イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文のアースフィーリング!(縄文からの風 ⑤ 10/10)

2015-03-06 | 第九章「愛」

  花粉症で外出したくないのであるが、昨日は「加賀町二丁目遺跡」の周辺のアースフィーリングを感じるべく都心にいってしまった。今月8日より、約5000年前の縄文人の骨なども展示されるという新宿歴史博物館の展示会場で、「生き甲斐の心理学」の勉強会を3月20日に開催するための事前準備であった。

 加賀町二丁目遺跡そのものはマンションが立ってしまって跡形もないとのことで、その地近くを徘徊して、アースフィーリングを感じるのが一番の目的。

 

 遺跡周辺は南側に靖国通り(当時は川が流れていた)と、西側の外苑東通り(こちらも川が流れていた)に挟まれた、ちょっとした丘なのだが、縄文遺跡がだいたいそうなのだが、気持ちのよい風が吹いたりする。近くの小学校の子供たちが下校するころであったので、へんなオジサンに間違われないよう、ちょっと気を遣ったりした。なだらかな傾斜(坂)を感じながら歩くと、縄文人もきっと同じように坂を感じたのだろうと楽しい妄想の世界に。

 名所旧跡に行く場合、私もかつてそうであったが、そこに行ったぞという証拠の写真をとったり、記念品を買ったり、・・・こういうことも楽しいのであるが、また、例えば加賀町二丁目遺跡報告書をなめるように拝読するのも楽しいかもしれないが、何もせずのんびりと湧き起こる自分の感情を観察するというのも一興なのだ。

 散策するなかで沈丁花を見つけが、その甘い香りは、早春のかおりそのものだった。

縄文からの風⑤ 10/10

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遠い祖先はどんな宗教を信じていたのだろう?(縄文からの風 9/10)

2015-03-05 | 第九章「愛」

 縄文時代の土偶はだいたい女神のようだ。新石器時代は日本だけでなく、世界的にも古いほど女神の傾向が強くなる。私は男性なのでちょっと寂しい気がするが、吉田敦彦さんによると「大地母神信仰が人間の宗教の一番古い形」*1だそうだ。昨年から縄文の勉強をしているが、中国やシリア、あるいはヨーロッパの新石器時代の資料等を見ても、やはり女神だ。

 人間はやはり食べるものが基本。狩猟する獲物、栽培する穀物等、漁労・・・その糧は、大地に根づいている。母なる大地から全ては生まれる。有名なヨーロッパの洞窟の壁画も、大地深く、女性の産道のような洞窟深く、獲物がこの世に湧いてくれるように?綺麗に描かれる。日本神話のオオゲツヒメやウケモチノカミも、穀物の豊穣祈願と結びつく。土偶が割られて見つかるというのも、そんな背景を感じさせる。中央高速の釈迦堂インターの博物館(パーキングエリアから入れる)に行けば、縄文時代の迫力ある地母神信仰を味わうことができる。

 怒られてしまうかもしれないが、観音信仰やマリア信仰も、地母神信仰の根と関わりがあると言えるのではないだろうか。記紀のアマテラスが女神であるというのも、縄文からの伝統を考えると何か頷けるものがある。

 さて、自分の中の愛のイメージを考えると、やはり大地母神ではないが、女性的な慈しみとか癒しとか、そういう情緒的なイメージが大きく深いことは確かだ。しかし、最近は愛を真善美からいろいろ考えている。善悪とか真理とか・・・そういう要素のある愛というのも当然ながら考えられるわけである(恐らく、人類は愛の真善美についていろいろ思索をしただろう)。そして、自分の道は真善美のどれなのかとか、他人はどうなのだろうかとか、いろいろ妄想してしまう。

*1 「縄文謎の扉を開く」(縄文文化輝く会 松久保秀胤監修 冨山房インターナショナル)36P 土偶に見る縄文人の女神信仰 吉田敦彦著を参考にしました、ありがとうございました。

*写真は、天の香具山の山頂からの夕日。一昨年今頃の季節にとった写真です。

縄文からの風⑤ 9/10

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日本の和を貴ぶ思想はどこから?(縄文からの風 ⑤ 8/10)

2015-03-04 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日は、腰越でU先生の勉強会があった。お題は「無防備」。傾聴という心理学の中で実に奥が深く大切な分野にもつながるお題である。

 その勉強会を受けて、昨日から無防備のことを考えていた。無防備ゆえに、自分のこころの奥が見えて選択がうまくできた・・・ということもあるが、無防備ゆえに、階段を外されて絶句した。こんな経験は誰にでもあるだろう。

 比較文化や比較宗教などの観点から無防備はいろいろ楽しい想像をめぐらすことができる。海外に行って、犯罪に巻き込まれたことは良く聴く。今も、まだ美風は残っているが、田舎に行くと玄関に鍵がかかっていないのは日本では当たり前だった。島国?なのか、縄文の美風が残っているのか、日本は無防備だ。

 縄文時代。弥生時代は戦争が多発したが、縄文時代は、個人的な戦いはあったようだが、集団的な大規模戦争はなかったようだ。

 さて、時代は下がるが、日本書紀の推古天皇のところに十七条憲法がでてくる。これは聖徳太子が考案したとされるが、これを巡って井沢元彦氏が『逆説の日本史』で、和が「わ」というヤマト言葉であること。さらに第一条に「和をもって尊しとなす」を置く意味について一石を投じた。議論をつくし仲良くする・・・それが、仏法等のイデオロギーより大事で起源はかなり古い・・・そんな論旨であった。

