イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

むかついたり・・・こころの流れを追う効用!(愛の舞台 5/10)

2011-05-26 | 第十章「今ここでの恩寵」

 朝起きてから、寝るまで。感情の流れを振り返ったりして、意識すると、自分のある種のパターンに気づくことがある。「わかちゃいるけど止められない」。Aパターン。そんな自分を封印して感情転移するのか、ちょっとしたことに腹を立てたりする。Bパターン。

 そういう感情の動きの他に、こころの流れを意識することもあるようだ。あるテーマ(例えばタイプA)でかなりむかついていても、自分のいつもの和解のプロセスで回復して、2-3日後にはいつものように元に戻るなと楽観したりすることだ。そしてそういう方向に実際になることも少なくない。

 

 さらに、生き甲斐の心理学の学びを深めていくと、タイプAの喜怒哀楽の背景に、隠れた自分の成育史上の特長を優しく発見することもある。昨日の動物園のチンパンジーの母と子のやり取りの中で、ふと発見した親子の真実もそうであった。こうした時、無意識のレベルで変化があるようだ。

 こうした自己修復というか、そういうこころの流れを経験すること。これは、生き甲斐の心理学の学びで、私の場合経験したのであるが、こころの健全性を高めるためにとても有効だと思う。

 ただ、それには前提が一つあるのだと思う。自分の自己実現。①自分は何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分(身体、こころ、魂)を大切にしているか?この三つの問いかけを忘れないことだと思う。

 

愛の舞台 5/10

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イキイキと自分の性格に向き合う為に!(愛の舞台4/10)

2011-05-25 | 第十章「今ここでの恩寵」

 イキイキと自己実現の道を歩むには、日々の暗い感情の支配から、解釈を変えながら極力明るい感情にすることで、こころの防衛機制から解放され、自分の歩む道を見えやすくすることが一つのポイントになる。

 そして、その方法論としての性格形成の心理学も、学ぶ人にとって、自己肯定・他者肯定の方向に向きやすい理論が良いようだ(生き甲斐の心理学 121ページ)。

 私の場合、思い当たることがいくつかある。一つは知能テストなど特性・因子理論に対する想いである。大学生の時、行動科学の研究室で学習理論を研究したのだが、その時に、様々なテストを使ったことがあった。研究にはとても役立ったが、それを使う自分自身にとっては何か抵抗があった。恐らく、成育史から特性・因子理論が自己否定や他者否定に向かわせた何かがあったのだろう。

 もう一つは、大学3年の時に良く読んだ、フランクルの理論である。何処まで理解したのか良く判らないがあるが、実存主義的理論は、やはり成育史から見て、自分に合わない理論だったのだろう。考えてみれば、高校生のころに齧ったニーチェなども、自分には心理的に合わない理論だった。

 若いころは、防衛機制の塊のようで、勇ましい理論、歯切れのよい理論が魅力的であったが、実際この年になって、自分弱さを始め、人のありようの経験から、自分に合う理論を大切にしたいと思う。

 さて、昨日は楽しい経験を動物園でした。雨の中、屋根のあるところに沢山の猿が集まっていて、母親のチンパンジーと子供のチンパンジーのやりとりを近くでみることができた。悪戯をする子供に、母親が怒る様は、人格形成論や自己愛の問題を考える上でとても参考になる。次のYouTube映像をご覧ください。

http://youtu.be/vIeE34RknYc

 この動物園心理学?!は、自己肯定・他者肯定に向かわせる理論であることは確かだ!

愛の舞台 4/10

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ほとばしる感情に出会う練習!(愛の舞台3/10)

2011-05-24 | 第十章「今ここでの恩寵」

自分のリアルな感情を、生き甲斐の心理学を学び初めてから意識するようになった。

新しい人との出会い、芸術や書物、旅行や経験など人生を豊かにする事柄はいろいろあるが、ほとばしるような感情との出会いを忘れてはならない。余りに個人的なので、そのことを言葉にする人は少ないが、私はそう思う。

私が心理療法などに関心を持ち初めたのは、サラリーマン生活の真っ只中、四十歳台であった。心理療法やカウンセリングでは感情の話しが実に多い。始めは、異文化体験のようであったが、だんだん納得するようになってきた。

感情は、人の根幹に触れる何か大切なものに近づく通路のように思えてならない。

人生のありようを変えるような統御感、燃えるような怒り、予想もしなかった虚しさ。・・・そういうほとばしる感情を経験し、静かにその意味を思索するなかで、随分自分は大切なコトを学んだように思う。

