イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ゆるしを考える!(縄文からの風 ⑥ 5/10)

2015-03-12 | 第九章「愛」

 さて、今日はどういうわけか、ゆるしという言葉の意味。自分の一番ピタリとしるゆるしのことを考えていた。そして、元の日本語(やまと言葉)の意味は、どうも「拘束が緩められること」そんな意味らしいが、私は、それが一番ぴたりと来る。

 権威を背景に、許可をするとか、罪を赦すとかそういうものは私はなにかちょっと違う感じがする(勿論、これは人によると思うが)。

 やはり、拘束が緩められる。ゆるゆる・・・こんなイメージが好きなのだ。

 そして、それは自由という言外の意味が付加されるようにも思う。自由・・・一昔前は特別の語感があったが、最近は自由という言葉は、自己責任という言葉が出てから変質してきたように思う。なんというか自己責任という言葉で、自由が本来の自由でなくなったような。

 ゆるしは自由、解放というニュアンスが元々あるようだ。

縄文からの風⑥ 5/10

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アイデアが泉のように湧き出す場所?(縄文からの風 ⑥ 4/10)

2015-03-10 | 第八章「魂と聖霊」

 今日のマッサンのように、いつ爆撃を受けるかなど緊張している時は、当然ながら防備だらけで、こころの鎧兜もしっかりとつけているイメージだろう。こういう時は、へんに油断もしていないので、大きなけがは相手次第かもしれないが、あまり負わない。

 しかし、自分はどうしたらよいかとか、何か現状を打破するアイデアはなど、心が閉ざされているので出てこないのがふつうだ。心理学的には防衛機制を張り巡らしている状態で、こころの内奥の微妙な感情などは読み取れないということなのだろう。いい考えなどは浮かばないのも当然だ。

 では、どういうときが良いアイデアがうまれたり、自分の防衛機制をなるべく解いてリラックスしつつ、アイデアが湧いてくるようにするのか。調べてみると、・・・ 中国の三上という言葉があった。馬上、枕上、厠上・・・

乗り物に乗っている時。のんびりと横になっている時、トイレにいるとき。何となくそうかなと思う。私の場合は、さらに、一人でのんびり歩いている時、公園でボーとしている時。風呂に入っているとき。気の合う人とたわいのない話をしている時なども上位に入ると思う。さらに、旅行をしている時、名所旧跡をのんびり楽しんでいる時・・・こういうものもある。その場合も、気の合う人が一緒か、あるいは一人だけかがポイントだ。

今でも懐かしく思うのは、天の香具山の頂上を訪れた時、当麻寺で古い仏像も観ていた時、まあ、こういう時はアイデアが生まれるというより、魂が震えるというか、リラックスしているのだけでど、自分の心の中が実に活性化している・・・そんなイメージだ。

縄文からの風⑥ 4/10

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自分に一番影響を与えているのは?(縄文からの風 ⑤ 3/10)

2015-03-09 | 第九章「愛」

 縄文前期というか、一番温暖だったころの関東一円の地図を今日は、いろいろな地図から推し量ったりしていた。そして、私がいつも都心から八王子のこの地までくるのはだいたい電車なのであるが、舟のがよっぽど速いかななどと妄想していた。

 歴史小説も有史以来の題材が殆どのようだが、その時の時代背景としての地理はそれほど変わっていないものだ。しかし、縄文中期とか氷河期がおわったころの旧石器時代の終わりなどは、想像をはるかに越えて違っている。そういうこともあることを知ると、世の中の見方がかなり変わる。

 ところで、今日のお題目だが「自分に一番影響を与えているのは?」である。とかく、テレビなどをみていたりすると、「親」とか「家族」と応えてしまいがちだが、先ほどまでのんびりと風呂に入って妄想していると、もう還暦のすぎた私にとって、両親の影響は勿論あるものの、それほどでもないかなと思う。学校での先生や友人の影響、社会人になってからは会社とか先輩とか・・・まあいろいろあり、それなりに長いお付き合いの為か影響は大きいと思う。

 自分の場合はどうか?それは一人ひとり違うのだと思う。そして、のんびりと風呂に入ったりしているとき、まあ、暇なときに囚われを無くして考えると、自分の中の常識というか思い込みが音をたてて崩れることもあるように思う。もちろん、人それぞれであるが。

縄文からの風⑥ 3/10

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父の不在は良いことなのだろうか? (縄文からの風 ⑥ 2/10)

