昨夜、ドイツ語のクラスでいくつかの語が出てきた。
「手に入れる、得る」という意味のbekommen(ベコッメン)と同じ意味でkriegen(クリーゲン)という語がある。kriegenは口語的であまり文章で書いたものでは見たことがない。
また、同じ意味で使うことのある、erhalten(エアハルテン)は学生の頃にセミナーで読んだK"allenのQuantenelektrodynamik(量子電気力学)の本を読むときに出てきた語であり、この語の方がbekommenよりはもっと早く覚えた語である。が、その後50年近くの間のドイツ語との接触ではお目にかかったことがなかった。
それでそのことをクラスで話したが、あまりきちんとは言うことができなかった。このerhaltenの語と一緒によく出てきたのが、enthaltenで「含む」という意味だったと思う。haltenが後ろについているが、前綴りはerとentと違っている。それが意味を大きく変えている。
方程式か等式かを表すGleichungenという語も覚えた。先々週のクラスのときに思い出した、角運動量のドイツ語はDrehimpulsだったのではないかなと一瞬思ったが、確かでなかったので家に帰って、K"allenの本の索引を見たら、やはりそうだった。
英語ではimpulseは力積を意味するはずなのでちょっとImpulsで大丈夫なのかなと思ってしまった。もっともimpulse力積は運動量の時間変化と同等であるから、意味としてはあっているのかもしれない。ちなみにドイツ語ではImpulsとeがつかないが、英語ではeがついている。
Drehen(ドレーエン)は回転するという意味であるから、DrehimpulsにDrehがついているのは理解ができるが、implusの方にちょっと違和感を感じたのである。しかし、Drehbuchはシナリオの台本のことだったと思う。
いままでの話とは違うが、見るという意味のsehenは誰でもちょっとドイツ語を学んだ人なら誰でも知っている。ところがschauenというと南ドイツ風である。
また、これも口語でしか使わないのかもしれないが、guckenという語がある。Gucken Sie es malとかGuck mal(グック・マル)とかいう。それぞれ「それをちょっと見せて」とか「あれを見てよ」というようなニュアンスなのだろうか。
このguckenもあまりドイツ語の教室等では学ばないが、口語的にはよく使われる語である。
日本語の「さよなら」はAuf Wiedersehen(アウフ・ビーダゼーエン)というが、これもバイエルン等の南ドイツやオーストリアではAuf Wiederschauen(アウフ・ビーダシャウエン)ともいう。ただ、Auf Wiederguckenというのは聞いたことがない。
guckenはチラッと見るという意味だと思うので時間的に長く会う、見るという意味があるsehenとは違うのであろうか。もっとも「じっと見る」という意味ではansehenという語を使う。
マインツにいた頃にあるとき電話がかかってきたが、それがドイツ語だったので妻が私に受話器を手渡した。ところがそれは日本人留学生のO君だった。O君が妻を驚かして引っ掛けたというので、妻はしばらく’お冠だった’。
これはO君が妻を驚かすためにドイツ語で電話をかけたのか、それとも長年のドイツ生活でO君のクチからドイツ語がつい出てしまったのかわからない。でも私をだますのは無理だし、またちょっと気がとがめたので彼は日本語を話したというのが真相であろう。
O君は十分長くドイツの大学にいたので、彼が望めば学位をとることは十分できたのだが、日本では哲学の先生で学位をもっている人はその当時はごく少なかったので、学位をとると日本の大学に勤めることは絶望的だという理由であえて学位はとらないで帰国して、ある大学に勤めた。