田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

秋雨や 濡れてはいけない 予定変更

2011年10月22日 | 日記

10月22日(土) 雨   午前中には止む  遅めの午後には陽がでる

午後は「歴史を拓くはじめの家」と題した講演会がある。パンフレットを開くと「歴史を拓くはじめの家は『愛にみちて歴史を拓き、心華やぐ自立を生きる』をテーマに、『自然と出会い、歴史と出会い、自分自身と出会い、そして人びとと出会うオープンスペース』です」となっている。そしてプログラムは「いまを生きるおはなし & 名手による“琉球舞踊 歌・三線・箏”」となっている。

兎に角、予定は未定として変更は良いと考えるが ・ ・ ・  午前中は順調に一週間前に出かけた研修のマトメの概要が整ったが次に進まない ・ ・ ・ 昼飯を摂ってしばし考えたが出かけるのはパスすることにした。関係者の友人方ゴメンナサイ

午後も3時を過ぎると大分明るくなってきたので庭を一巡するとイチジクが収穫を待っていることに気がつく。今年は収穫ナシと諦めていた。

 

雨で洗われた空気が清々しく湿り気があるなか、裏山への道を進み久しぶりに散歩道を歩いた。ここは黄色になる木が多く真っ赤なモミジなどはごく僅かだし、まだ早い。 

山の中の畑もこのところ整備されはじめているが、大きな柿の木はもうすぐ食べ頃の実を沢山着けている。人が食べるのかそれとも獣たちの胃袋に入るのだろうか。 

道沿いは春に小さな花を見せてくれた“ツリバナ”茶色くなった実を弾き中から朱色の種を見せていた。そろそろ小鳥たちが啄みにくるのだろう。 

散歩道を戻るように曲がると毎年四月には祭りがある子守地蔵尊(六天様)がある。ここは上田小県と北佐久郡との境で江戸時代から領地の境になっていたそうだ。戦国時代はこの道・大内道の通行は多く更に、江戸時代になると中山道の裏道としても栄えたと云う。 

小県・長久保(現・長和町)方向に急坂は赤松が多い。中山道笠取峠の松並木はお上の命により赤松の苗木を植えたと云う。当時、慶長の時代から近辺に多かった赤松を使ったとすれば、経費削減に都合が良かったのだろう。

時間は判らないが陽は大分西に傾いてきた。梢の上の方で小鳥の声がかすかに聞こえている。 

一廻りして明るい所に戻ると昔は畑だったのか、ゴボウの花が咲いていた。花がなければ当たりの草と同じ緑全く気がつくものではない。 

覗き込むと昨日のタンポポのシベと同じ形をしている。タンポポの根は細く地中深く伸びている。一般に云うゴボウネだから花も同じ仲間なのだろうか? 

近くでヨメナ?それともノコンギクのような花が咲いていたが、葉の形状は違うようだ。これも草が野菜に変化して今はまた、草に戻ったのだろう。 

山の陰で陽が当たらないところは暗く寒く感じる。家に戻る道を急いでいるとき目に入った朱色のものに驚かされた。マムシソウだがこんなに背丈が高くなっていると別のモノのように思える。 

やっと陽の当たるところまで進み安心する。集落の中の山と云っても車の音も農機具の音もしない。僅かに松の梢を通り抜ける風が潮騒のように聞こえた。 

裏山から直接我が家にたどり着いたが長靴が泥だらけになっている。水路のところで靴を洗い戻るところでブルーベリーをつまんだ。これは野生品種だと云われたが今頃になって熟しているのは甘く濃い味がする。 

西日が隣の集落をスポットライトのように照らしたが、浅間の山麓には届いてない。こうして見ると木々の緑は完全に秋色になっている。 

 明日は晴れると嬉しい もういちど裏山へ行こう ・ ・ ・ 予定だが

コメント
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