2015-03-08 | 第八章「魂と聖霊」

 今朝の日曜美術館のイコン作家「山下りん」さんの御話しは感動した。あの東北でロシア正教が受け入れられていくお話。山下さんのイコンの美しさには深く感動するものがあった。

 この放映のなかに、ニコライさんが東北の窮状(飢饉や間引き)を嘆き、それが文書で残されていたが、当時の厳しい東北を思った。そして、生活の厳しさは縄文でも似ていたかもしれない・・・そんな風に感じたのだった。特に、縄文中期から晩期にかけては寒冷化で東日本は右肩下がりの時代だったのだ。テレビのお話では山下りんさんのイコンを拝見することで癒されるのだが、縄文の人たちも当時の信仰を通してきっと癒されたのだろう。

 さて、今日は昨日の延長で、家族と個性を考えている。今朝は特に父親のことを考えている。父親と子の関係だ。私の父は24年前に亡くなったが、幼いころの記憶は、だいたい不在の父であった。仕事中心で、朝早くから夜遅くまで。休日はゴルフ。一昔前はそういう企業戦士も多かったのだろう。

 しかし、こうした父の不在は縄文時代から続いていたのでは?、縄文時代は母系社会だったという説も根強いようだ。そして、今でも奥さんから小遣いをもらう男性も多いようだが、これは縄文からの美風ではないかと私は思っている(笑)。縄文時代は生活の中心は女性で資産(食べ物、住居、衣服)の多くは女性が所持していたのかもしれない。そんな中、男性の役割は何だったのか?最近、縄文時代の交易が凄かったことが判ってきた。また、狩猟や漁労は男性中心ということも推定される。そんなことから、縄文時代も父親の外出、そして不在が一般的だったのではと妄想している。

 ところで、父親の不在は子供にとって問題なのだろうか。私の父が夕方になると家に帰ってきて、一緒に食事をとり、テレビを観たり、ゲームをしたり・・・それも毎日。そのうち、何となく子供に自分の夢を託してきたりする・・・ひょっとしたら煩わしくなってくるかもしれない。孤独もつらいが過剰な関係もつらいと思う。特に、父親が自分の道を歩むでもなく、子供に過度に摂取するとか感情転移するとか・・・これは父親にとっても子供にとっても悲劇になる可能性があるだろう。

 父は24年前に亡くなったが、父の写真が家のなかで額に入って飾られているので、ときどき見る。山下りんさんのイコンとは違うが、何かを語っているように思うことがある。自分と父は違うが、といって全くの他人でもない。不思議な関係なのかもしれない。

縄文からの風⑥ 2/10

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家族と個性の関係の不思議・・・(縄文からの風 ⑥ 1/10)

2015-03-07 | 第九章「愛」

 三内丸山遺跡には、東西420mの道の両側に500基を越えるお墓が5000年前から約500年間は作られてきたようだ。道を挟んで頭を向い合せるように(北または南)並んで伸展葬で葬られているようだ。もし4500年前に現地に立てば、どれほど壮観だったろうか。しかし、今はその葬られた偉人達の名前を知る人は誰もいない。

 当時の特権階級の墓所と推定する研究者もいる。500基なので住んでいたと思われる人口から考えれば一握りに過ぎないからだ。縄文時代に階級があったのではないかという説も信憑性をおびてくるようだ。北米のネイティブの研究から、500人程度の集団を形成していたと推定される三内丸山遺跡には階級があってもおかしくないという。

 恐らく、先祖代々の墓というような、特定の家(男系でなく女系だった可能性も)のお墓。

 心理学を勉強していると、やはり生育史と家族の影響という問題を考えざるを得なくなる。個性は親などから引き渡される・・・この考え方は、今でも根強いようだ。しかし、人の傾向や渇望は何に由来するのかと思索していると、例えば親と子の関係を絶対視すると何とも味気なくなるところがある。

 私は、学生のころから等価変換創造理論ということに興味を持っていて、当時は湯川秀樹さんや市川亀久弥先生が盛んに天才論を論じておられた。私も、アインシュタイン、ニュートン、空海、石川啄木、など興味深々読んだ記憶がある。そして、天才という特異な方ではあるが、個性(傾向と渇望)は親の影響はあっても、それ以上に何か不思議なものがあるように思えてならなかった。

 今日は論文の関係もあるが、ジェイムズ・ヒルマン著 「魂のコード」を読んでいる。原型という概念。魂ということ。いろいろ考えさせられる。個性は決して家族に従属するものではないとも思う。やはり、自分は意外にも自由な存在だ。

*写真は勝坂遺跡公園

縄文からの風⑥ 1/10

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