ただ、自分の感情を知るためには、訓練も必要だ。ビジネスの世界でも、管理者訓練として、感受性訓練をとり入れている会社の話を聴いたことがあるが、良き先生に恵まれれば、きっと効果があっただろう。お薦めは、生き甲斐の心理学の勉強会などに出かけることである。

ただ、時間とコストをかけなくても、ちょっとした工夫でできることもある。好きか嫌いか、怖いか怖くないかを日常の中で意識する練習などである。私は、ブログ用に写真を撮ることを4-5年続けているが、こころに引っかかる被写体を見つけることが、ちょっとした練習になっているようだ。

そのほかにも、気楽に日常生活で訓練できることもあるように思う。太極拳・気功の関心も関係あるかもしれない。今朝もでかけた動物園ウォチングも、何かあるようにも。皆さんは如何ですか?

愛の舞台 3/10

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心理学の魅力はどこ?(愛の舞台 2/10)

2011-05-23 | 第十章「今ここでの恩寵」

 私が若いころは、心理学というと、催眠術とか超能力の研究とか、夢判断、性格分析などいろいろ話題豊富・刺激的ですらあった。そして、一時はそういう本などを読み漁ったものだ(だいたい、良く判らなかったが)。

 ただ、心理学も学問的に成熟しつつある現在、かつて話題性のあったこともも実効がないのか廃れてしまったものも多いようである。そして、今は、心理学の魅力は、腰を据えて吟味する時期なのかもしれない。

 人はともかく、自分にとって心理学(U先生の生き甲斐の心理学を11年勉強しているが)の魅力は何だろう?

 身近な人のこころの病をいやしたり、予防することに役立ってもらう。それもある。ただ、自己の探求や自己実現をするための大事な道案内ということも大きな魅力である。

 例えば、私はカトリック(キリスト教)の母のもとで、幼児洗礼をし、キリスト教的な雰囲気のなか成長していったが、中学、高校、大学と成長する中で、順調にカトリックから離れて行った。妻とはカトリック式で結婚したが、こころの内は不可知論的であった。

 そんな私が40歳台のある瞬間に、こころの底から宗教(私の場合はカトリックだが)に目覚めた。それは、凄い精神力動であった。その一日のことは今でも忘れられない。しかし、そういう分野も欧米を中心に心理学の対象として研究されているのだ(日本人は殆ど知らないが)。

 この11年間、心理学の勉強をするなか、仕事も変わった。多様な人との関わりが多い仕事についていると、様々なこころの動きや美しさを垣間見る機会が与えられる。福祉の仕事で、認知症の高齢者の方々ともお付き合いの機会を頂いた(一年であったが)。

 その中、ある春の日に、人生の大先輩を車いすでおしながら、二人きりで、こころゆくまでお花見をした経験が忘れ難い。今ここに咲く桜を見ながら、一緒に今ここの幸福感に浸る(過去を思い出すのではなく)。この幸福感の謎も一つである(別に、人生の大事なイベントに成功したわけでもなく、共通の思想や宗教があるわけでもない)。

 そんなこと(<今ここ>の不思議さ)が、私にとっての魅力なのだろう。

愛の舞台 2/10

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「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」(愛の舞台 1/10)

2011-05-22 | 第十章「今ここでの恩寵」

久しぶりに関西に来た。大震災の影響でなんとなくギスギスしている東京と違いゆったりとした空気を感じてしまう。

しかも,新大阪や梅田の駅も改修してたり改修後いで活気も感じた(道に迷ったりも)。

さて,今朝目覚めの時,持統天皇の表題の歌が浮かんだ。

昨晩の楽しい語らいのせいか。あるいは肌で感じる季節感からか。

天武天皇や藤原不比等と一緒に日本の今に続くありようが創られた時期。女帝は何を肌で感じ生きていたてのだろう。

この歌は様々に解釈されているが、わたしは歴史学者で陰陽の大家,吉野裕子氏の解釈が好きだ。

氏はこの歌を昼でなく夜読んだとする。しかも「白妙の衣ほすてふ」は夜空のスバルだと推察している。

女帝の成育史や香久山に衣を干すかと考えると,この歌の「今ここ」を朔の月のない夜に輝くプレヤデス星団とイメージすると凄い。かつてサラリーマンにカラオケで愛唱された昴の原形かもしれない。

愛の舞台 1/10

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