父とその話をしているうちに、微分・積分という言葉を知った。そして、父から「中学、高校と勉強をしていけば、微分・積分も判るようになる。」

 そんな父の言葉を、父への尊敬と、自分へのちょっとした劣等感、将来への希望で受け入れた。確かに、大学生になり、何とか理解できるようになり、ちょっとした成功体験を得たようだ。軽い自己否定・他者肯定の世界は、人生にとって成長を促す原動力になるようである。

 生徒と良き師との関わりも、恐らく本質的に自己否定・他者肯定の劣等感の世界からスタートするのだと思う。劣等感も成長への一歩となるようである。

 イチゴが熟している、明日は食べごろかもしれない。

<自己否定、他者肯定 1/6>

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