 さて、縄文時代は環状に竪穴式住居があり、中央に墓地や祭祀の広場を置くことが多いのが定説である。私の住居に近くの堀之内のNo.72遺跡もそうした環状遺跡で、東西200m、南北90mの範囲に住居が巡っている。厳しいヒエラルキーをもった大陸系文化ではなく(階層はあったと思うが)まさに、和をもって尊しとなす住居だったように見える。

 そして、井沢氏のように何故、この和が第一条にあり、仏教信仰が第二条、天皇に従うことが第三条なのかを思いめぐらした。縄文時代は、日本列島はもともと多民族国家であったことは定説になってきている。恐らく、宗教等もそれなりに部族間で異なっていたのだろう。その中で和を保つことは、実はかなり強烈な論理的背景がなければならないのではと思う。メタ宗教的な何か、それは何であっただろう。

 神話には、神々の起源の神話が各地に残っている。私は、以前ブログで述べたが、それが二通りあったように思えてならない。一つは混沌という物質世界が前提の神。もう一つは、その混沌とは無関係に存在する神だ。そして、和の思想に親和的な神はと思いめぐらせると、混沌とは無関係に存在する神ではないかと思うのだ。混沌から生まれたA神、B神、C神・・・・。これらに優劣はつけにくいし、優劣をつける基本的な基準はあるように思えないのだ。しかし後者の「ある」という名の神は、直観的に把握できるからだ。

 縄文時代、日本列島では大きな戦争もなく、恐らく大陸の文化と比べると人と人の争いで命を落とすことの実に少ない時だったと思う(この影響が、例えば、現代日本は自死は多いので自慢はできないが、他殺が実に少ない)。その背景には、私は自然災害が多かったという要素も無視できないと思う。戦争をするより自然に打ちのめされることが多かったのではないか。特に縄文中期以降は寒冷化で人口はどんどん減っていく。それも数十年という単位でなく数千年という単位での右肩下がりなのだ。そんな中では、どのような神が直観されるのだろうか。

 私たちの祖先は、筆舌に尽くせないような苦難の中を生き抜いてきたことは間違いない。その中で、精神的な文化(文字が無かったので残せないが)が逆に深まったのだろう。そして、その中でも生き抜いてきた神、それは「ある」という名の神だったのでは・・・そんなことを妄想してしまう。

縄文からの風⑤ 8/10

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心理学と美!(縄文からの風 ⑤ 7/10)

2015-03-02 | 第九章「愛」

 学生時代のときの論文では、レンズモデルという数理的モデルを使って学習理論の研究をしたのだが、数理モデルは実に美しく心酔したが、人を扱う実験心理学にはちょっと幻滅した。というのは、統計の話で美をまったく感じなかったからである。個人の性格の美しさなどは統計データなどから出るはずがない。

 その後、等価変換創造理論という日本の学者が考案した理論にはずっと心酔してきた。これは、やはり美しかったし、感動のシミュレーションなど芸術分野にも応用できる研究だったからである。そして、この理論への興味は40年以上続いている。

 そして、生き甲斐の心理学に出会う。15年くらいの月日が流れたが依然として私にとってはとても魅力的だ。その理由の一つは、人格や個性を無味乾燥的に論じるのではなく、個性の「美」を論じるという不思議な広がりがあるからだ。そうでなければ、木が多い私は直ぐ辞めていたと思う。

 しかし、個性の「美」に着目するのは、今考えると素晴らしいことだと思う。というのは、心の勉強はやはり自分のことを知らなければ勉強は進まないと思うからである。そして、人(自分を含め)を受容したり共感することがその条件になるが、「美」はそのために必要な視座だと思う。

 自分の美について思索し追及すること。これは大事なことだと思う。普通はなかなか気が付かない。

 蛇足だが、縄文時代はどうだったのだろう。現代以上におしゃれを好む時代という説を聴いたことがある。きっと個性の美を大事にした時代だったと思うのだが。

縄文からの風⑤ 7/10

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個性的なのか異常なのか?(縄文からの風 ⑤ 6/10)

2015-03-01 | 第八章「魂と聖霊」

 自分の生育史をいろいろ吟味していると、それを解釈する諸理論があるのだが、それについていろいろ考えてしまう。

 例えば、私が12年前に会社を辞めたとき、これをどう心理学的に解釈するかということがあったとする。一人は14の防衛機制で説明したりする。あるいは、現実吟味力から考えたりする。アイデンティティの問題として別の人は見るかもしれない。まあ、いろいろだろう。

 その中で、個性の発現という見方もあり、異常という見方もあったりする。これは難しい問題だと思う。

 ある個性は縄文時代には十分受け入れられ、現代では全く受け入れられずひょっとすると生物精神医学的な薬物療法を受けさせられたりするかもしれない。もちろん、その反対も。

 個性か異常かはプロセススケールで判断するというお知恵もあり、私もそうかなと思う。

 判断される人はたまらないが、個性を考えるとき避けて通れない問題であるし、人間の魂とは何かなど、関係深い問題であることが判る。

縄文からの風⑤ 6/10

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