物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

恐ろしいことには近づけ

2011-02-08 13:28:50 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の日曜日に松山では日曜日にしか見ることのできないNHKのテレビを見た。これは教育テレビで放送があったのだろうが、それでは見てなかった。

ポンナレッタ久郷というカンボディア出身の女性へのインタビューで「宗教・こころの時代」の番組であった。

彼女はいまは日本人の男性と結婚して、幸せに暮らしているが、小さい子どものときにはカンボディアのポルポト政権下での強制労働を経験した方である。

そして、彼女は母や兄をこの強制労働のときに虐殺で失ったらしい。兄はもう一年くらい時間があれば、フランスに留学できることになっていたというから、インテリの家庭の出身だったのだろう。

番組は途中から見たが、またなぜ彼女が日本に来れたのかも途中でトイレに立ったときに話がされたらしいので、聞くことができなかったが、察するところ何かの具合で国連の難民収容所に収容されたことが日本へ来ることができた理由らしかった。

「病気や老齢で働くことができなくなった人は生かしておく必要はない」といったモットがそこにはあり、それで母や兄を虐殺で失った。

母は聡明な人だったらしく、お経を自分でつくってポンナレッタさんに覚えさせ、少しでも不安を取り除くようにしたらしい。でも過酷な労働で病気になり、働けなくなって虐殺の場所へ連れて行かれて、人知れずに始末されたらしい。

それでも彼女は運よく日本に来ることができて自分で仕事を見つけて働くことができ、懸命に日本語を学び、日本人男性と結婚をし、子どもまで授かっている。

あるとき、夢に兄や母の夢を見たというが、その時自分たちを助けに来てとは言われたが、彼らを死に追いやった人たちに復讐をしてとは夢で言われなかったという。そういうことで、彼女はカンボディアに数年前に一時帰国して母や兄の供養をしたらしい。

女性アナウンサーが母たちを死に追いやった人たちを許しますかと聞いていたが、まだ許すところにまで至っていないと言った。それは罪のある人がまだ許してくださいと言っていないからだそうだ。そこから許すかどうかが始まるという。

それにしても恐ろしい経験をした、強制労働のため移住された村を再訪することは、彼女にとっては「恐ろしいところへ近づく」ということであったという。だが、母が言っていた、できるだけ「恐ろしいことに近づけ」という口癖の言葉にしたがった。

このポルポト政権の社会主義は、私が学生の頃かその直後くらいのことではないかと思うが、大虐殺が行われているといううわさがあった。それを実際に体験した人の話を聞くことができるとは予想していなかった。

たとえ社会主義が正義だとしても、そういう人間軽視の社会主義が許されるはずはないが、ポルポトの社会主義には知的な人たちへの極端な憎悪があったように思える。多くの医者、教師、法律家その他のインテリはこの強制労働で都会から農村へ強制移住させられ、かつ強制労働で亡くなったらしい。この人数ははっきりしないが、120万とも100万とも言われる。

武谷三男には「時計をかなづちの代わりに使うべきでない」という議論があり、これは高木仁三郎の「市民科学者として生きる」(岩波新書)に詳しいが、ある時期のカンボディアでは時計(インテリ)はかなづち(労働者・農民)として使えなければ、無用で生きている価値がなかった。